カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
プレバト俳句。お題は「シューズ売り場」。
今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、 個人的な感想です。 ◇ 小宮璃央。 夏の夜 言葉交わさず下駄の音 夜店の灯 言葉交わさず下駄の音(添削後) これが最下位だったのですが、 「才能ナシ」ではなく「凡人」でしたし、 それほど悪い句だとは思いませんでした。 作者自身は、 夏祭りでのデートの場面を詠んだらしく、 その話を聞いてしまうと、 たしかに「凡人くさい」と思えるのですが、 かりに説明を聞かずに原句だけを詠むと、 見知らぬ他人と無言ですれ違った場面のようにも誤読できて、 ちょっと不気味な雰囲気を味わえると思います。 あくまでも誤読ですけど(笑)。 ちなみに作者の意図どおりに書くならば、 いっそ「夏デート 言葉交わさぬ下駄の音」としたほうが、 誤解の余地がなくていいんじゃないかと思います…。 ◇ 梅沢。 帰国の日 アガシの白いハイヒール 帰国の日 アガシの白靴の悲し(添削後a) 帰国の日 アガシの白靴の眩し(添削後b) 作者の下世話な実話を聞いたら、すごく興醒めでしたが、 これも本人の説明を聞かずに原句だけを詠むと、 非常に味わい深く誤読できてしまう余地があると思う。 個人的にいえば、 「若い韓国人女性が帰国する」という場面だけで、 引き裂かれる悲しみを喚起する力が備わってると思うし、 ことによったら、 国家的な背景や歴史的な背景さえも見えてきます。 そう考えたら、添削は不要だと思うのです。 これも、あくまで誤読なのですけど…(笑)。 ちなみに「アガシの白靴」という添削は、 アンドレ・アガシのテニスシューズと誤解される、という問題もあります。 ◇ ぼる塾田辺。 泥靴や 頑張る君の夏近し 俳句で「君」と言ったら、 ふつうは恋人のことを意味するらしいのですけど、 この句の場合、 個人的には幼い子供のことだと誤読したい気持ちがします。 ◇ 本田望結。 夏夕焼 波打ち際のペアシューズ 「夕焼」は、 それ自体が夏の季語なので、 「夏夕焼」とするのは季重なりだそうです。 逆にいうと、 「春夕焼」「秋夕焼」「冬夕焼」ってのは、 夏の本物には及ばない"弱めの夕焼"ってことなのですね…。 先生の添削では単純に「夕焼や」と直していますが、 かりに「夏」という語にこだわるならば、 「夏の夕」「夏夕べ」「夏の暮」 などとする方法もあるのかな、と思います。 ◇ キスマイ横尾。 披露宴 白靴のスタッズ眩し 婚祝う 白靴のスタッズ眩し(添削後) 正直な話、 原句には何の面白味も感じませんでした。 でも、 上五を「婚祝う」に変えただけで、 気合を入れてお洒落してきた人物像が見えてくるし、 そこに詩情と面白味とが生まれますね。 これはさすがの添削でした。 ◇ 的場浩司。 靴の中ギラリちび蜘蛛 我が家ぞ 新品の靴より ちび蜘蛛のギラリ(添削後) 原句のままだと、 下五は「自宅の玄関」の描写に見えてしまいます。 かといって、 擬人化した蜘蛛の台詞だとすれば、なおさらクサいです。 これも先生の添削に納得です。 ◇ 高田万由子。 白靴や 並びし吾子の父超えて 並べある 父より大きなる白靴(添削後) 梅沢と先生が指摘したとおり、 原句のままだと「背比べ」をしてるように見える。 おそらく「並びし」の語が、 「白靴」ではなく「吾子」に掛かっているために、 そのような誤解を生じるのです。 かりに背比べを詠むなら、 白靴や 父に並んだ子の高し 靴の大きさを詠むなら、 吾子の白靴 父に勝りて並ぶ としたほうが分かりやすい気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.05.14 15:23:47
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