第237突撃砲大隊第二中隊所属のIII号突撃砲G型、指揮官ボド・シュプランツ大尉(中隊長)Hauptmann Bodo Spranz と乗員たち。
1943年9月17日時点で戦車76輌を撃破したとされる突撃砲のエース。
一回の戦闘で戦車15輌を撃破してアドルフ・ヒトラーより柏葉付騎士鉄十字章を授与される。
ボド・シュプランツ大尉の右袖に戦車撃破章が四つ見え、車外での戦闘でも擲弾など携行火器で戦車4輌を撃破している。
この写真(1~2枚目)の撮影時点(1943年夏頃スモレンスク近郊と思われる)での砲身の白いキルマークは34本見える。
終戦時はヴァルター・ヴェンクの第12軍に所属しベルリン救出作戦に参加、その後エルベ河を渡り1945年5月にアメリカ軍の捕虜となり、兵士としての任務を終了した。
戦後はハンブルク大学で民俗学を学びその研究で著名となり、1962年6月フライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau の民俗学博物館(自然と人間の博物館)の館長に就任し、1984年に引退。2007年9月1日にブレーメンで87歳で亡くなる。
ボド・シュプランツ大尉 と乗員たち
キルマークが34本見える
ボド・シュプランツ大尉 Hauptmann Bodo Spranz
アドルフ・ヒトラーより柏葉付騎士鉄十字章を授与されるボド・シュプランツ大尉
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