カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
春日向カーテンの到着は明日 木の芽冷え青いジャバラで家具包む 新しき庭あたらしき泥の春 春泥を引越し女房おお跨ぎ 校舎裏抱きし犬の目春の月 亡き妻と入学前夜のハイボール 新歓を断る理由春眠し 弟子入りの日墨色の八重桜よ 一年生さいしょのともだちだん子虫 入学や書いては消してわが名前
プレバト俳句の春光戦。 まずは予選Bブロック。 お題は「引っ越し」です。 ◇ 皆藤愛子。 春日向 カーテンの到着は明日 後段は《描写》というより《説明》なのだけれど、 ちゃんと映像が見えてくるところに上手さがあります。 季語との取り合わせが近いとの批判もありうるけど、 そもそも、これは二句一章ではなくて一句一章、 すなわち、 山本健吉がいうところの「主題&細叙的反復」の構成 になっているように見えます。 ◇ キスマイ千賀。 木の芽冷え 青いジャバラで家具包む 木の芽冷え 青いジャバラで包む家具(添削後) 手段の助詞「で」は説明的なので、 わたしはなるべく避けたほうがいいと思っていましたが、 この添削では、それを容認しています。 じつは過去の添削を見ても、 先生は意外に容認しているケースが多いのですよね。 ↓ ポイントでもらひし蛍なほいきる(東国原英夫) 蛾の骸ポイントカードで掬いけり(フルポン村上) クーポンや 浮いたお金で買うアイス(ミキ亜生の添削後) 汁粉缶でさするジーンズ 冬銀河(河野純喜の添削後) バーディで上がる青葉木菟のホール(梅沢富美男の添削後) ※最後の梅沢の句は「手段」ではなく「状態」です。 なぜ先生がこれらを容認しているかといえば、 たんに「言い換えが不可能だから」なのかもしれませんし、 思ったより「で」にかんして容認派なのかもしれません。 わたし自身は、 なるべく「で」を避けたいと思ってるし、 「包丁で大根を」と書くよりも、 「包丁が大根に」とか「包丁を大根に」と書くほうが、 だいぶ描写的になって説明くささを免れると思っている。 とはいえ、ほかに言い換えが不可能なら、 この助詞も容認せざるを得ないとは思います。 今回の千賀の句にかんしていえば、 場所の助詞「に」に置き代えることができます。 実際、 「風呂敷で包む」と手段の助詞を使うよりは、 「風呂敷に包む」と場所の助詞を使うほうが、 やっぱり説明くささを避けられると思う。 これは「袋に入れる」とか「ベッドに寝る」と同じ用法だと思います。 念のために付け加えると、 《手段の助手》を《場所の助詞》に置き代えられるケースは、 ごく限られているはずです。 「ハサミで切る」を「ハサミに切る」とは言い換えられないし、 「電車で行く」を「電車に行く」とは言い換えられません。 なので、これは、 このあいだ先生が言った「動的/静的」の問題、 すなわち、動作場所の「で」/存在場所の「に」の問題とは、 またちょっと次元の違う話です。 ◇ 本上まなみ。 新しき庭 あたらしき泥の春 新しき庭 赴任地は泥の春(添削後) 新しき庭 脱サラの泥の春(添削後) この添削はあきらかにおかしいww おそらく先生は、下五の「泥の春」を、 季語の「春泥」を反転させたものと勘違いしてるんでしょう。 しかし、この句の主題は、 下五の「泥の春」ではなく、 中七から下五にまたがる「あたらしき泥」です。 つまり、引っ越し先の春の庭に、 何か植えるために「あたらしき泥」を敷いた、という句です。 これを「脱サラの泥」「赴任地は泥」などと直したら、 まったく意味不明な句になってしまいますよねww もし先生の意図を活かして添削するなら、 赴任地の庭 あたらしき泥の春 とでも直すしかありません。 まあ、逆にいうなら、 作者の意図の伝わりにくいところが、 原句の欠点なのかもしれません。 ◇ 中田喜子。 春泥を引越し女房おお跨ぎ 引越し女房 春泥をおお跨ぎ(添削後) 引越し女房 いま春泥をおお跨ぎ(添削後) 引越し女房 ほら春泥をおお跨ぎ(添削後) 中七の「引越し女房」という言葉ははじめて知りました。 