カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
雨の森独り空蝉見る少女 春雨や祖父の先ゆくかえる寺 おもい足夕立晴に笑顔かな 夏雨のシーンふと子らの着替え手が伸びる 靡けずも龍成る日を見る鯉のぼれ 断崖は驟雨三分ノーカット 本水の髪ざんばらに夏芝居 額にぽたり緑道の青時雨
5月16日のプレバト俳句。 お題は「雨降りのシーン」。 ◇ 津田寛治。 雨の森 独り空蝉見る少女 ジブリ的なファンタジーっぽいけど、 形式的に瑕疵も過不足もなく整ってます。 ◇ 結城モエ。 春雨や 祖父の先ゆくかえる寺 中七の助詞「の」は、 主格とも連体修飾格とも読めるので、 「私が祖父の先をゆく」 「祖父が私の先をゆく」 という真逆の読み方が出来てしまう。 そのうえ「先逝く」と誤読したら、 どちらかが先に死んで寺に埋葬された、 …みたいな意味になってしまいます。 たとえば、 春雨や 祖父に先立ちかえる寺 春雨や 祖父待たずしてかえる寺 とすれば主語は明確になるけど、 やはり「先に死んだ」という誤読を免れない。 子供らしい口語で、 春雨や 祖父を追い抜きかえる寺 のように書くのがいちばん妥当かもしれません。 ◇ 梅沢富美男。 本水ほんみずの髪ざんばらに 夏芝居 本水の髪ざんばらや 夏芝居(添削後) 前段は「本水の髪がざんばらになった」という意味で、 文法的に間違ってるわけではありませんが、 中七で切れてるのに助詞で繋がるように見えるのです。 じつはこれって、 前回の夏井添削、 教科書を忘れた君と 風薫る と同様の過ちなのよね。 ◇ キスマイ横尾。 断崖は驟雨 三分ノーカット 定型感のある句またがりですが、 切れの位置が分かりにくく「驟雨三分」に見えてしまう。 おそらく前段は、 「断崖の撮影は予期せぬ驟雨だった」 という意味なのだろうけど、 それなら雨が止むのを待つはずだし、 わざわざ短い驟雨の合間に撮影するわけがない。 もしかしたら、 「カットできない撮影の途中で雨が降って来た」 ということかもしれませんが、 その場合は、字余りでも切れ字を加えて、 断崖に驟雨や 三分ノーカット とするほうが明快だし、 さらに「三分」という情報を除いて、 ノーカット撮影 断崖に驟雨 とするほうが、 かえって描写の正確性は増すと思います。 ◇ 笠原将。 靡なびけずも龍成る日を見る 鯉のぼれ 龍と成る日もあり 雨の鯉幟(添削後) だいぶ観念的な内容。 鯉が龍になる「登竜門」の故事にちなんだっぽい。 しかしながら、 上五は、本来なら「靡けずとも」と書くべきだし、 そもそも「靡く」というのは受動的な意味なので、 あまりポジティブな印象の言葉ではないと思う。 中七の「龍成る」も、 「龍が成る」の省略ならともかく、 「龍に成る」「龍と成る」の省略ではありえない。 添削句にかんしては、 龍と成る日を待つ凪の鯉幟 としたほうが作者の意図に寄るのでは?
◇ 高島礼子。 おもい足 夕立晴ゆうだちばれに笑顔かな 重い足 おもい心へ夕立晴ゆだちばれ(添削後) 切れ字の「かな」で締める場合は、 途中で切れを入れるべきではないし、 夕立晴を描写したら「笑顔」と書く必要はない。 なお、 添削句の「重い」と「おもい」は、 なぜ漢字と平仮名を使い分けたのか不明。 ◇ トレエン斎藤。 夏雨かうのシーン ふと子らの着替え 手が伸びる 夏雨なつあめのシーン 子役の着替え手に(添削後) 破調の三段切れ。 とりあえず「子らの着替えに手が伸びる」と書けば、 三段切れが解消されて後段のリズムも整う。 しかし、そもそも、 テレビ画面の季語は鮮度が低いし、 テレビで雨のシーンを見たからといって、 現実には雨が降ってないのだろうから、 子供の着替えを準備する理由が分からない。 原句が意味不明なので、 添削のほうは必然的に改作となってます。 ◇ 清水アナ。 額にぽたり 緑道の青時雨 季語は「青時雨」で夏。 緑の木々から時雨のように頭上に落ちてくる水滴のこと。 これは「青時雨」を説明しただけの句ですね。
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最終更新日
2024.05.23 23:20:49
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