カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
夏暁の納沙布FMのノイズ 釧路駅知らないコンビニの冷房 宮古島ホースに溜まる水は炎ゆ 舳先より泡盛の神酒一礼す 雨後の虹怒髪ゆるんだ東尋坊 船に群れ海猫の腹蒼々と 荒山の岩間匂うや稚児車 始発待つ素足ぶらぶら大三東 高原に横笛ピュルル夏の空 朝九時のビール塩こぶビリケンはん 熱田守護の亀の蛭剝ぐ炎天下 胎児寝る風鈴数多きゃらきゃらと 峰雲のホッピー通りハイボール 三越の獅子は阿の口夏旺ん 竜飛より海峡見ゆる翌は秋
7月11日のプレバト俳句。 夏の炎帝戦2024。お題は「好きな観光地」。 優勝は特待生になったばかりの蓮見翔でした。 今回は作品数が多いので、 記事は「その1」「その2」に分けます。 ◇ 蓮見翔(北海道・納沙布岬)。 夏暁なつあけの納沙布のさっぷ FMのノイズ 納沙布は日本最東端の岬なので、 夏の朝に日本で最初の日の出を見るのでしょう。 非常に若さを感じる句です。 歳を取ると、 わざわざ日の出を見るだけのために、 未明から車を走らせて、 FMも届かない場所まで行こうと思わない…(^^; 蓮見翔(北海道・釧路)。 釧路駅 知らないコンビニの冷房 釧路と冷房の取り合わせが面白い。 さすがの釧路でも夏は冷房かけるよね、 …とあらためて思わされます。 釧路とコンビニの取り合わせも面白い。 五感で受け止める店内の景色は慣れた日常だろうけど、 観念的な部分で「釧路にいる」ことの非日常性を感じてる。 そういう妙な感覚なのでしょうね。 唯一の欠点は、 上五の「釧路駅」が、 映像でなく状況説明に見えてしまうこと。 ◇ 千原ジュニア(沖縄・宮古島)。 宮古島 ホースに溜まる水は炎もゆ 上五の「宮古島」は、 やはり映像でなく状況説明に見えます。 助詞の「は」を使う必然性も乏しい。 わたしは「水の炎ゆ」で十分だと思うし、 連体形止めで「水炎ゆる」とも、 完了の助動詞で「水炎えり」ともできる。 ◇ 千原ジュニア(沖縄・宮古島)。 舳先へさきより泡盛の神酒みき 一礼す 中七で切って下五に動詞を置いてますが、 2つの場面の取り合わせではないので、 手順の説明をしてるように見えます。 あえて「神酒」と書かずとも察しはつくし、 舳先より泡盛垂らし一礼す のような一句一章にできるのでは? … なお、以前にも、 ジュニアや中田喜子が、 病室の七夕竹に一礼す 盃の富士に一礼 初笑 と「一礼」の句を詠んでますが、 それ自体が芝居じみてて好きじゃないのよねw 映画やテレビドラマを見てても、 登場人物が誰もいないところへ向かって、 別れや感謝の一礼をするシーンがあるけど、 墓前の黙祷や神社の参拝でもなければ、 現実にそんなことする人はいないでしょ! …と思ってしまうし、 なにやら戦前の軍部の敬礼じみた文化も想起させる。 ちなみに、 最初にそういうシーンを観たのは、 河瀬直美の「萌の朱雀」だったと思う。 ◇ 津田寛治(福井・東尋坊)。 雨後の虹 怒髪ゆるんだ東尋坊 雨後の虹 白波ゆるぶ東尋坊(添削後) 雨後じゃない虹があったら持ってこい! 中七の「怒髪」が荒波の比喩だとも分からないし、 なぜこの句で出場できたのか疑問です。 なお、添削句は、 作者の意図を汲むなら、 「白波」より「荒波」を使うべきでしょう。 虹ほのか 荒波ゆるぶ東尋坊 でどうでしょうか。 ◇ 水野真紀(長野・美ヶ原高原)。 高原に横笛ピュルル 夏の空 高原は夏空 横笛のピュルル(添削後) 原句は、 中七で切って下五に季語を置く形。 添削句では語順を変え、 あえて助詞の「は」を使って、 《高原に来たら夏空だった!》 …というニュアンスにしてるけど、 ふつうに「高原の夏空」「夏空の高原」でも成立します。 ◇ ペナルティ・ヒデ(北海道・大雪山)。 荒山の岩間匂ふや 稚児車ちんぐるま 青空や 岩間を匂ふ稚児車(添削後) これも中七で切って下五に季語を置く形。 原句のままでも、さほど悪くはない。 実際に匂ってるのは稚児車でしょうが、 それを「岩間が匂ふ」と表現したのも面白い。 先生は、 「荒山」と「岩間」の情報が重なると言いますが、 津田寛治の「雨後」と「虹」の重複よりはマシw なお、添削句では、 上五で「青空や」と詠嘆してますが、 これは芭蕉の「古池や」と同じ手法。 つまり、上五で季語以外のものを詠嘆してる。 ◇ こがけん(三陸海岸)。 船に群れ海猫の腹蒼々と 舷ふなべりや 腹蒼々と海猫ごめの群むれ(添削後) この添削でも、 上五を「舷や」と詠嘆してます。 先の「青空や」と同じように、 季語でないものを詠嘆してもいいとは思うけど、 ここで「舷」を詠嘆する効果は疑問。 映像としての意味も乏しいし、 まして詠嘆するほどの詩情があるとも思えない。 