テーマ:アニメあれこれ(27170)
カテゴリ:鬼滅の刃と日本の歴史。
鬼滅の刃「柱稽古編」が終了。
総じて作画のレベルは高く、 回ごとのバラつきも感じなかったけど、 最終2話はとくに素晴らしくて、 ・夜の冷気のなかを無惨が歩いてくる場面 ・雪のちらつく中で産屋敷邸が爆発する場面 ・無限城へ落下する際の底無しの表現 などは秀逸でしたね。 また、全体をとおして、 このアニメの演出の巧さもあらためて感じました。 ◇ この物語は、 「人間の不死願望にどう向き合うか」 という手塚治虫以来のテーマを共有してますが、 最後の無惨と産屋敷の対話で、 鬼の「身体」の永遠性と 人の「精神」の永遠性との闘い …という構図が明らかになりました。 ◇ それから、 わたしが個人的に注目したのは、 産屋敷家の代々の当主が、 神職の家系から妻を迎えてきた…という話。 竈門家が、 カグツチの子孫なのは確かだと思うけど、 産屋敷家もまた、 神々の血を受け継いできたことになる。 つまり、鬼との戦いは、 「仏」ではなく「神」の力でおこなわれてる、 …ということです。 ◇ なお、 岩柱の悲鳴嶼行冥は、 浄土真宗の盲僧っぽいのですが、 彼が剃髪をしてないのは、 柳田国男のいう「毛坊主」だからかもしれない。 浄土真宗は、 仏教のなかでは神仏習合の度合いが強く、 もっとも「神」寄りの宗派じゃないかと思います。 ◇ わたしは一昨日の記事の中で、 「岸辺露伴はゴシックだ」と話したのだけど、 かりに鬼滅の刃が、 「仏」よりも「神」を重視してるとすれば、 この作品もやはりゴシックだなと感じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.09 05:20:35
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