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まいかのあーだこーだ

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2020.08.20
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俳句って難しいです。



前回の記事で、わたしは、
「痣の醒めゆくごと 朝焼け」は、
たんに比喩がフィードバックしているだけではないか?
比喩されたものを比喩する側に反転させているだけではないか?
との疑問を呈しました。

じつは、これと似たようなことが、
前に鈴木光が詠んだ句にもありました。
例の「ギャロップのごと 牧開」です。

もともと「ギャロップ」というのは、
「馬の疾走」のことであり、
「馬の疾走を擬した音楽」のことですから、
「ギャロップのごと 牧開」というのは、
「馬の疾走のような音楽のような馬の疾走」という意味で、
たんに比喩がフィードバックして一周してるだけではないか?
と疑問を感じたのです。
くわしくはこちらです→https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202006270000/


これと同じことが梅沢の句にも言える。

かりに「痣が醒める」という表現が、
「(夜の闇から)醒めるように痣が消える」ことだとすれば、
「痣の醒めゆくごと 朝焼け」というのは、
「夜の闇から醒めるように痣が消えるような朝焼」ってことで、
やっぱり比喩が一回りしてるだけじゃないかと思うのです。


これって比喩として意味をなしてるんだろうか?
という疑問が湧いてくるのです。





ただ、その一方で、
わたし自身は、もうすこし肯定的に考えてもいます。


たとえば、
(ちょっと下手糞な例ですが)
「馬の翔ぶごと 宇宙船」という表現があったとします。

本来、馬というのは、
「走る/駆ける」ものであって「翔ぶ」ものではありませんが、
宇宙船のイメージのほうに寄せるために、
駆ける→翔ける→翔ぶという連想によって、
あえて「翔ぶ」という動詞を使ってみるわけです。
(ちなみに「翔ぶ」というのは司馬遼太郎による当て字です)

その背後には、
「宇宙船が馬のようだ」という発想と同時に、
「馬が宇宙船のようだ」という発想があります。
その2つの発想を両側から寄せるために、
使うべき動詞を交換して互いのイメージを接近させ、
なかば強制的に比喩を成立させてしまうわけです。

比喩が近すぎてはつまらないし、
比喩が遠すぎてはピンと来ないわけですが、
その《距離感》を調節するために、
使うべき動詞や形容詞をあえて取り換えるわけですね。

こういうことは、意外によくあるのではないか?
むしろ比喩を作るときのひとつの技法じゃないか?
って気がしないでもありません。



…いずれにせよ、わたしには判断できませんが(笑)。






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最終更新日  2021.12.27 00:28:59
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