カテゴリ:純情きらりとエール
結核。隔離。
あまりにも残酷な結末。 15年前に本放送を見たときは、 遠い過去の話だと思っていたけれど、 コロナ禍のなかで再放送を見ていると、 なにか皮肉な偶然を感じずにはいられない。 ◇ 通常のドラマなら、 最後に伏線が回収されて、 これまでの約束がみごとに果たされて、 めでたく夢が叶って終わるところですが、 このドラマは、そのすべてを裏切ります。 朝ドラ史上、稀に見るようなバッドエンド。 桜子の人生は、 なにひとつ実現しないまま、報われずに終わる。 なにも成し遂げることの出来ない人生。 …でも、それが不幸だとは思わない。 そういう感想を、本放送のとき以上に強く持ちました。 ◇ 夢が叶おうが叶うまいが、 想いが報われようが報われまいが、 約束が果たされようが果たされまいが、 生きていること自体に輝きがある。 それが、このドラマのメッセージだと思うし、 実際、桜子の人生はとても輝いていた と、わたしは思います。 桜子だけではありません。 目の不自由な亨ちゃんにも生きる歓びがあったし、 生まれてきた赤ちゃんの命もキラキラ輝いている。 夢が叶ったり、 想いが報われたりするのは、 せいぜい小説やドラマのなかの架空の話であって、 現実の人生は、そうではありません。 さまざまな行き違いや矛盾に満ちていて、 けっして現実は「まんどろ」というわけにいかない。 これは、 冬吾=太宰治に対するメッセージでもあるのだけれど、 やはり「命を捨てるべきではない」というのが、 作者の最終的な考えなのだろうなと、あらためて思います。 ◇ 冬吾との関係も、最後まで片付くことはなかった。 本来の冬吾は、 誰に対してもズバっと本音を言い、 魂をぶつけるような絵を描く人でしたが、 結婚後の冬吾は、そうではなくなりました。 不本意な絵しか描くことができなくなっていたし、 死線を彷徨った夢のなかで桜子に救われたときには、 「笛子と加寿子と亨の顔が浮かんできた」 などと嘘をついて取り繕ったりしていました。 いや、嘘ではなかったのかもしれませんが、 夢のなかで桜子の魂と通じ合った記憶は、みずから抑圧したのでしょう。 冬吾にとっての真実は、唯一、桜子でした。 笛子も、うすうすそのことを察知していて、 桜子の姿を描いた冬吾の絵を病室に飾ると、 桜子にむかって「あんたが羨ましかった」と言いました。 そこにも、それぞれの報われない真実がありました。 ◇ ものすごく矛盾に満ちた内容だったけれど、 それゆえに強烈な印象を残しました。 わたしは、やはり、 このドラマが面白かったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.12 04:26:14
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