テーマ:鬼滅の刃(1027)
カテゴリ:鬼滅の刃と日本の歴史。
先日の世界ふしぎ発見!
テーマは「鬼退治で紐解く日本」でした。 出雲、吉備、大和、大宰府などを巡って、 製鉄や山伏の歴史を探っていました。 はじめて知ることもあったので、 わたしなりに整理しておきたいと思います。 ◇ まずは予備知識。 もともと製鉄の技術は、 ヒッタイト、スキタイ、匈奴など、 騎馬民族によって西域から東方へ伝えられ、 渡来人によって日本に上陸しました。 渡来人たちは、 大陸の玄関口である出雲や大宰府はもちろん、 瀬戸内海をとおって、 吉備や大和などにもやってきて定着しました。 実際、 吉備や出雲には古代製鉄の痕跡があります。 ☆出雲 /島根 古代の出雲国は、 ヤマト王権に対抗する最大勢力だったので、 ここにこそ鬼がいたのかもしれません。 室町時代にはじまった石見いわみ神楽にも、鬼が登場します。 ちなみに中国地方一帯は、 砂鉄と木炭の産地だったので、 古代から製鉄が盛んに行われていました。 「出雲風土記」には、 阿用郷あよのさとの鬼という、 "一つ目"の人食い鬼についての記述がありますが、 この鬼は、 じつは鍛冶・製鉄の神だとする説があって、 天目一箇神あめのまひとつや金屋子神かなやごとも同一視されます。 なぜなら"一つ目"というのは、 高炉の灼熱の炎を片目で見つめて失明した姿を意味するからです。 ちなみに、 片目を開いてふいごを吹く「火男ひおとこ」が、 神楽における「ひょっとこ」の起源だと言われています。 ひょっとこの鋼鐵塚さん 江戸以降になると、 出雲のたたら製鉄は松前藩の主要産業となり、 日本刀の原料である玉鋼たまはがねの一大産地になりました。 ☆吉備 /岡山 古代の吉備国も、ヤマト王権を脅かす対抗勢力でした。 ここには桃太郎伝説があります。 鬼ノ城きのじょうを拠点とした温羅うらも、 やはり渡来系の産鉄民だろうといわれていますが、 大和の四道将軍のひとり吉備津彦きびつひこに討伐され、 その首を吉備津神社の土竈に埋められました。 そこでは、現在も、 鬼首の泣き声で吉凶を占う鳴釜なるかま神事が行われます。 ☆大和 /奈良 飛鳥時代に、 役小角えんのおづのが修験道を開きました。 彼は、役行者えんのぎょうじゃとも呼ばれる呪術者で、 法力をもって鬼神を従えていました。 これに端を発する修験者=山伏こそが、鬼の起源かもしれません。 山伏たちは、 超人的な身体能力をもち、 日に焼けた異形の赤ら顔をし、 目は爛々と輝いて野性味にあふれていましたから、 天狗や鬼のモデルになった可能性があります。 片目のつぶれた産鉄民であれば、 なおさら恐ろしい迫力だったでしょう。 彼らは、 薬草・金属・木炭など、 さまざまな山岳資源の知識と技術に優れ、 異能集団としてのパワーを持っていたため、 とりわけ朝廷の人々は、 吉野など紀伊山地一帯の山伏を「鬼」として警戒しました。 天狗の鱗滝さん 実際、役小角は、 前鬼・後鬼ぜんきごきという鬼の夫婦を弟子にしていました。 その子孫は現在も奈良県内に住んでいます。 役小角は、 弟子たちに薬草や茶の知識を教えたとされ、 山伏たちは、その後、 陀羅尼助だらにすけなどの薬を、 笈おいに背負って売り歩きました。 後鬼の末裔が開いたという天川村の洞川どろがわ温泉には、 いまでも陀羅尼助を売る店がたくさん並んでいます。 薬草使いの珠世さん 笈を背負う市松模様の羽黒修験/出羽三山 ◇ 平安時代になると、 大江山の酒呑童子しゅてんどうじのような鬼が京の都に出没しました。 大江山の鬼退治物語は、 前述の石見いわみ神楽の演目にもなっていますが、 それによると、 じつは酒呑童子は早熟の天才美少年だったようです。 そのことで、かえって世間に忌避されたのかもしれません。 源頼光らいこうや渡辺綱つならの奇襲を受けた酒呑童子は、 朝廷側の卑劣さに「鬼人に横道なし!」と叫んで死にました。 現在、大江山には、 「日本の鬼の交流博物館」が建てられ、 世界中から集められた鬼の資料が展示されています。 また、北野天満宮には、 渡辺綱が鬼を切った刀(鬼切丸)も保存されています。 なお、この時代には、 風鈴が《結界》をつくると信じられており、 寺院や公家などでは魔除けとして風鈴を吊るしていました。 風鈴&ひょっとこの鋼鐵塚さん ☆大宰府 /福岡 古代より、 大陸の玄関口にあたる北九州には、 軍備・外交を担う大宰府政庁が置かれました。 その鬼門(北東)にあたる宝満山に建てられたのが、 宝満宮 竈門かまど神社です。 役小角は、宝満山も歩いたとされており、 ここにも修験道が伝わっています。 宝満山の山伏たちは、 繁栄を象徴する「市松模様」の装束を着ています。 宝満修験の市松模様/竈門神社 ◇ ◇ ◇ 今回の番組では、 もっぱら西日本を取材していましたが、 東日本にも鬼がたくさんいます。 松本清張の「砂の器」のことを考えると、 秋田のなまはげのルーツは、出雲の鬼神楽に通じている気がします。 なまはげ 新潟の佐渡金山には鬼太鼓おんでこもありますね。 丹後国から山形へ逃げ落ちて、 出羽三山を開いたという蜂子はちこ皇子も、 修験の装束を身にまとって鬼の形相をしています。 蜂子皇子 岩手には、 坂上田村麻呂と戦って敗れた、 アテルイや悪路王あくろおうなどの豪族がいましたし、 のちには奥州藤原氏とともに、 源義経と武蔵坊弁慶がこの地で倒されました。 北上市には「鬼の館」という博物館もあります。 アテルイ 青森ねぶたの根底にも、 坂上田村麻呂による蝦夷討伐の記憶があります。 東京には、平将門の首塚もあります…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.12.08 01:01:07
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