カテゴリ:鬼滅の刃と日本の歴史。
1ヶ月ちょっと前になりますが、
東大の研究者が都道府県別の「縄文度」を発表 …というニュースがありました。 以下、NHKの解説から抜粋です。 従来の研究で現代日本人の多くは遺伝子的に1~2割が縄文人由来、8~9割が渡来人由来とされています。今回東大グループは民間の遺伝子検査を受けた全国1万人のデータの分析などから、住んでいる県別の言わば“縄文度”=縄文人由来の遺伝的変異をどれぐらい多く持っているかを初めて明らかにしました。https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/480441.html こちらが都道府県別の「縄文度」を示した地図。 https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2023/8252/ ◇ 四国や近畿の「縄文度」の低さは、 ヤマト王権が弥生系であることを示していますし、 いわゆる神武東征や、四道将軍の動きや、 桃太郎伝承の解明にもつながるかもしれません。 もちろん、 これは邪馬台国論争にも影響する話だと思います。 大陸から渡ってきた弥生系の人々は、 九州に上陸するよりもまず、 まっずぐ瀬戸内海へと入り込んだように見える。 ◇ 一方、 縄文人を列島の周縁に追い詰めたのは、 大伴旅人や坂上田村麻呂だと思いますが、 鎌倉幕府の奥州征伐の影響もあるかもしれません。 そう考えると、 鹿児島や青森の「縄文度」が高いのは想像がつきますし、 そこから海を渡って、 沖縄や北海道にまで逃げのびた縄文人もいるのでしょう。 あるいは、沖縄や北海道には、 はじめから縄文人が先住していたんでしょうか? ◇ しかし、わたしが、 今回の分布図でいちばん興味深いと思ったのは、 ・東日本では太平洋側のほうが「縄文度」が高い ・島根と秋田の「縄文度」が有意に高い ってことです。 坂上田村麻呂の蝦夷討伐にしろ、 源頼朝の奥州征伐にしろ、 征夷大将軍が東国へ進出した際に、 日本海側の人々の抵抗が弱かったのに対して、 太平洋側では、 アテルイとか、奥州藤原氏みたいに、 頑強な抵抗勢力が多かったんだという気がする。 奥州藤原氏は弥生系かもしれませんが、 その統治下の人々の多くは縄文系だったのでは? ◇ かたや、 島根と秋田にかんしては、 日本海側にありながら有意に「縄文度」が高い。 これは第1に、 出雲王権が強力な縄文系であった可能性と、 第2に、 東湖八坂神社の統人行事や、 松本清張の「砂の器」や、 高橋克彦の「東北=出雲説」が暗示しているとおり、 出雲の人々が、国譲りの際に、 秋田のほうまで逃げのびた可能性を感じさせます。 ◇ ◇ ◇ なお、今回の研究では、 縄文人のほうが、 遺伝的に身長が低めで太りやすい体質であり、 血糖値や中性脂肪が上がりやすいと分かったそうです。 弥生人のほうは、 ぜんそくなどアレルギーになりやすいそうです。 なんとなく、わたしは弥生人っぽい?(笑) とくに母方のほうは。 海外では、 ホモサピエンスに交わったネアンデルタール人のことも、 同様の手法で研究されているそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.16 11:50:00
[鬼滅の刃と日本の歴史。] カテゴリの最新記事
|
|