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NHK大河「どうする家康」第36話。
鳥居元忠がなんと千代を妻にしました! しかも、彼女は「馬場信春の娘」であると。 …ってことは、伏見城の戦いでは、 千代が「松の丸の脆弱性」を予言するのでしょうね。 ◇ しかし、案の定、 SNSなどでは自称歴史通の批判が湧いてます。 もちろん、 仮説にもとづくフィクションなのは明らかですが 資料的な反証がなければ、一概に否定はできないはず。 瀬名の「慈愛の国構想」のときもそうでしたが、 残念ながら、今回も有効な反証は見当たらず、 むしろ、お粗末な反論ばかりが目につきます。
上の記事のなかで、渡邊大門は次のように書いています。 千代といえば、かつて武田氏のスパイのような活動をしていた女性である。本当に元忠は大きなリスクを冒してまで、本当に千代を妻として迎えたのだろうか。千代は武田信玄・勝頼父子に仕えていたので、徳川方にとっては厄介な女性だった。仮に事実だったとしても、本当に家康が許してくれるのか疑問である。 ◇ しかし、これは、 かなり安っぽい批判だというべきです。 もともと家康は、 「馬場信春の娘」を自分の側室にするつもりでした。 それを鳥居元忠に横取りされてしまったわけです。 なぜ家康は彼女を側室にしようとしたか? それは旧武田家との結束を強めるべく姻戚関係を望んだから。 すでに武田勢を敵とは見なしていなかった。 そして、 「馬場信春の娘」を元忠に横取りされた家康は、 その代わりとして穴山梅雪の養女・下山殿を側室とします。 つまり、 徳川と武田勢との結びつきは、 馬場信春の娘や穴山の養女を迎えるまでになっていた。 かつてスパイ活動をしていたというのなら、 千代であれ、穴山梅雪であれ、同じことです。 この自称歴史研究家は、 その史実すら知らずに記事を書いているのでしょうか? ◇ さらに、 典型的な批判として次のようなものがある。
しかし、これは、 従来の説にも当てはまる反証にすぎません。 もともと、 千代のモデルの望月千代女は、 「滋野氏の末裔/望月盛時の妻」とされてきました。 望月盛時は、武田信玄の甥ともいわれる人物。 > 馬場信春の娘が歩き巫女のはずがない。 > 鳥居元忠の妻が歩き巫女のはずがない。 という批判は、 > 滋野氏の末裔が歩き巫女のはずがない。 > 望月盛時の妻が歩き巫女のはずがない。 という従来の批判と何ら変わりありません。 しかし、 それがありえたかもしれないからこそ、 彼女の存在は日本史上の謎になっているわけです。 従来説は疑いもなく受け入れるのに、 新しい仮説と見るや頭ごなしに難癖をつけるのでは、 たんなる権威主義というほかありません。 ◇ 実際、稲垣史生などは、 "武将の妻が巫女のような低い身分と直接関わるとは考えにくい" として「くノ一説」を唱えました。 しかし、学会では、その俗説のほうが批判されています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/望月千代女 そもそも、望月千代女は、 「巫女頭」だったとされているのであって、 彼女自身が末端の歩き巫女だったわけではありません。 それは、ちょうど服部正成が、 忍びを指揮・統率した武将であって、 彼自身が伊賀者ではなかったのと同じことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.17 19:21:20
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