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テーマ:聖域を巡る旅~♪(42)
カテゴリ:~07'光り輝く木の国の旅~
新宮に戻り車をお返しました。
一日お世話になったナビ子さんとはここでお別れです ありがとう~おかげで助かりました (玉置からの帰り道、指示に従わずにいたらしばらくすねたりしていたかわいいナビ子さんでありました) N氏はあまり別れを惜しむ風でもなく…(言葉ではいろいろ言っはおりましたが)…頭の中はもう次に向かっている様子 クールですな~ 次は阿須賀神社へと向かいます メインイベントも終わり、温泉にも入り…三人とも心なしか足取りがのんびりになっておりまする 《阿須賀神社》 《主祭神》事解男命 配祀神:熊野夫須美大神、家都美御子大神、熊野速玉大神 合祀神:黄泉道守命、建角美命 創建は第五代孝昭天皇の時代とされる。 熊野発祥の地。 後ろにある蓬莱山を御神体とし、徐福宮を持つ。 主祭神の『事解男命』は、伊弉諾が黄泉の国から逃げ帰り、唾を吐きそれを拭った時に生まれた悪縁消除の神といわれております。 《死と縁を切る》神です また、ニギハヤヒの別名神という説もありますし、 『江談抄』では皇大神宮と同体と記されております。 ということは(籠神社の極秘伝によると) 《豊受姫=国常立神=天御中主神=倉稲魂神》 ですから…国常立尊でよろしいですわね (クナトの神の猿田彦さんにも繋がってゆきますな~) 実際この時参拝してみた感じは、私は国常立さんでした 一緒に参拝しても受け取るものは人それぞれ… 以前都内のある神社に友人と参拝した際、私は豊受さんと対話し、友人はスサノオさんと対話していたということがありました。 あくまで私個人の現象なんだな~と認識するようになりました 御祭神さまの中で『今の自分』と縁のある方とリンクするのでしょうね~ 熊野は古くから出雲人が入植した土地。出雲の方の熊野から来た人たちがそのまま《熊野》という地名を使ったのではないかとされています。 そして…木の神様、五十猛命が妹の大屋津姫、つま津姫とともに全国に木を植えてまわった際の拠点が熊野であり…その《木の国》から後に《紀の国》と呼ばれるようになりました。 五十猛命はこの時には参拝しませんでしたが、和歌山市の伊太き曾神社に祀られております。 (高野山宝亀院にもあった木の化石が伊太き曾神社境内に埋まっているといわれております) 熊野三山は元もとは別々に崇拝されていたものらしく、三山が連帯する前には…新宮では《速玉神、夫須美神、国常立尊》が祀られていたのですが、後に国常立尊にかわり《家都美御子神》がセンターに来ることになったそうです。 ゆえに 《家都美御子神=国常立尊》 であるともいう。 《家都美御子神=大物主命》 という説もあり、いろんなラインが交差しているように見えてなかなか興味深い地であります。 余談ですが… 熊野修験道の根本経典ともいえる『大峰縁起』では、 《家都美御子神はインドの国王である慈悲大顕王で、速玉神はその王子、夫須美神は王女である》 とされています。 ほほほ… これだけごちゃごちゃしてくるとわからんちんになりそうですが…実はどれも同じことを言っているような気がするんですよね~ 《慈悲大顕王》…ぱっと浮かんだのはクリシュナでしたけどf^_^; 徐福に関しては(ここは)マユツバっぽいな~(笑) 公園のお墓では…おや本当に徐福って来たのかも…と思いましたけど あれ~ っと気付いた方はいらっしゃいますでしょうか これだけしらみつぶしにまわっておきながら『熊野速玉大社』には参拝しなかったのです な~ぜだか~しらないけれど~ 三人とも参拝する気になれず…スルーf^_^; 速玉よりも阿須賀の方が重要に感じたのでそちらに行ってしまいました。 元宮の神倉神社と熊野でもっとも古いと言われる阿須賀神社、そして速玉大社の三社は、綺麗な二等辺三角形を形成しております。 二点を決めたら最後の一点は自動的に定まりますからこれでよいのですよ~きっと (言い訳) さて次はこの日ラストの熊野川河口へと向かいますo(^-^)o お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.21 20:43:30
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