蓮見翔やジュニアの「釧路駅」「宮古島」のように、 上五に地名を置く場合もそうだけど、 映像としての意味がなければ、たんなる状況説明です。 舷なんぞを詠嘆するより、 むしろ「なぜ海猫の腹が蒼いか」を書くべきだし、 村上も言ってましたが、 この句に「船」の情報は不要だろうと思います。 ためしに、 碧色を腹に映して海猫ごめの群れ としてみました。 ◇ かたせ梨乃(長崎・島原鉄道)。 始発待つ素足ぶらぶら 大三東おおみさき 大三東は「日本一海に近い駅」だそうです。 中七で切って、 下五に季語じゃなく地名を置く形。 芭蕉の「最上川」や子規の「法隆寺」と同じ手法。 上五の場合も、下五の場合も、 季語以外のものでワンカットを作る場合は、 映像として描写する意味があるのかが重要になる。 そうでなければ状況説明に見えてしまう。 この句の場合は、 「海辺の駅」の映像が見えるならアリですね。 ◇ キスマイ千賀(愛知・熱田神宮)。 熱田守護の亀の蛭ひる剝ぐ炎天下 熱田守護なる亀の甲羅の蛭を剝ぐ(添削後) 熱田神宮は霊亀が背負う蓬莱山の上にある、 …という伝承にからめて、 亀のことを守護神と見なしてるのですね。 原句は、 上6の字余りで「蛭」「炎天」の季重なり。 さらに添削句のほうは上7の字余りですが… 作者の話によれば、 あえて「甲羅」に限定する必要はないようだし、 そもそも「熱田守護」という言い方も一般的じゃない。 わざわざ守護神だと説明する必要も感じません。 ふつうに定型で、 亀に付く蛭剥がしたり 熱田宮 とすればいいんじゃないでしょうか。 ※甲羅に限定するなら「亀の背の」とも書けます。 なお、この場合も、 かたせ梨乃の「大三東」と同じように、 下五の地名が、 映像として意味をもつかどうかが重要になる。 ◇ フジモン(大阪・新世界)。 朝九時のビール塩こぶビリケンはん 朝九時のビール塩こぶ阪神帽(添削後) 最後の「ビリケンはん」は、 実景なのか、幻想なのか、比喩なのか、 字面だけでは分からない。 店内にビリケンさんの置物があった、 …という実景なら問題ないと思うけど、 作者の話によれば、 ビリケンさんも客の姿で一緒に飲んでる気がする、 …という幻想だったようです。 ◇ 犬山紙子(静岡・西伊豆宇久須神社)。 胎児寝る 風鈴数多あまたきゃらきゃらと 風鈴のきゃらきゃら 胎児眠らさん(添削後) 原句は胎内の感覚を詠んでますが、 それは実景というべきか心象というべきか、 ちょっと難しいところですよね。 あくまで客観じゃなく主観だし。 その意味では、添削のように、 作者の「眠らさん」という気持ちを詠むほうが自然。 とはいえ、 たくさんの風鈴が一斉に鳴らなければ、 「きゃらきゃら」という音にはならないだろうから、 数の描写は必要じゃないかと思います。 命令形にして、 胎児寝よ あまた風鈴きゃらきゃらと とする手もあるかなあ…。 ◇ ニューヨーク嶋佐(東京・浅草)。 峰雲のホッピー通り ハイボール 欠点とまではいわないけど、 ジュニアが指摘したとおり、 「なぜホッピー通りでハイボール?」 ということの違和感はある。 ホッピー以外の酒を飲む人もいますが、 それをあえて俳句に詠むのは、 滑稽味を狙ってるとも読めるし、 一種の自嘲や皮肉とも読めるし、 ひねくれ者の反骨気取りとも見える。 ◇ フルポン村上(東京・日本橋)。 三越の獅子は阿あの口 夏旺さかん 獅子像の口が「阿」だという発見は凡庸です。 …しかしながら、 季節と無関係なはずの獅子像に対して、 「夏旺んだから阿の口なのだ!」 という因果関係を主張してるなら、 そこに幻想句としての面白さはある。 たとえば、 三越の獅子も阿となる盛夏かな のような書き方もあると思います。 ◇ 梅沢富美男(青森・龍飛崎)。 竜飛たっぴより海峡見ゆる翌あすは秋 季語は「翌は秋」で晩夏です。 とくに添削はありませんでしたが… 本来なら、 竜飛より海峡の見ゆ 翌は秋 と中七を終止形で切るべきでしょ。 そこを連体形で繋いでしまったら、 海峡が見えるのは現在でなく、 翌日の話になってしまうはずです。 なお、 「海峡を見る」「海峡望む」とすれば能動、 「海峡の見ゆ」とすれば受動になりますが、 さすがに「見る」は不要な動詞なので、 風わたる竜飛海峡 翌は秋 のように風を描写する手もあるし、 (「津軽海峡」だとどこに立ってるか分からない) あえて受動で「見ゆ」というなら、 海峡が見えるのは当たり前だから、 竜飛より北州の見ゆ 翌は秋 として対岸の北海道を詠む手もある。 ◇ 残りの11句は「その2」に書きます。 ▽過去の記事はこちら https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.14 22:46:11
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