カテゴリ:純情きらりとエール
冬吾には、自殺願望があります。
それが、このドラマの最大の裏テーマです。 ◇ 冬吾は、 空襲で家屋の下敷きになったとき、 桜子に「俺はもう死ぬ」と言いました。 あとに妻子が残されることなど考えもせずに、 平気で「俺は死ぬ」などと言うのです。 妻の存在は、 彼にとって「生きる理由」にはなりませんでした。 二人の子供でさえ「生きる理由」にはならなかった。 唯一、桜子の存在だけが、 冬吾にとって「生きる理由」になりえたのです。 桜子だけが、冬吾に生き続ける気力を与えていました。 ◇ 冬吾と桜子は、 たがいに愛し合っていたはずですが、 その抑えきれない想いを、 冬吾は絵に込め、桜子は曲に込めることで、 なんとか一線を踏み越えずにとどまっていました。 その純愛は、 たしかにプラトニックで美しかったけれど、 戦後の冬吾が、妻や家族ではなく、 唯一、桜子のためだけに生きていたのは間違いない。 笛子も2人の相愛に気づいていました。 達彦とかねを亡くした(と思っていた)桜子にとって、 冬吾だけが心の支えになっていたのを分かっていたし、 そんな桜子を支えようとする冬吾の心情も理解していました。 そして、 冬吾の芸術にとっても桜子の存在が必要なのだということを、 笛子はちゃんと承知していました。 もちろん、そこに嫉妬はあったし、 そのフラストレーションを吐き出すためにこそ、 戦後の笛子は、まるで銭ゲバのように振舞ったりもしました。 それぞれの止むにやまれぬ心境は、それなりに理解できます。 ◇ しかし、それでも、 どうしても解せないことがあります。 そもそも冬吾は、 なぜ愛してもいない笛子と結婚したのでしょうか? そして、 それは彼の自殺願望の結果だったのでしょうか? あるいは、それこそが、 彼の自殺願望の理由になってしまったのでしょうか? さすがの笛子も、 冬吾の自殺願望には気づけなかったと思う。 冬吾は、かろうじて桜子の存在によって生きているだけです。 ◇ 太宰治も、 正妻と3人の子供がいたにもかかわらず、 なんども愛人との自殺未遂を繰り返しました。 「純情きらり」の原作者は、その娘です。 もしかすると津島佑子は、 父の自殺願望の「謎」を解くために、 この物語を書いたのかもしれません。 しかし、 すくなくともドラマを見るかぎり、 冬吾の自殺願望の謎は、 結局のところ、最後まで分からないのです。 愛してもいない女と結婚したせいだったのか。 それとも、もっと本源的な厭世観のためだったのか。 あるいは、自分自身を憎んでいたためだったのか。 この「謎」は、 物語の構造の外側にまではみ出しています。 やはり、 このドラマには、ちょっと怖いところがあるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.05 18:56:30
[純情きらりとエール] カテゴリの最新記事
|
|