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まいかのあーだこーだ

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2024.07.01
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鬼滅の刃「柱稽古編」が終了。

総じて作画のレベルは高く、
回ごとのバラつきも感じなかったけど、

最終2話はとくに素晴らしくて、

・夜の冷気のなかを無惨が歩いてくる場面
・雪のちらつく中で産屋敷邸が爆発する場面
・無限城へ落下する際の底無しの表現


などは秀逸でしたね。

また、全体をとおして、
このアニメの演出の巧さもあらためて感じました。




この物語は、
「人間の不死願望にどう向き合うか」
という手塚治虫以来のテーマを共有してますが、

最後の無惨と産屋敷の対話で、

鬼の「身体」の永遠性と
人の「精神」の永遠性との闘い


…という構図が明らかになりました。



それから、
わたしが個人的に注目したのは、

産屋敷家の代々の当主が、
神職の家系から妻を迎えてきた…という話。

竈門家が、
カグツチの子孫なのは確かだと思うけど、
産屋敷家もまた、
神々の血を受け継いできたことになる。

つまり、鬼との戦いは、
「仏」ではなく「神」の力でおこなわれてる、
…ということです。



なお、
岩柱の悲鳴嶼行冥は、
浄土真宗の盲僧っぽいのですが、

彼が剃髪をしてないのは、
柳田国男のいう「毛坊主」だからかもしれない。

浄土真宗は、
仏教のなかでは神仏習合の度合いが強く、
もっとも「神」寄りの宗派じゃないかと思います。



わたしは一昨日の記事の中で、
「岸辺露伴はゴシックだ」と話したのだけど、

かりに鬼滅の刃が、
「仏」よりも「神」を重視してるとすれば、
この作品もやはりゴシックだなと感じます。






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最終更新日  2024.07.09 05:20:35


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