テーマ:パワハラ・セクハラ(49)
カテゴリ:パワハラ
現在の日本社会に必要なのは、
個々の国民がもっているはずのポテンシャルを、 つまらない人間関係によって阻害しないための、 技術的な仕組みづくりです。 日本の社会において人間関係が個人に与えるストレスは異常です。 いまや膨大な数の人々が、 つまらない人間関係の負担を理由に、 学校を辞めたり、職場を辞めたりしていますが、 これはたんに「個人の我慢の問題」として済まされるレベルではなく、 もはや国家の存亡にかかわる問題にまで膨れ上がっています。 つまらない人間関係の雑事が足枷になり、 社会全体が多くの人材をみすみす潰しているという現状。 これが、いかに国家的な損失を招いているのか。 いかに非効率な社会と経済を形作っているのか。 それが、近い将来の、日本の国家の没落の行く末にも直結しています。 ◇ かつては、 身をもって「人間関係」や「上下関係」を学ばせることが、 あたかも教育や指導の目標であるかのように考えられた時期もありました。 しかし、これは実際には、 悪しきヒエラルキーや非効率な慣習を正当化し、 それを再生産することにしか繋がっていません。 わざわざ学校や研修で、 集団内での空気の読み方や、カースト内での振るまいかたを、 生徒たちに教えているようなものです。 それに適応できる人間だけが活躍するような社会は、 はたして国が目指すべき理想の姿でしょうか? ◇ もはや忘年会だの社員旅行だのの是非を論じている場合ではありません。 そんなものが、 個人の能力を伸ばし、企業の業績を上げるとでも言えるでしょうか? いまだかつて、そんな実証的なデータがあったでしょうか? 膨大な離職者を生んでいる深刻な現実に目を背け、 旧世代的な権威主義や、無根拠な経験主義を守るために、 つまらない前例と慣例に執着するほど、 日本の企業組織は救いがたく愚かなのでしょうか? いまだに「飲みにケーション」などという言葉を口にするオヤジもいますが、 酒の呑める人間が呑めない人間に対して優位に立つという、 体育会的なヒエラルキーを形作るための俗悪な慣行にすぎません。 「権力をもった上位者におもねるのが仕事である」という発想を、 日本社会全体が早く棄てるべきです。 本来、仕事とは、そういうものではありません。 ◇ 多くの人々が、 くだらない人間関係に順応するためだけに、 多くの労力や神経をすり減らしています。 この、きわめて非効率な生活環境や労働環境を、 もういいかげん改めなくてはなりません。 国家や社会のために必要なはずの能力が、 無知蒙昧や、偏狭な観念や、無意味な慣習など、 くだらない理由のために消耗し、 むやみに精神と身体を疲弊させ、 本来のエネルギーを意味もなく使い果たしています。 そして、そのことが、 社会全体の発展を国家レベルで妨げています。 特有の人間関係が完全に足枷になってしまっている日本。 なんらかの技術的な工夫と努力によって、 もはや人間関係が障害にならないような生活環境と労働環境を、 あらたに作り出していかなくてはなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.12.17 11:55:25
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