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まいかのあーだこーだ

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2021.10.05
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NHK「ブラタモリ」は2週にわたって淡路島でした。

虚実入り混じるような内容だったけど、
気になった点を(鬼滅の歴史も重ねつつ!)まとめておきます。


1.本当のはじまりの島?

記紀神話によれば、
イザナギとイザナミが、
天の沼矛ぬぼこで海をかき回したら、
しずくが落ちてオノコロ島が出来たらしいですよね。

彼らは、そのあとに淡路島を作ったのです。

淡路島の南側には、
その名も「沼島ぬしま」という勾玉型の小島があって、
これこそがオノコロ島ではないか、という説があるらしい。

実際、
淡路島と沼島のあいだには中央構造線が走っていて、
淡路島の側は8000万年前、沼島の側は1億年前と、
地層の年代が大きく違っています。
つまり「沼島の地層のほうが淡路島より古い」ってわけです。

ちなみに、沼島には激しい地殻変動の痕跡があって、
「地球のしわ」とも呼ばれる鞘型褶曲さやがたしゅうきょくが見つかっています。
これは世界で2例しか確認されていないそうです。

この段階では、まだ島ではなかったはずですね。
海だったのか陸だったのかは、ちょっと分かりませんでしたが。


なお、淡路島のほうは、
中央構造線の境い目にあたる山々が南からの海風を遮るため、
島にもかかわらず、乾いた風が吹き降ろしています。
それがタマネギの生産に向いてるそうです。

タマネギは、収穫したあと、
1~2ヶ月ほど乾燥させると甘みを増すのですね。


これに対して、沼島のほうは、
太平洋からの湿った南風が直接吹きつけます。
そんな南側の浜には「上立神岩かみたてがみいわ」がそそり立っていて、
これこそが天の沼矛ではないか?と思われているそうです。

≫ ここが国作りの原点だった上立神岩


2.巨大な沼?

上記の話からすれば、
沼矛ぬぼこで搔き回したら沼島ぬしまができた」ってことになります。
実際、イザナギとイザナミが掻き回したのは、
海じゃなくて「沼」だったのかも。

じつは、淡路島あたりを中心として、
瀬戸内海東部から大阪あたりまでの一帯は、
300~200万年前には巨大な湖だったのだそうです。

その後、いったん全域が陸地になったのだと思いますが、

50万年前ごろに、
圧縮されたプレートの褶曲による陥没(向斜)が起き、
まず現在の大阪湾に海水が入り込み、
さらに明石海峡が通じて西の湿地帯だったところが播磨灘になり、
さらに鳴門海峡も通じたことで、
ついに淡路島が本州から切り離されたそうです。
おそらく、それと同時期に沼島も出来たのでしょう。

その意味でいうと、
瀬戸内海の形成は、最初に淡路島の誕生から始まった
…とも言えそうです。

そして、いうまでもないことですが、
交易、防衛、海産資源などの観点からいって、
瀬戸内海がなければヤマト王権も存在しえませんでした。
つまり、ヤマト王権の成立でさえも、
さかのぼれば、すべて淡路島の誕生から始まってる…
ってことです(笑)。

なお、
最初に海水が入った東側(大阪湾側)は水深が深く、
もともと湿地帯だった西側(播磨灘側)は水深が浅いので、
淡路島の東と西では生息する魚の種類が異なり、
さらに南北の狭い海峡も美味しい魚を育てるので、
島の周囲は豊かな海産資源の宝庫になっています。

≫ 大断層「中央構造線」の活動が豊かな瀬戸内海を造った


3.イザナギの御陵と陽のみちしるべ?

案内人が「ここからはスピリチュアルな世界です!」と前置きした後に、
ブラタモリ一行が向かったのは伊弉諾いざなぎ神宮でした。

案内人がわざわざ「スピリチュアルな世界」と前置きしたのは、
きっと「学術的にうさん臭い…」との意味を込めてのことでしょう(笑)。

その神宮の場所には、
かつてイザナギが余生を過ごしたという「幽宮かくりのみや」があり、
イザナギの死後には御陵が営まれ、やがて神社になったそうです。
神社から神宮に昇格したのは昭和29年です。

