カテゴリ:鬼滅の刃と日本の歴史。
NHK究極ガイド「2時間でまわる江の島」を見ました。
知らないことだらけなので勉強になった。 先月は「プラハ編」も放送してたみたい。 見たかったな…。 ちょくちょく再放送すればいいのに! ◇ 1.岩屋二つと山二つ 江の島のいちばん奥には洞窟があって、 その内部は「岩屋」と呼ばれており、 そこが信仰の起点になったのですのね。 洞窟があることすら知らなかった! 第1岩屋と第2岩屋があるらしい… 石灰岩の鍾乳洞じゃなくて、 凝灰砂岩の海蝕洞のようです。 全体的に削られるのではなく、 なぜ細長い穴になるのか不思議。 ◇ Wikipediaによれば、 > 富士山風穴をはじめ、 > 関東各地の洞穴と奥で繋がっているという伝説がある …とのことですが、 たぶん竜宮伝説にも関係があるのだと思う。 竜宮といえば… 弁天橋が江の島に架けられてるイメージは、 彼岸と此岸が結ばれる極楽浄土にも似てます。 かつての鎌倉の永福寺も池に橋が架かる作りだったはず。 でも、調べてみたけど、 思いのほか江の島に浄土宗などの影響は少ないみたい。 なお、 江の島まで橋が架けられたのは明治時代ですが、 トンボロの原理で干潮時に砂州が出現するので、 モンサンミシェルのように歩いて渡れたそうです。 ◇ 岩屋の前には、 波に削られた岩棚(海食台)が広がっており、 これは「稚児ヶ淵」と呼ばれてる。 広重の浮世絵などにも描かれてますが、 そこで子供と遊んだり、釣りをしたり、 酒を飲んだりして、レジャーの場だったみたい。 これらの岩棚は、 関東大震災で2メートルも隆起したそうです。 なお、「稚児ヶ淵」という名称は、 僧侶からのストーカー被害に悩んだ美少年が、 ここから身を投げた…というBL的な話に由来する。
江ノ島は、 上から見ると瓢箪みたいにくびれてるけど、 これは海蝕洞が拡大して崩落してしまったから。 もともとは1つの山だったのに、 2つの山に分かれたような形になってしまった。 くびれた部分はその名も「山二つ」と呼ばれて、 谷あいから海を覗くような面白い景観を生んでます。
2.弁才天と五頭竜 伝承によれば、 西暦552年(欽明天皇13年)に、 弁才天が天女みたいに降臨して江ノ島をつくり、 鎌倉一帯を荒らしていた五頭竜と結ばれたそうな。 西暦700年には役小角が岩屋で修行。 814年には弘法大師空海も岩屋(金窟)で修業してお宮を建て、 それが神仏習合によって金亀山与願寺きんきざんよがんじになった。 いまも第一岩屋の本宮には、 空海が唐から持参したという狛犬みたいな獅子像が鎮座してる。 853年には慈覚大師円仁も岩屋(龍窟)で修業して、 地上のお宮(現在の中津宮)を建てたのですね。
こうした話はすべて、 天台宗の皇慶が1047年に書いたとされる「江島縁起」にある。 弁才天と五頭竜の伝説はもちろん、 役小角や空海や円仁が来たって話も本当かどうかは怪しい。 ぜんぶ皇慶が創作したファンタジーの可能性もある。 なお、 鎌倉の「龍ノ口」や「腰越」などの地名も、 五頭竜伝承に結びついてるそうです。 https://hama-toku.jp/saihakken/03/enoshima/ ◇ 悪神である竜が仏僧に退治されたとか、 改心して仏教に帰依したとかいう話は日本各地にあり、 それらは神仏習合の歴史を物語ってると思いますが、 弁才天と五頭竜が結婚したという話も、 そうしたもののひとつなのでしょうね。 日本書紀では、 欽明天皇13年を仏教伝来(仏教公伝)としてるらしいので、 それに合わせて創作された仏教説話なのでしょう。 いつから弁才天の信仰があったのか知りませんが、 史実では、1182年になって、 源頼朝が真言宗の文覚に命じて弁才天を勧請してる。 いまも辺津宮の奉安殿には、 頼朝が運慶派の仏師に作らせた八臂弁財天像があります。
◇ 1271年、 鎌倉幕府の怒りを買った日蓮上人が、 龍ノ口で処刑されそうになったとき、 江ノ島のほうから「光の玉」が飛んできて、 刀を折って刑を中止させた…という伝説がある。 日蓮宗の龍口寺に伝わる「龍ノ口法難」です。 この光の玉の正体は、 火球だとか落雷だとかいわれたりしますが、 これって「龍燈松」に似てますよね。 海から龍燈が飛んできて松に火を灯すってやつ。 それもまた龍神・龍宮伝承の一種。 実際、稚児ヶ淵のほとりには、 昭和の初めごろまで龍燈松があったっぽい。 http://edomingu.com/enoshimaInformation/ryutomatsuDragonLight.html 3.ゴジラ or ガメラ or キングギドラ 江ノ島の信仰は、 五頭竜(≒キングギドラ?)に結びついてるけど、 空海が創建した「金亀山与願寺」の名称から察するに、 もともとは亀(≒ガメラ?)の信仰があったのかもしれません。 ひょうたん型にくびれた島の形が亀みたいだったからでしょう。 奥津宮拝殿の天井には、 酒井抱一が1803年に描いた「八方睨みの亀」もある。 ちなみに、 ゴジラの語源は「ゴリラ+クジラ」らしいけど、 五頭竜(Godzulyu)の発音は、 ゴジラ(Godzilla)の発音にも似てる…。 現在、第2岩屋には、 ハイテク仕様の竜のオブジェが設置されていて、 参拝者が手を叩くと、その音に反応して、 ゴジラみたいに光りながら咆哮をあげている。
