カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
忘年会1人のためにラブソングを 初雪やこの恋届け歌にのせ 指先に沈む夕陽やママの冬 ひと晩で忘れるからOK年の暮れ カラオケの二番の途中コート脱ぐ 暖房や(間奏約30秒) 榾の宿主十八番の夢芝居
プレバト俳句。 お題は「カラオケ」。 ◇ 村上佳菜子。 忘年会 1人のためにラブソングを 忘年会 一人のためにラブソングを(添削後) 下6の字余り。 助詞「を」は動詞の省略を意味しています。 単純にいえば「歌う」の省略なのだけど、 印象としては「捧げる」「送る」のニュアンスがあって、 それが心情表現としての度合いを強めている。 客観写生の原則からは逸脱しますが、 むしろ今回はその点が積極的に評価された形。 ◇ 山口もえ。 初雪や この恋届け歌にのせ 初雪に歌うよ この恋よ届け(添削後) これも、 中七・下五は、 客観写生というより心情表現ですが、 それをとおして歌う人物の映像が見える仕組み。 字面だけを読むと、 冬空に向かって歌っている人の姿が見えてきて、 そのほうが神聖な感じで詩情に優れています。 カラオケの場面だと解説されると、 かえって下世話になって詩情が半減する(笑)。 ◇ 徳光和夫。 指先に沈む夕陽や ママの冬 「再会」を絶唱 ママの冬夕陽(添削後a) 「再会」を絶唱 ママの冬夕焼(添削後b) レイザーラモンRGの「北酒場」と同じく、 歌謡曲の五七調をそのまま組み込んだ形ですが、 まあ、「北酒場」ほどのクサさは感じません。 とはいえ、 「受刑者」とか「スナックのママ」とか、 そういう作者の意図までは到底伝わらない。 添削句のほうは、 とりあえず「再会」という曲名を組み込んで、 その言葉の経済効率に託した形ですが… 実際のところ、 「再会」というタイトルの曲は無数に存在するし、 わたし自身、この松尾和子の曲は知らなかったし、 曲名が喚起する力だけに頼るのは難しい。 なので、 かろうじて「絶唱」の一語から、 その暗い意図を汲み取らせる、って作戦ですね。 ◇ 那須川天心。 ひと晩で忘れるからOK 年の暮れ 添削もされないという珍しい才能ナシ(笑)。 「忘年会」という一般概念を、 ダジャレ混じりに説明しただけの句でした。 ◇ 千原ジュニア。 カラオケの二番の途中コート脱ぐ 作者いわく、 カラオケ店に来るやいなや、 コートを脱ぐ間もなく歌いはじめ、 2番を歌ってる途中でようやくコートを脱いだ、 …とのこと。 しかし、 そういう意図まではちょっと読み取れません。 2番の途中で興に乗ってきたのかな… というところまでは読めるけれど、 それまでコートを着てたのは、 たんにカラオケルームが寒かったから? …ぐらいにしか思えない。 まあ、 多様な鑑賞のありうる句だともいえるけど、 人によっては、どこに詩情があるのか分かりにくい。 正直、わたしもよく分かりませんでした。 ◇ フルポン村上。 暖房や (間奏約30秒) 暖房が熱い (間奏30秒)(添削後) わたしはカラオケに行かないからかもしれませんが、 後段の(丸括弧)にどんな意味があるか分からないので、 スタジオで演奏してるようにも見えるし、 カーラジオを聴いてるようにも見えるし、 ライブ会場にいるように見えなくもない。 そのうえで、 「暖房や!」と詠嘆されても、 ちょっと詩情を感じようがありません。 実際、 読んだだけでカラオケの場面だと想像できる人は、 むしろ少数じゃないでしょうか? この欠点は、添削でも解決されていない。 さらに、添削では、 前回のジュニアの句で、 「乾き」を「渇き」と表記したように、 「暑い」を「熱い」と表記して、 そこに主観的な含意を込めています。 これも、 客観写生の原則に反しており、 わたしは、そういう小手先の技法に疑念をおぼえます。 ※追記: あらためて原句を読んでみると、スタジオの場面にせよ、カーラジオを聴いてるにせよ、暖房の効いた空間での《約30秒》の物語は想像できるわけだから、「詩情を感じようがない」ってことはないですね。その点は訂正します。 ◇ 梅沢富美男。 榾ほたの宿 主十八番あるじおはこの夢芝居 榾くべて主十八番は「夢芝居」(添削後a) 榾くべて十八番といふを唸り出す(添削後b) 原句は二句一章です。 上五で温かい光景を大きく描き、 中七・下五で人物にクローズアップしている。 かたや添削句は一句一章。 しかも(添削後a)は、 助詞の「は」を用いることで、 やや俳諧味を感じさせる描き方になっている。 つまり、 「夢芝居」を歌っている人物のことを、 梅沢は感慨をもって眺めているけれど、 先生はやや嘲笑的に描写している感じ。 まあ、 原句をボツにするかどうかは好みの問題でもあるし、 俳句の形としては添削のほうが整ってると思うけど、 けっして原句の出来も悪いわけじゃないし、 すくなくとも添削というのは、 原句の世界観を尊重してなされるべきじゃないかしら? なお、 (添削後b)では「唸る」という動詞を使ってますが、 こうなると、 もはやカラオケではなく、 浄瑠璃もしくは浪花節に見えるので、 原句の意図とはまったく違うものになってしまいます。 ※追記: ルビをふれば問題ないのかもしれませんが、原句は「宿主十八番」と漢字が続いてる欠点もあるし、(クリスマスが近いからかもしれませんが)「主十八番」ってのは、ちょっとキリスト教の讃美歌っぽく見えなくもない(笑)。いずれにせよ「榾の宿」「榾の主」という季語を知らなければ、やや分かりにくい句ではあると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.12.11 12:34:18
[プレバト俳句を添削ごと査定?!] カテゴリの最新記事
|
|