カテゴリ:鬼滅の刃と日本の歴史。
NHK歴史探偵「平安のスーパースター 空海」を見ました。
今年は空海の生誕1250年にあたるそうです。 大河「光る君へ」も平安時代が舞台ですが、 空海が活躍したのは平安初期で、 藤原道長や紫式部よりも200年ほど前の人です。 774 - 835:空海 966 - 1028:藤原道長 970? - 1014?:紫式部 北海道から鹿児島にいたるまで、 さまざまな空海伝説が3000ほどもあるそうです。 しかし、 その真偽はかならずしも定かでない。 ぶっちゃけ、かなり嘘っぽい(笑)。 番組では、 富山県上市町の護摩堂にある弘法清水を取材してました。 いわく「空海が杖で地面を突いたら水が湧いた」ってやつ。 空海は、 ふつうなら10年はかかる唐での修行を3ヶ月で終え、 日本人ながらも中国密教の正統な伝承者になったほどだから、 さぞかし超人的な能力の持ち主だったのでしょう。 しかしながら、 地面を杖で突いただけで水が湧いたりはしないよね。 そもそも空海が入唐する前の29才(西暦802年)のときに、 ほんとに富山なんぞへ行ったかどうかも疑わしい。 ◇ 番組では言及しませんでしたが、 こうした真偽の怪しい伝説に関連して、 よく知られたものに、 いわゆる《大同2年伝承》の問題がありますよね。 たとえば、 「大同2年に神社仏閣が創建された」 「大同2年に鉱山が開坑された」 「大同2年に火山が噴火した」 「大同2年に温泉が湧いた」 「大同2年に鬼が退治された」 …などの伝承が日本各地に存在しており、 その多くが空海や坂上田村麻呂の事績と結びつけられる。 しかし、考古学的には、ほとんどデタラメっぽい。 大同2年:円仁や空海、坂上田村麻呂に関連した伝承で、この年号がよく使われる。空海が日本に帰国した年がこの年と言われることも多いが、史実としてはっきりとしない。 史実では、 大同2年(807年)の前後に、 坂上田村麻呂や空海にかんする次の事績があります。 延暦17年(798年)坂上田村麻呂が清水寺を建立。 延暦21年(802年)坂上田村麻呂の蝦夷征討によりアテルイが降伏。 弘仁14年(823年)空海が真言宗を立教。 しかし、かつては、 「坂上田村麻呂による清水寺の建立」も、 「空海による真言宗の立教開宗」も、 大同2年(807年)の出来事と考えられたらしい。 中世では清水寺の建立を「大同2年」と説くのが一般化していた。謡曲の『田村』、『花月』、室町物語の『田村草子』では全て大同2年は清水寺の建立に関わる年号とされている。 大同2年、唐で恵果阿闍梨から伝授を受け真言宗第八祖となった弘法大師空海は、京にのぼって平城天皇から真言宗宣布の勅許を得たとの記述が『金剛峯寺建立修行縁起』に登場するそうです。ただ通説では、大同4年7月に太政官符が下るまで空海は太宰府に留め置かれたり和泉の槙尾山寺に滞在したりしていて、上洛していないことになっています。また大同2年11月8日、大和の久米寺で『大日経』を講讃したとされていますが、これもあくまで伝説であるとして学術的にはスルーされているようです。とはいえ、伝統的にはこの「大同2年説」が最も重視されていて、実は高野山でも、明治39年(1906年)に金堂で「弘法大師開宗1100年記念法要」が厳修されたといいます。 ◇ 今回のNHKの番組では、 空海伝説が日本各地に残っている原因として、 のちの高野聖による布教活動を挙げてました。 つまり、彼らこそが、 デタラメな空海伝説を日本中にばらまいたってこと。 でも、たぶん高野聖だけじゃなく、 山伏の影響もありますよね。 奈良時代の南都六宗が「都市仏教」だったのに対し、 平安時代の密教が「山岳仏教」だったこともあり、 それは修験道の形成に大きく関係してるはず。 簡単にいえば、 山の神々を仏教へ統合する神仏習合の過程で、 修験道が体系化されていったのだろうし、 その結果、日本各地の山伏たちも、 密教の伝道者として活動したにちがいない。 ◇ 土着の神々への信仰が、 仏教のシステムを借りることによって、 概念化され、体系化され、歴史化されていったなら、 山伏や高野聖のような密教系の勢力によって、 作為的な「正史編纂」が行われた可能性もあります。 古事記や日本書紀の場合もそうですが、 つねに正史というのは権力者に都合よく記述される。 おそらく日本各地の「大同2年伝承」も、 なんらかの権力側の意図によって作られたのだと思う。 はたして「大同2年伝承」が、 口承史なのか文書史なのかは分からないけれど、 たとえば経典を学んだ密教僧にとって、 土地の歴史を文書化するぐらいは容易だったはずです。 ◇ とくに坂上田村麻呂が平定した蝦夷の地域において、 デタラメな歴史は作り放題だったはず。 大河ドラマ「光る君へ」でも、 都の人々の識字率の低さを紫式部が嘆いてましたが、 蝦夷の人々ならなおのことだったろうし、 そもそも歴史を記述する文化すら存在しなかったでしょう。 おそらく蝦夷の土地の歴史記述は、 坂上田村麻呂による平定以降に始まったのだと思う。 蝦夷の人々にとっても、 仏僧が土地の縁起や由来を文書化してくれることが、 ありがたく思えたのかもしれません。 たとえ、それが権力側に都合のよい捏造だったとしても。 ◇ おそらく「大同2年伝承」は、 すべての歴史を「大同2年に始まった」とする神話であり、 逆にいえば、それまでの土着の歴史を、 すべて「なかったこと」にするような捏造だったでしょう。 それはちょうど、 「ビートルズからすべてが始まった」とか、 「はっぴいえんどから日本のロックが始まった」とか、 そういう神話と同じ発想のものであって、 過去の歴史を「なかったこと」にしたがる人たちは、 いつの時代にも存在するのだろうなと思います。
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最終更新日
2024.07.24 20:33:07
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