江ノ島にゴリラはいませんが、 かつて相模湾の江ノ島周辺にはクジラが生息して、 三浦浄心や仏教界などの批判にもかかわらず、 組織的な古式捕鯨もおこなわれていた。 思えば、 庵野秀明のシンゴジラは鎌倉に上陸したのだし、 案外、ゴジラのネタ元は、 江ノ島の五頭竜に化けた相模湾の鯨かもしれません…。 現在は、 江ノ島水族館でゴンドウクジラが飼育されてます。
5.弁天小僧と管鍼術 江戸時代、 盲目の鍼師だった杉山和一が岩屋を参拝し、 帰り道で大きな石に躓いて転んだときに、 松葉の入った竹の管を拾ったことから、 いわゆる「管鍼術」の発想を得たとのこと。 彼は徳川綱吉に認められ、 綱吉とともに江ノ島信仰の普及のために尽力。 1689年には、綱吉によって、 中津宮が権現造りの社殿として再建されてます。 なお、 杉山和一を躓かせた石は「福石」と呼ばれてますが、 江戸時代には、 弁才天が福徳神・財宝神として信仰され、 そこから「弁財天」の字を当てるようになったのですね。 杉山和一も弁財天から福を得たといえます。 そういえば、 先日の高橋一生の「バスサンド裏鎌倉」では、 宇賀福神社の銭洗弁天を訪ねてましたが、 江の島の辺津宮にも銭洗弁天があるようです。 ◇ もともと弁才天は琵琶を弾く神様なので、 歌舞伎など芸能にたずさわる人々の信仰も集めた。 中津宮にある2つの石灯籠は、 市村座が1777年に寄進したものと、 中村座が1782年に寄進したものです。 そして1862年には、 中村座で『白浪五人男』が初演されますが、 名ゼリフ「知らざあ言って聞かせやしょう!」 …で有名な弁天小僧は江ノ島出身なのですね。 この芝居は、 ゴレンジャーなどスーパー戦隊ものの元ネタだけど、 サザンの「旅姿六人衆」とは関係ないのかしら? 1789年には、 紀の国屋本店と井上総本舗が、 二色の「女夫めおと饅頭」を販売しはじめる。 女夫めおととは弁財天&五頭竜のことらしい。 6.宗像三女神と江ノ電 明治時代になると、 廃仏毀釈で仏像や仏教施設が破壊され、 金亀山与願寺は仏式を廃して江ノ島神社になり、 さらには弁財天も宗像三女神に置き換えられ、 辺津宮にはタギツヒメが、 中津宮にはイチキシマヒメが、 奥津宮にはタギリヒメがそれぞれ祀られる。 1882年:アイルランド人貿易商サムエル・コッキングが植物園を造営。 1891年:川口村が江の島までの桟橋を架ける。 1902年:江之島電氣鐵道(江ノ電)が開通。 1949年:コンクリート製の橋脚による「江の島弁天橋」が完成。 1951年:読売平和塔(旧江の島灯台)が竣工。 1958年:江の島弁天橋を鉄筋コンクリート製に改修。 1959年:野外エスカレーターの「江の島エスカー」が開設。 1964年:東京五輪のヨット会場にちなみ白灯台(湘南港灯台)が竣工。 2002年:江の島シーキャンドル(新江の島灯台)が竣工。 江ノ電が開通した1902年には、 山二つの付近で中村屋羊羹が開業。 大正になって「海苔羊羹」を商品化。 これが女夫饅頭とならぶ江の島名物に。 江の島グルメといえば「しらす丼」もある。 生シラスの旬は4~5月・7月・10月だそうです。 ◇ シーキャンドルは山上にあって、 展望台もある大きな灯台ですが、 萌歌が写真を撮ってた白灯台は、 東側の護岸にあって車でも行けるっぽいけど、 小さくて上にも昇れないみたい。
1951年に、 植物園の経営が江ノ島鎌倉観光に委託されたとき、 伊豆大島からタイワンリスを連れてきたものの、 台風の際に飼育小屋が壊れて逃げ出し、 弁天橋も超えて鎌倉市内で繁殖するようになったのだと。 先日のバスサンドでは、 裏鎌倉の住宅地にもリスが出没してたけど、 あれが江ノ島から逃げたタイワンリスだったのかしら?
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最終更新日
2024.08.06 23:18:25
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