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まいかのあーだこーだ

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2023.10.01
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カテゴリ:NHK大河ドラマ
NHK大河「どうする家康」第36話。

鳥居元忠がなんと千代を妻にしました!
しかも、彼女は「馬場信春の娘」であると。

…ってことは、伏見城の戦いでは、
千代が「松の丸の脆弱性」を予言するのでしょうね。



しかし、案の定、
SNSなどでは自称歴史通の批判が湧いてます。

もちろん、
仮説にもとづくフィクションなのは明らかですが
資料的な反証がなければ、一概に否定はできないはず。

瀬名の「慈愛の国構想」のときもそうでしたが、
残念ながら、今回も有効な反証は見当たらず、
むしろ、お粗末な反論ばかりが目につきます。

上の記事のなかで、渡邊大門は次のように書いています。
千代といえば、かつて武田氏のスパイのような活動をしていた女性である。本当に元忠は大きなリスクを冒してまで、本当に千代を妻として迎えたのだろうか。千代は武田信玄・勝頼父子に仕えていたので、徳川方にとっては厄介な女性だった。仮に事実だったとしても、本当に家康が許してくれるのか疑問である。



しかし、これは、
かなり安っぽい批判だというべきです。

もともと家康は、
「馬場信春の娘」を自分の側室にするつもりでした。
それを鳥居元忠に横取りされてしまったわけです。

なぜ家康は彼女を側室にしようとしたか?
それは旧武田家との結束を強めるべく姻戚関係を望んだから。
すでに武田勢を敵とは見なしていなかった。

そして、
「馬場信春の娘」を元忠に横取りされた家康は、
その代わりとして穴山梅雪の養女・下山殿を側室とします。

つまり、
徳川と武田勢との結びつきは、
馬場信春の娘や穴山の養女を迎えるまでになっていた。
かつてスパイ活動をしていたというのなら、
千代であれ、穴山梅雪であれ、同じことです。

この自称歴史研究家は、
その史実すら知らずに記事を書いているのでしょうか?



さらに、
典型的な批判として次のようなものがある。

しかし、これは、
従来の説にも当てはまる反証にすぎません。

もともと、
千代のモデルの望月千代女は、
「滋野氏の末裔/望月盛時の妻」とされてきました。
望月盛時は、武田信玄の甥ともいわれる人物。

> 馬場信春の娘が歩き巫女のはずがない。
> 鳥居元忠の妻が歩き巫女のはずがない。

という批判は、

> 滋野氏の末裔が歩き巫女のはずがない。
> 望月盛時の妻が歩き巫女のはずがない。

という従来の批判と何ら変わりありません。

しかし、
それがありえたかもしれないからこそ、
彼女の存在は日本史上の謎になっているわけです。

従来説は疑いもなく受け入れるのに、
新しい仮説と見るや頭ごなしに難癖をつけるのでは、
たんなる権威主義というほかありません。



実際、稲垣史生などは、
"武将の妻が巫女のような低い身分と直接関わるとは考えにくい"
として「くノ一説」を唱えました。
しかし、学会では、その俗説のほうが批判されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/望月千代女

そもそも、望月千代女は、
「巫女頭」だったとされているのであって、
彼女自身が末端の歩き巫女だったわけではありません。

それは、ちょうど服部正成が、
忍びを指揮・統率した武将であって、
彼自身が伊賀者ではなかったのと同じことです。




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最終更新日  2024.06.17 19:21:20


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