逞しい古女房のことかと思いきや、新妻のことなのですね。 生き生きした内容が良かっただけに惜しかった。 語順の是非については少し判断に迷ったけど、 たしかに添削のほうが明快だし、 「引っ越し女房」という言葉を知らなければ、 春泥を引越し / 女房おお跨ぎ という句またがりに見えてしまう畏れもある。 なお、「引っ越し女房」を辞書で引くと、 《あたかも他の土地で披露を済ませてきたように装って新所帯をもつ女房》 というのが第一義になってるので、 本来は何かネガティブなニュアンスがあるのかもしれません。 詳しいことはよく分かりませんが。 ◇ 的場浩司。 校舎裏 抱きし犬の目 春の月 抱く犬の目よ 春月の校舎裏(添削後) 原句はあきらかな三段切れなので、 これを句またがりの形に添削したのは妥当です。 ただし、 中七の「抱きし」を「抱く」に直すべきかは疑問。 たしかに、俳句では、 過去形でなく現在形を使うのが基本だけれど、 この場合は「犬」が主語なのか目的語なのか、 かえって読みに迷いが出てしまう。 たとえば「食べる鳥」と書いただけでは、 鳥が餌を食べているのか、 私が鳥を食べようとするのかが分からない。 それと同じように、 たんに「抱く犬」と書いただけでは、 犬が仔を抱いているのか、 私が犬を抱いているのかが分からないのです。 そう考えると、 抱きし犬の目 春月の校舎裏 と過去形のままにしたほうが、 おそらく読みを迷わせずに済むと思う。 ◇ ここからは予選Cブロック。 お題は「入学」です。 ◇ 勝村政信。 亡き妻と入学前夜のハイボール Cブロックは段位の低い人が集まっただけに、 やや迫力に欠けたかな。 勝村にしては珍しく、 セオリーどおりに作って一位になった感じ。 目を引くほど秀でてるとは思わないけれど、 句材そのものには背景と深みがあります。 ◇ 森迫永依。 新歓を断る理由 春眠し かつてフジモンが使った「理由」という語を中七に置いていて、 形式的にもマンモスの句とまったく同じ形になっています。 先生は、前段と後段の因果関係について、 「理由になってるようでなってない」「説明臭は消えている」 と擁護したけれど、 本人自身が「春眠し」を「断る理由」にしたらしいし、 実際に句を読んだ印象としても、 「新入生歓迎会がかったるい」という気分と、 「春眠し」という季語の関係は、 取り合わせとして、やや近すぎる気がします。 ◇ 立川志らく。 弟子入りの日 墨色の八重桜よ 弟子入りの日よ 墨色の八重桜(添削後) 詠嘆の「よ」の位置は、前段か後段かで迷うところ。 たしかに、添削のように、 前段に「よ」を置いたほうがリズム的には整うけれど、 前段は《描写》というより《説明》であって、 そもそも詠嘆すべきものかどうか疑わしい。 中七の「日」を映像として捉えることも不可能じゃないけど、 それならいっそ、 「弟子入りの朝」とか「弟子入りの門」のように、 明確な映像にしたほうがいい気もします。 また、この句の内容なら、 あえて取り合わせにする必要すらないのだから、 弟子入りの日の墨色の八重桜 と、一句一章にまとめてしまうことも可能です。 ◇ 馬場典子。 一年生さいしょのともだちだん子虫 入学の朝 ともだちはだん子虫(添削後) 入学三日目 ともだちはだん子虫(添削後) これも一句一章なのだけれど、 助詞がないために三段切れに見えてしまう。 先生の添削は、 せめて助詞をひとつ入れてリズムを整えたい、 …ってところでしょうか。 ◇ こがけん。 入学や 書いては消してわが名前 一年生 おなまえ書いて消して書く(添削後) 下五の「わが名前」が小学生らしくない、 …ってことで直しが入りました。 ためしに、 大差のない添削案ですけど、 おなまえを書いては直す一年生 としてみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.28 00:57:07
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