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まいかのあーだこーだ

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2021.03.27
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カテゴリ:漫画・アニメ
アニメ「約束のネバーランド」。
第1期から第2期までの全話が終了しました。

最終話の内容は、ずいぶんと駆け足で、
これまでにくらべて、
だいぶ絵のクオリティが低いのも驚きでした。

ラトリー家の歴史についても、
ハッピーエンドまでの流れも、
かなり話を端折ったような印象を受けました。

あとで調べてみたら、
原作のほうは5つの章に分かれていて、
今回のアニメの内容は、
そのうちの第1章と第2章に当たるらしい。

アニメの最終話のラスト数分間は、
いわば残りの3章分のダイジェストのような、
あるいは予告のような映像だったのかもしれません。



アニメ終盤の出来が悪いのは、
原作者が脚本の執筆から離脱したためという噂もあります。
いずれにせよ、
制作体制になんらかの混乱があったのかなあと思う。

今回の最終話については、
もういちどしっかり作り直してほしいと感じますし、
残りの3章分についても、
きちんとアニメ化してほしいという声は出るでしょうね。


…ただ、個人的な考えをいえば、
かりに残りの3章分をアニメ化しても、
よくある騎士物語みたいなものにしかならない気はする。

ここまでの内容を見ただけで、
おおよその物語の構造は理解できたのですが、

やはり、この作品でもっとも重要なのは、
第1章にあたる農園の物語なのだろうと思います。





「鬼滅の刃」にしても、
「進撃の巨人」や「東京喰種」にしても、
最近は、人間が喰われる内容の漫画が多い。
「BEASTARS」も擬人化された肉食獣の話です。

「約ネバ」には邪血の少女が出てきますが、
彼女は、人間を食わなくても耐えられる鬼であり、
その意味では「鬼滅」の禰豆子と似ています。

いずれにしても、
《喰う者と喰われる者の関係》を考えることが、
これらの作品に共通したテーマなのだと思います。



ちなみに「約ネバ」の物語の設定は、
カズオイシグロの「わたしを離さないで」に似ています。

「わたしを離さないで」は、
《臓器提供》の話であり、かなり時事的なテーマに触れている。

一方の「約ネバ」のほうは、
鬼に供するための食用児の養殖の話ですが、
これはあきらかに"人間と家畜"の関係の比喩になっていて、
《食》という万人共通の問題を扱っていますから、
臓器移植よりも、さらに根源的な内容であり、
誰ひとり避けられないテーマに触れていると言えます。



動物として生きている以上、
喰われることの苦痛や、喰うことの罪責感から逃れられません。

その意味で、
動物は不幸になるように運命づけられているし、
あらかじめ不幸な存在として設計されています。

多くの人は、
これを回避するために「気にしない」という手段をとっていて、
気にせずに済むような高度な社会システムも整備されています。

そして人間は、
事実上、家畜などの動物を「脳のない肉」と見なして食べています。
じつは家畜にも、脳があり、意識があり、
苦痛や幸福感があるということを便宜的に無視しています。

一方で「約ネバ」の鬼たちは、
人間の肉よりも、むしろ脳を食べる生き物として描かれます。
彼らは、人間のような精神を獲得するために脳を摂取します。

実際、
脳を食う生き物が現れたとしたら、
真っ先に狙われるのは、大きな脳をもっている人間です。

鬼たちは、
人間の脳を安定的に食べるために、その養殖をおこなう。
良質な脳を獲得するために、その家畜を愛情をもって飼育します。



わたし自身は、
普段から気にせずに肉を食べていますが、
現代社会では、このことを気にする人も増えています。

動物に強いられた本源的な不幸であるにもかかわらず、
そのことを気にせずにいられなくなっているのは、
逆にいうと、
この不幸を回避する手段が増えているためかもしれません。

たとえば、動物の生命を奪わずに、
たんぱく質だけを摂取する技術も生まれはじめている。
あるいは、食による栄養補給とは別の手段で、
人間としての身体を維持する可能性も見えてきている。

将来的に、それらの技術は完成するだろうと思います。

そして、
この本源的な不幸から逃れたところにこそ、
人間のほんとうの自由はあるはずだ、というのが、
この作品の最終的な思想なのだと思います。





ところで、「約ネバ」の物語には、
人間と鬼との葛藤だけでなく、
鬼同士、あるいは人間同士の階級闘争の問題も絡んでいて、
かなり重層的な構造になっています。

食を支配する者は、あえて飢えを作り出そうとするし、
医療を支配する者は、あえて病を作り出そうとするし、
暴力を支配する者は、あえて騒乱を作り出そうとします。
それによって階級の安定を図ろうとするからです。

いつまでたっても問題が解決しないのは、
階級を支配する者たちによる、そのような邪悪さのためです。

さらに「約ネバ」の物語には、
混血性の問題も折り込まれています。

邪血というのは、
おそらく人間と鬼との混血であり、
いわゆる異類婚姻から生まれた子供だと思いますが、

この「邪血」という言葉のなかには、
異質なものと交わることへの忌避感が読み取れます。

つまり、それは、
人の側から見ても「汚れた血統」であり、
鬼の側から見ても「汚れた血統」だということ。

しかし、混血は、
"ハーフ"であると同時に"ダブル"でもあって、
双方の長所をあわせもった存在でもあります。
「約ネバ」の物語では、
混血性によって双方の断絶が乗り超えられていくようです。



この物語は、
TBSの平川雄一朗によって実写化されましたが、
さほど話題にはなっていない感じです。
ちなみに平川は「わたしを離さないで」のドラマ版も担当しています。

わたしはまだ見ていないのですが、

こういう作品を映画化するときは、
たんなるアニメの実写化という安易な認識ではなく、
世界に通用するコンテンツだという強い自覚をもって、
はじめから海外にむけて発信すべきだと思います。

そのためには、
物語の思想・背景をとことん深めなければならない。
そうしないと、
せっかくの国産のコンテンツが無駄になってしまいます。





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最終更新日  2024.06.17 17:30:37


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