カテゴリ:NHK大河ドラマ
13人とは、
合議制のメンバーの数じゃなく、 義時が殺した人間の数だったのね。 そのなかには頼家も入ってます。 …って政子の前で言っちゃった(笑)。 そして、 義時は、北条政子に殺される。 ◇ 毒を盛ったのは妻。 毒消しを捨てたのは姉。 毒を用意したのは無二の親友。 すごいドラマです(笑)。 なお、 義時が死んだのは、 承久の乱から3年後の1224年。 翌年夏には大江広元と北条政子が相次いで死去。 1239年12月31日に三浦義村が死去し、 Wikipediaには、 「その翌月、ともに北条泰時を支えた時房も義村の後を追うように死去」 …とあります。 そして、泰時は1242年に亡くなっています。 ◇ 鶴丸は、川では死にませんでした。 これはきっと八重の霊力ですね。 八重が亡くなったのとは別の川ですけど! 北条政子も、 「泰時は賢い八重さんの子です」と言って、 このドラマのヒロインが八重だったことを公式認定。 まあ、たしかに八重さんは、 身寄りのない子供たちを育てたりして、 政子と同じように優しい女性だったけれど、 正直、 それほど賢かったというエピソードは思い浮かばない(笑)。 むしろ、賢さという意味では、 比奈さんのほうが賢かったかな、という印象です。 ◇ 運慶はピカソを先取りしていましたね! しかし、 鎌倉時代の人々にキュビズムが理解されるはずもなく(笑)。 あの仏像は捨てちゃったのかしら? いまなら高値がついたでしょうに! その後、運慶は、 縛り上げられてどうなったのでしょう? 一説によると、運慶の没年は1223年12月11日。 義時が死ぬ半年前です…。 殺されたの?千利休みたいに。 ◇ 若き家康が「吾妻鏡」を読んでいましたね!
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最終更新日
2024.06.17 19:29:14
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