カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
春場所前夜鯛の握りを十五皿 赤貝や父のアガリの緑濃し 鯛掲げ春場所終えし夢をみる ナマモノが苦手な僕は浅利汁 桜鯛皿取り思う宇良ピンク 回転寿司小さき手小さき春を取る 海の陽をたたえて碧し海苔の艶 二周目も取られぬ鮪花曇
2月29日のプレバト俳句。 今回は相撲力士対決。お題は「回転寿司」。 ◇ 梅沢富美男。 海の陽をたたえて碧し 海苔のりの艶 海の陽の香や 軍艦の海苔の艶(添削後) 原句を二句一章と見れば、 A:海が陽光を湛えて青いなあ。ここには海苔のツヤがあるよ。 という意味になるし、 かたや倒置法の一句一章と見れば、 B:海苔のツヤが海の陽を湛えて青いなあ。 という意味になります。 それによって「碧し」の主語が変わる。 また、もともと「湛える」という動詞は、 1.液体を満たす(例:水を湛える) 2.表情を浮かべる(例:笑みを湛える) という意味なので、 一般には「陽を湛える」という言い方をしません。 なので、 この動詞は「讃える/称える」の意味にも誤読できる。 その場合は、 C:海は太陽を讃えて青くなったのだよ。ここには海苔のツヤが見えるよ。 D:海苔のツヤは海の太陽を讃えてこそ青いのだよ。 みたいな擬人化表現とも解釈できる。 おそらく作者は「B」の意図で詠んだのでしょうが、 「海の色を湛えて青い」のならともかく、 「海の"陽"の色を湛えて青い」というのもちょっと奇妙です。 陽の色なら赤やオレンジと考えるのが普通だから。 …察するに、 一方で、陽の光が海苔の「ツヤ」になり、 他方で、海の色が海苔の「青色」になる、 …みたいなイメージなのでしょうが、 そのロジックが字面のうえで混乱をきたしている。 じつは、 動詞を漢字で書き、 「碧し」を連体形にして「海苔」を修飾させ、 海の陽を湛えて碧き海苔の艶 と書けば、上記の問題はおおむね解決するし、 かりに「湛える」という動詞を避けるなら、 海の陽を秘めたる海苔の碧き艶 海の陽を浴びしや 海苔の碧き艶 のような添削案もありえます。 とはいえ、 ジュニアが指摘したとおり、 寿司屋ではなく海辺の場面に見えてしまうし、 先生も「色」の句にするのをやめて、 あっさり「香」の句に改作してしまったのですね。 あくまでも、作者の意図を汲むのなら、 海の陽の記憶 巻き海苔つや碧し あの海の陽よ 巻き海苔の艶碧し のような二句一章にできるかもしれません。 ◇ 湘南乃海。 春場所前夜 鯛たいの握りを十五皿 一山本。 ナマモノが苦手な僕は浅利あさり汁 ナマモノが苦手 浅利汁は熱々(添削後) 前者は70点の才能アリ1位。 後者は40点の凡人4位。 たしかに、 前者のほうが二句一章の俳句らしい体裁に見えるし、 後者は「僕」の主語表記がいかにも散文っぽいけど、 じつは両方とも、 「春場所前夜に鯛の握りを十五皿食べました」 「生ものが苦手な僕は浅利汁をいただきます」 という散文を俳句にしただけで大差がない。 もっといえば、 「春場所前夜なので、縁起のよい鯛の握りを十五皿食べました」 「生ものが苦手なので、火をとおした浅利汁をいただきます」 という因果関係の説明にも見えます。 まあ、前者のほうが、 「縁起ものの鯛」「一場所15日分」 と験ゲンを担いだところに情緒があるとはいえ、 それでも「才能アリ」にふさわしいかは疑問。 なお、 鯛は季語ではありませんが、 「桜鯛」「鯛網」なら晩春の季語。 「黒鯛」なら夏の季語だそうです。 ◇ 御嶽海。 赤貝や 父のアガリの緑濃し 刺身とお茶を写生することによって、 満ち足りた父の様子を描いたのでしょうが、 取り合わせと見れば前段と後段が近すぎる。 むしろ切れ字で詠嘆せずに、 赤貝に父のあがりの緑濃く と一句一章にまとめるべきだと思います。 ◇ 島津海。 鯛掲げ春場所終えし夢をみる 場所終えて掲ぐる鯛や 春の夢(添削後) 夢オチの句は客観写生とはいえないし、 「~し夢をみる」で締める形を認めたら、 いくらでも同じパターンの句が作れてしまいます。 かたや、 添削によって夢が実景になったかどうかは微妙。 ◇ 若元春。 桜鯛 皿取り思う宇良ピンク 桜鯛 宇良の回しのような色(添削後) これも写生ではなく「思ったこと」を書いている。 サッカーに「サムライブルー」があるように、 相撲に「宇良ピンク」なる造語があるかは知らんけど、 寿司ネタを見て力士のまわしを思い浮かべる、 …って発想は、個人的にかなり抵抗を感じます。 「食べ物の季語は美味しそうに詠む」 という原則に抵触してるのでは?? あくまで価値観は人によるだろうけれど。 ◇ 清水アナ。 二周目も取られぬ鮪まぐろ 花曇 これは「鮪」が冬で「花曇」が春の季重なり。 兼題写真がなければ、 回転寿司の場面だとは分かりません。 まぐろ漁船が旋回してるようにも見えるし、 まぐろが回遊してるようにも見える。 鮪を「トロ」「赤身」などと書くことで、 季重なりを回避できるかは賛否が割れるでしょうが、 とりあえず回転寿司の場面だと明示するには、 二周目の赤身の皿や 花曇 中トロの皿は二周目 花曇 のように書けばいいわけですね。 カピカピの不味そうな食べ物と天気の取り合わせ。 季語を不味そうに詠むのでなければ、 ひとつの倦怠感の表現として容認できるでしょうか。
◇ 千原ジュニア。 回転寿司 小さき手小さき春を取る これは文句ありません。 現代の核家族のささやかな幸せを切り取ってる。 それが豊かだといえるかは分からないけれど。 ジュニアの俳句はかなり良くなってますね。 ▽過去の記事はこちら https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.07 14:24:51
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