カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
冬晴の小樽ことりっぷの折り目 雪道にLINEスタンプバスの跡 音もない銀世界の停留所 寒窓に浮く子どもの絵帰路のバス ズワイガニ無音の宴50分 バス見えてバス停の毛布を畳む 補助席に場札と蜜柑バスの旅
プレバト俳句。 お題は「観光バス」。 ◇ 森迫永依。 冬晴の小樽 ことりっぷの折り目 キスマイ横尾みたいな 、句またがりの対句。 人物のことはどこにも書いてないけど、 ちゃんと若い女性の姿が見えてくるのが巧い。 いまどきの女性の一人旅でしょうか。 冬晴の小樽の清らかさ。 そして何気ない若い女性のふるまい。 それが互いに響き合って、 可愛らしくも端正な印象になってます。 言葉に無駄がなく、詩情も豊かなので、 いちじくの句につづき72点のハイスコアでした。 ◇ 勝村政信。 雪道にLINEスタンプ バスの跡 雪道のLINEスタンプ バスの跡(添削後) よくこれを才能アリにしたなあ…。 わたしなら凡人以下ですね。 この比喩そのものが、 わたしにはよく分からないのだけど、 バスの轍を比喩で表現しただけの一物仕立てを、 二句一章のような形式で書いてるのもイマイチ。 むしろ下7の字余りで、 雪の町 バスの轍はLINEスタンプ と書いたほうがマシだと思います。 でも、見方を変えれば、 前段で比喩の謎かけをして、 後段の種明かしでオチをつける… という自由な「型」なのかもしれません。 ◇ 鈴木絢音。 音もない銀世界の停留所 ふるさとや ぽつんと雪の停留所(添削後a) 失恋や ぽつんと雪の停留所(添削後b) 中6の字足らずですね。 前回の夏井先生の話に則していえば、 この「字足らず」が《ポツンと感》を出してる気はする。 そして「銀世界」を季語相当と見なすことも可能だとは思う。 ただし、 かなり類想感のある情景で、それ以上の具体性に乏しいかな。 ◇ オズワルド畠中。 寒窓かんそうに浮く子どもの絵 帰路のバス 窓に子の落書き 冬の帰路のバス(添削後) たぶん「寒窓」を季語相当と見なすことも可能だとは思う。 けれど、これは「寂しさ」の意味合いをふくむ語なので、 この句の場合にはふさわしくありません。 添削が妥当ですね。 ◇ 篠田麻里子。 ズワイガニ 無音の宴うたげ50分 ずわい蟹食はむ音のみの50分(添削後) 中七の「無音の宴」は比喩的な言い方であって、 客観写生とはいえない。そこが弱い。 なお、 基本的に動植物の季語はカタカナで書かない、とのことです。 ◇ 千原ジュニア。 バス見えてバス停の毛布を畳む 村上が言ったように、 接続助詞の「て」で動詞を2つ繋ぐのは、 時間経過を意味するだけでなく、 経緯や因果の説明になる場合もあるので、 その是非が問題になる。 この句の場合は、 犬山紙子的なモノローグにも見えますね。 ≫ 喪服着てメロンソーダの列に居る ≫ 恋を終わらせ平日の海月見る もうひとつは、 あえて「バス」の語を重ねたことの是非。 同じ語を2度使わなくても、 「バス見えて停留所の毛布を」とも出来るし、 「車両見えバス停の毛布を」のようにも出来ます。 そこをどう評価するか。わたしはやや否定的です。 ◇ フルポン村上。 補助席に場札ばふだと蜜柑 バスの旅 ジュニアが言うように、 すでに上五と中七だけで、 状況説明と主役の季語まで出尽くしているので、 下五の「バスの旅」が付け足しの説明に見える。 たとえば、 「小さきバス」「バスは行く」のように、 あくまで描写的に書くべきだと思います。 なので、わたしならボツにします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.12.18 11:06:34
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