カテゴリ:わたどう~ウチカレ~らんまん!
朝ドラ「らんまん」が終わっちゃった!
終盤の内容はあまりにも濃密で、 内容をフォローするのはなかなか大変でした。 過去のエピソードを回収するだけでなく、 史実をアレンジしながらも、 さまざまな《歴史の諸相》を回収していたからです。 そういう意味では大河ドラマに近かった。 大森美香は、 朝ドラ「あさが来た」のあとに、 大河「青天を衝け」を書きましたけれど、 今後、NHKは、 長田育恵にも同じことを期待するでしょうね。 ◇ 今回の物語は、 「妻に苦労を強いた牧野富太郎」という従来の説を覆し、 「みずから苦労を買って出た牧野寿衛」のイメージを確立しました。 どっちが実情に近いのかは分かりませんが。 でも、 牧野富太郎が「スエコザサ」の学名を与えたという史実が、 物語の結末に力を与えて、その説を補強する形になったと思う。 わたし自身、 「Sasa Suwekoana Makino」という学名を見たら、 それだけでなんか泣けてきます。 なお、 当初は「Sasa Suwekoana Makino」と発表したものの、 のちに鈴木貞夫がアズマザサ(Sasaella ramosa)の変種に分類し直したので、 現在では、 Sasaella ramosa (Makino) Makino var. suwekoana (Makino) Sad.Suzuki という複雑な学名になっているようです。 http://ikimono8000.blog36.fc2.com/blog-entry-3000.html ◇ 最終回は、じんわりとしたエンディングでした。 佐川の分家の人たちとの再会も、 根津の長屋の人たちとの再会も、 母のまつや叔母のみえや聡子との再会も、 神戸の小林一三との邂逅もなかったけれど、 安易な視聴者におもねって、 これ見よがしの大団円にしないところが、 劇作家である長田育恵の、 趣味でもあろうし、矜恃でもあるのでしょうね。 その代わり、 図鑑の「謝辞」に登場人物の名を連ねるという演出。 …渋い!!(笑) ◇ ちなみに、ドラマの万太郎は、 在野の立場で理学博士号を授与されてましたが、 これはすこし史実と違います。 たしかに松村任三(徳永教授のモデル)は、 いったん助手の牧野富太郎を非職にしたけれど、 すぐに牧野は東大の講師として復帰したので、 まったくの在野から理学博士になったのではありません。 でも、そのように描いたほうが、 たしかに牧野富太郎っぽい感じはする。 植物図鑑の完成も、東大の人脈ではなく、 日本各地の在野のネットワークを総動員して実現させた。 そのことが最後の「謝辞」へと繋がるわけですね。 ◇ 東北からムロツヨシと一緒にやってきた鳥羽源蔵も、 そんな在野人脈のひとりだったと思う。
追記1: ドラマに出てきた鳥羽さんは熊本の理科教師だったようです。 たしかにムロツヨシは東北訛りで、鳥羽さんは九州訛りでしたね。
追記2: 熊本の理科教師のモデルは前原勘次郎かもしれません。
また、 長屋のメンバーとしては、 早稲田教授に出世していた丈之助も参戦しました。 かつて寿恵子から喰らった、 「生涯をかけて作品を完結させよ!」との言葉どおりに、 独力でシェイクスピア全集を完結させていました。 さらには、 「早稲田に演劇博物館を作らせる!」と豪語してましたが、 これは早稲田演劇出身の長田育恵にも関係する話。 崖っぷちを生き抜く人間力を描く/長田育恵 丈之助のモデルは坪内逍遥ですが、 ちょうど昭和2年に早稲田の教授職を辞して、 翌年にシェークスピア全集を完結させたのですね。 ◇ ところで、長田育恵は、 植物図鑑の完成を「寿恵子の生前」に間に合わせました。 そこが最終回の大きな焦点だった。 なぜなら、 史実では間に合っていないから。 実際の牧野富太郎の図鑑完成はもっと遅い。 … 牧野寿衛は、 大泉に引っ越してわずか3年後、 夫が理学博士になった翌年に亡くなりました。 坪内逍遥がシェークスピア全集を完結させ、 早稲田がそれを記念して「エンパク」を建てたのも、 寿恵子が亡くなったのと同じ昭和3年です。 しかし、 牧野富太郎の植物図鑑は、 それまでには完成しなかったし、 じつはスエコザサの発表でさえも、 ぎりぎりのところで間に合わなかったらしい。 つまり、長田育恵は、 あえて図鑑の完成とスエコザサの発表を史実より早めて、 この物語の結末をデザインしたわけです。 実在した牧野寿衛が、 図鑑の完成をどれほど待ち望んだかは分からないけど、 せめて夫が「牧野博士」と呼ばれるようになっただけで、 それなりには報われたでしょうか? ◇ 牧野寿衛が亡くなったのは昭和3年。 