カテゴリ:NHK大河ドラマ
NHK大河「鎌倉殿の13人」。
ついに北条政子の演説が描かれました。 ◇ なぜ彼女の言葉は、 坂東武者たちを奮い立たせたのか。 それは、 「頼朝さまの御恩」うんぬんの話じゃなくて、 結局は、 「西のヤツらにまた馬鹿にされてもいいの?」 ってことだったようです。 その呼びかけへの脊髄反射が、 それまでの内部矛盾をすべて帳消しにして、 ほとんど勢いだけで朝廷打倒へ向かっていく。 現実の歴史なんて、所詮はそんなもんよね。 ◇ 鎌倉幕府は、 まともな政治体制じゃなかったんだと思います。 関東発祥の新選組が、 内ゲバだらけのヤンキー集団にすぎなかったように、 関東に拠点を置いた鎌倉幕府もまた、 内ゲバだらけの広域暴力団にすぎなかった。 三谷幸喜は、 2つの大河ドラマで、その内実を暴いたといえます。 ◇ 頼朝が生きてるあいだは兄弟どうしの殺し合い。 頼朝が死んでからは御家人どうしの殺し合い。 …そして、 義時が執権になったあとも、 口先では「頼朝さまの遺志を継ぐ」と言いながら、 実際には源氏の血筋を容赦なく根絶やしにしていたし、 さらに、 口先では「北条のためだ」と言いながら、 実際には父を追放し、姉妹の子や孫を殺害し、 あげくには妹の実衣まで殺そうとしていました。 頼朝の恐怖政治にも、 ほとんど大義名分なんてなかったけれど、 義時の恐怖政治にも、 やはり大義名分なんてなかったと思う。 ただ、 そのつどそのつど言いがかりをつけては、 目についた政敵を次々に粛清しつづけただけで、 その矛盾した統治理念はロジックが破綻しつづけていた。 いってみれば、 それは田舎ヤクザのあてどない内部抗争だった。 ◇ にもかかわらず、 なぜ承久の乱において御家人たちは団結できたのか。 …これは、 あくまで三谷幸喜の解釈だとは思いますが、 第一の理由は、 妹の実衣を救うために政子が尼将軍になったから。 第二の理由は、 彼女がある種の「関東ナショナリズム」を焚きつけたから、です。 べつに、亡き頼朝さまの御恩が、 「山より高かったから」でも「海より深かったから」でもない。 源氏の血統と遺志を受け継ぐなんてのは、 あくまで後世に語り継ぐためのタテマエにすぎない。 むしろ、 このときに政子が持ち出したのは、 親方の「頼朝さまの遺志」じゃなく、 亡き兄「宗時の野望」だったというべきです。 その野望を御家人たちにも植えつけたわけですね。 坂東武者の世を作る!そのてっぺんに北条が立つ! たしかに、 追討の院宣が出た時点で、 執権=北条義時の名は、 清盛、義経、頼朝に並んで歴史に刻まれるべきだったし、 これまで埋もれがちだったことのほうが不思議だと思う。 トキューサが、 追討令を「記念に欲しい」と言ったのも無理はありません。 記念に取っておけば、 そのうちプレミアがつくかもしれないような文書だし、 追討の院宣って、それぐらい歴史的価値があるといえる。 けれど、 幕府の歴史を正当化していくためには、 やはり北条の名前を目立たせすぎてはいけないし、 朝廷を打ち負かす大義名分も、 あくまで「頼朝さまの遺志に報いる」って建前でなきゃいけない。 そのためにも、政子の演説は、 「山より高い」だの「海より深い」だのって話にしとく必要がある。 そのシナリオを書いたのは大江広元だったわけですね。 大江広元は、 義時を生かすためにこそ、 最後の最後に義時の意思に背いた形になりましたが、 政子は、そのカンペさえも無視して、 関東武士の短絡的なヤンキー魂に火をつけたのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.17 19:28:51
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