カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
ラスト公演差し入れは雛あられ 言えぬまま飲み込む恋と雛あられ お雛様見向きもせずにミニ四駆 あと何度行くなと思い雛をだす 雛祭る見つめる先はシルバニア 流し雛目があったのよ、本当よ 春夜のおもちゃ屋プラレールのやわやわ お歯黒のかすかにのぞく雛かな
プレバト俳句。 お題は「おもちゃ屋さんの雛人形」。 今回は、 添削も含めて、全体的にいまひとつの内容でした。 と同時に、 この兼題に対して複雑な気持ちも抱いてしまった。 ◇ 早見あかり。 ラスト公演 差し入れは雛あられ 助詞の「は」を使っていますが、 これは「今日の差し入れは」という限定の意味だと解せる。 もし「の」に置き換えたら、その特別感が薄れてしまうのでしょうね。 ◇ 湘南乃風 HAN-KUN。 言えぬまま飲み込む恋と雛あられ 雛あられ 言えないままの恋ひとつ(添削後) 梅沢は、 「雛あられは飲み込まずに噛めっ!」と怒っていましたが、 雛あられだって、噛んだあとには飲み込むのだから、 べつにそこは問題ないだろうと思います。 ただ、 この「飲み込む」という動詞を、 「恋心」と「雛あられ」とに重ねる掛詞にしたところが、 俳句としては、ちょっとダサいのですね。 その意味では添削のほうがマシだと思います。 ◇ ◇ ここまでは「雛あられ」の句が2つでした。 ここからは「雛人形」の句が5つ。 ダイアン・津田。 あと何度行くなと思い雛をだす 雛をあと何度飾れば嫁に行く(添削後) これがもっともオーソドックスな内容の句。 (それがすなわち「凡人」ということですが) 技術的な難点は、 中七の「思い」が心情と因果関係の説明になってることです。 それはともかく、 先生の直しは、意味がまるで逆になっているので、 この添削はちょっといただけない。 あたかもアラサーの娘にむかって、 「いつになったら嫁ぐのか?はやく嫁にいけ!」 と嫌味を言ってるように読める。 こうなると、 もはや雛祭りは恐怖の儀式でしかありません。 そこまでして雛壇を飾る家があるかは知りませんが。 原句の内容を尊重するのならば、 ぼんぼりに灯せる春のあと幾度 みたいな感じでしょうか。 ◇ 朝日奈央。 雛祭る 見つめる先はシルバニア 雛の顔怖くて雛を見られない(添削後) 雛人形とシルバニア人形が向かい合ってるかと思いきや、 シルバニア人形を見つめているのは作者本人だそうで、 いわく「雛人形は怖くて避けていた」とのこと。 しかも、 おもちゃ売り場ではなく、家の中での情景だそうです. おもちゃ売り場の情景ならば、 雛よりもシルバニアを と云ふ女子おなご のようにも出来るかなと思いますが、 家の中の情景ならば、17音の破調ですが、 雛ひいなを恐れてぬいぐるみを抱く子 のように出来るかもしれません。 なお、先生の添削は、 ただ因果関係を散文で説明したに過ぎず、 およそ俳句と呼べる出来とは思えないし、 なぜ「雛」という語を2度使うのかも分からず、 思わず「雛壇の上にヒヨコでもいるの?」などと勘ぐってしまう。 この添削もいただけません。 ◇ 立川志らく。 流し雛 目があったのよ、本当よ 流される雛と目が合ったと言い張る(添削後) これも雛人形の不気味さや悲しさを詠んだ句です。 そもそも雛祭りの起源は、厄払いとしての流し雛にあるらしい。 先生の添削は、散文的なうえに、 「と」が2度出てくるのが紛らわしいので、 これもあまり良い出来とは思えません。 ためしに17音の破調ですが、 「流し雛は私を見ていた」と泣く としてみました。 ◇ 梅沢富美男。 お歯黒のかすかにのぞく雛かな お歯黒のかすかに雛の笑まひけり(添削後) これは、 内容にも、添削にも、とくに異論はありません。 この句も、 よくいえば雅みやびな光景ではあるけれど、 おそらく現代人は、 お歯黒で笑う人形を「可愛い」とは感じないだろうし、 やはり不気味に思うことのほうが多いんじゃないかと思う。 ◇ ダイアン・ユースケ お雛様見向きもせずにミニ四駆 雛売り場かけぬけミニ四駆売り場(添削後) これはもはや「雛人形には何の興味もない!」という句です(笑)。 女の子だったら面白いのですが、 男の子の話だと知ると、当たり前すぎて拍子が抜ける。 これじゃつまらないので、 娘には雛人形よりミニ四駆 と思わず直したくなりました。 ◇ 「雛あられ」には、 初々しくてキラキラした思い出がともなってますが、 「雛人形」のほうには、 どうも不気味な印象や寂しさがついてまわりますね。 雛人形を《可愛い》《華やか》と感じる人も少ない。 それが現代人の率直な感覚だなァと思いました。 嫁ぐも地獄。嫁がぬも地獄。 結婚も自由に出来ないし、離婚も自由に出来ない。 雛祭りは恐怖の儀式なのかもしれません。 ◇ キスマイ横尾。 春夜のおもちゃ屋 プラレールのやわやわ これは雛祭りとは無関係な句です。 最後のオノマトペについて、 作者自身は「ゆっくりゆっくり」の意味で、 列車の動きを表現したらしいけど、 そう読む人は、たぶんいませんよねえ。 普通に考えれば、 これは「軟性プラスチック」の形容であり、 もしくは「おもちゃの世界」「子供の世界」の形容でしょう。 そういう読みでも成立する…ってことでの昇格ですね。 さらに、 志らくは「ya」の音韻のことも評価していました。 わたしは、それ以上に、 「AのB/CのD」という対句の形式が目についたのですが、 正直、これはあまり好きじゃありません。 その点では「定型で詠め」と言う梅沢の感想に近いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.09 14:45:02
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