夫の図鑑が完成したのは昭和15年。 図鑑の完成が遅れた理由は大きく2つ。 ひとつは矢田部良吉の妨害であり、 もうひとつは松村任三の妨害です。 1890年(明治23年)、矢田部教授により植物学教室の出入りを禁じられ、研究の道を断たれてしまい、『日本植物志図篇』の刊行も6巻で中断してしまう。 しかし、ドラマでは、 田邊教授や徳永教授をそこまでの悪者にはしませんでした。 その代わりに焦点を当てたのが「関東大震災」です。 つまり、 大正12年の震災で原稿が焼けた…という設定に作り変えた。 明治から昭和にいたる近代を舞台とする朝ドラは、 通例なら太平洋戦争の悲劇を描くわけですが、 今年は関東大震災から100年という節目なので、 震災を描くのは必須の前提だったし、 それこそが、このドラマの主題だったといえます。 過去の朝ドラの偉人譚にも言えますが、 たんなるサクセスストーリーにするだけが狙いではなかろうし、 そんな安っぽい話で朝ドラが成立するとも思えない。 なので、今回の脚本は、 そこから逆算する形で構成されている。 ◇ 長田育恵は、 関東大震災を描いた第25週で、 過去のエピソードを回収しただけでなく、 いわば《震災の諸相》を回収したのだといえます。 家族の住居を「根津」の長屋に置いたまま、 妻の貸座敷だけを「渋谷」と設定したのは、 東京市内と東京市外の被害の差を描き出すためでした。 ※実際は住居も貸座敷も渋谷にあったので、あまり被害を受けていません。 次女を上野のデパガに設定したのは、 大きな被害のあった上野周辺の状況を伝えさせるため。 虎鉄を神田の印刷所に勤めさせ、 印刷所の主人を「江戸の火消し」に設定したのは、 神田の住民が火災を食い止めた史実を伝えるためでした。 … さらに、 次男を新聞記者と設定したのは、 自警団や陸軍憲兵隊の残虐行為を告発するためでしょう。 ジョン万次郎や、早川逸馬や、 クララローレンスや、旧友の佑一郎をとおして、 争いのない社会と人間の融和を希求したドラマにとって、 この「人災」を告発することも大きな目的だったはず。 ◇ そして、 第25週のサブタイトルは「ムラサキカタバミ」でした。 東日本大震災では、 岩井俊二と菅野よう子によって、 復興ソングの「花は咲く」が作られましたが、 おそらく、そのことを念頭に置いたものですよね。 一般の人間でさえ、 「災害の中でも花が咲く」という事実には心打たれるけど、 長田育恵は、それを植物学者の視点で語らせました。 > 株がひとつでも残っちょったら子株を増やせる。 > 何があったっち、かならず季節はめぐる。 > 生きて根を張っちゅうかぎり、花はまた咲く。 この言葉が、 復興への希望になると同時に、 万太郎が困難をこえて図鑑を完成させる決意になり、 視力を失ってなお「八犬伝」を完成させた馬琴にも重なってくる。 すべてフィクションですが、 物語によって《震災の諸相》を描き出す仕掛けだったと思います。 ◇ 最終話では、 綾の酒造りもついに完成しました! 峰の月を受け継いで「輝峰きほう」としたのですね…。 もちろん、これもフィクションですが。 わたしはちょっと混同してたのだけど、 井上和之助と牧野猶がブリ漁の網元を営んだのは焼津。 それに対して、竹雄と綾が酒造りをしたのは沼津です。 おなじ静岡ではありますが、 焼津から沼津への設定変更にどんな意味があったのか、 考えみても、よく分かりませんでした。 焼津よりも沼津のほうが酒造りが盛んなのかしら? それから、 新酒の名前はもしや「らんまん」か?! …とも思ったのですが、ハズレでした。 調べてみたら、 秋田に「美酒爛漫」が実在するのですね(笑)。 最後のシーンで万太郎が見つけたのは、 山中にひっそりと咲くオオキツネノカミソリ。 すると寿恵子の幻が! キツネだけに?! 故郷でキツネノカミソリを見つけたときには、 祖母がこう言いました。 > 何かを選ぶことは何かを捨てることじゃ。 > ほんなら振りかえりな。 それは祖母のメッセージであると同時に、 牢に見捨ててきた逸馬からのメッセージでもありました。 寿恵子も同じことを伝えようとしたのかもしれません。
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最終更新日
2023.09.30 23:14:02
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