神宮本殿の下には、
イザナギの陵墓に関係するらしき大きな石がごろごろしてましたが、
なんだか建物の隙間に無造作に積まれてる感じ(笑)。

くわえて、ここの宮司さんは、
神々をつなぐ「陽のみちしるべ」なる説も唱えています。

それによると、この伊弉諾神宮を中心にして、
日出・日没の方角に日本の主要な聖地が立地している…とのこと。
とくに注目すべきなのは、以下の4つです。

冬至日没の方角:高千穂/天野岩戸神社
夏至日没の方角:出雲大社
冬至日出の方角:熊野那智大社
夏至日出の方角:諏訪大社


≫ 淡路島の伊弉諾神宮「陽のみちしるべ」のナゾ

古代人にとっては、
南北線と垂直に交わる東西線よりも、
冬至や夏至のときの太陽の方角こそが重要だったろうから、
そう考えると、
この、いわゆる"レイライン"の話は魅力的なのですが、
それと同時に、いろいろな疑問も生まれてきます。

もし、この話が本当だとすれば、
まず最初に淡路島のイザナギ御陵が存在して、
そのあとに高千穂や出雲や熊野や諏訪の立地を決めた、
…ってことになります。

そして、いちばん最後に、
真東の方角にヤマト王朝(飛鳥藤原京)と伊勢神宮を作ったというわけなのです。

…ほんとかなあ?(笑)

なお、
この説を積極的に報道しているのは産経新聞ですが、
どちらかといえば右寄りの人々に支持される話なのでしょう。


4.ヒルコとえびす様

ここから先は鬼滅がらみの話。

イザナギとイザナミは、
アマテラス・スサノオ・ツクヨミの三貴神のほかに、
カグツチやヒルコといった数多くの神々を生んだのですが、

なかでもヒルコは不具の子だったので、
葦船に入れられて海に流されました。
その後、ヒルコがどうなったのかは分かりません。

以前、こちらの記事に書きましたが、
わたしはヒルコが鬼の先祖ではないかと思っています。
(あくまで鬼滅の物語内の話です…)

上述の伊弉諾神宮の境内には、
ヒルコを祭る岩楠いわくす神社もあります。

しかし、
兵庫県の西宮神社などでは、
「漂着したヒルコ(蛭子)はエビス(恵比寿)になった」
と信じられています。

こういう説は室町時代に広まったそうですが、

やはり淡路島にも、
西宮から「戎えびす舞」という人形芝居が伝わっていて、
いまや五体満足な恵比須さまが大漁祈願や航海安全のために踊っています。

≫ 淡路人形浄瑠璃をもっと知ろう


5.瀬戸内海の製鉄民と鬼師

さて、
瀬戸内海を見わたせる淡路島西岸の「五斗長垣内ごっさかいと遺跡」では、
弥生時代の製鉄炉が確認されています。

ちなみに、
桃太郎のモデルとされる吉備津彦や稚武彦は、
岡山や香川などの瀬戸内海一帯で鬼退治をおこないましたが、
そうした鬼たちも、渡来系の製鉄民だった可能性があります。
(代表的なのは岡山の温羅です)

淡路島において、
すでに弥生時代から鉄が作られていた
のは驚きですが、
もともと弥生人は大陸から来たのですから、
大陸との往来があること自体に不思議はないし、
あるいは、後続の渡来人が、
どこかの段階で製鉄技術をもたらしたのでしょう。

はたして彼らが、
鬼として中央から恐れられていたかどうか、
つまり、ヤマト政権の敵だったか味方だったかは分かりませんが、
いずれにせよ、淡路島の人たちが、
政権にとって無視できない勢力だったのは間違いありません。

≫ 弥生時代の二遺跡、製鉄炉の違いは?



それとはまた違う話ですが、
淡路島には、鬼瓦を作る「鬼師」と呼ばれる人たちもいます。

日本では、奈良時代以前から、
「鬼面」(蓮華文や獣面文)と呼ばれる鬼瓦が作られていました。
淡路島で瓦造りがはじまったのは400年ほど前らしいので、
そんなに古いわけではないのですが、
古代の鬼瓦と瀬戸内海の鬼との関連も気になるところです。

なお、
上述した300万年前の太古の湖底に堆積した粘土は、
淡路島で美しい瓦をつくるのに適しているそうです。





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最終更新日  2021.10.14 00:05:43


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