カテゴリ:鬼滅の刃と日本の歴史。
今年は空海の生誕1250年ってことで、
先日の「歴史探偵」でも空海を取り上げてましたが、 NHKは空海の関連番組をまとめて放送してるのね。 空海ゆかりの京都・神護寺では、 「両界曼荼羅図」の修復が終わったらしいけど、 その神護寺も創建1200年にあたるとのこと。 ◇ 今後も、 Eテレなどで放送予定の番組がありますが、 とりあえず、 わたしが見終わったのは以下の3番組です。 NHKスペシャル「空海の風景」は、 2002年のドキュメンタリーの再放送で、 司馬遼太郎が1975年に書いた小説の映像化です。 ザ・プロファイラー「伝説とともに生き続ける巨人」は、 2016年に放送されたBSの番組。 いとうせいこう&夢枕獏&鈴木蘭々が出演してました。 そして、 国宝へようこその「神護寺編」は今年1月のBSの番組。
◇ それらの番組をとおして、 わたしがいちばん興味を引かれたのは、 司馬遼太郎が書いてる、 空海が蝦夷の血を引いてる…という話です。 まさか香川(讃岐)の人が蝦夷の子孫とは知らなんだ! 空海の父方にあたる佐伯氏はもともと、 ヤマトタケルが東国から連れてきた蝦夷だとの説です。 ◇ 以下は、Wikipediaの記述。 佐伯部さえきべは古代日本における品部の1つであるが、ヤマト王権の拡大過程において東日本を平定する際、捕虜となった現地人(ヤマト王権側からは「蝦夷・毛人」と呼ばれていた)を、近畿地方以西の西日本に移住させて編成したもの。 ちょうど空海の時代にも、 坂上田村麻呂らに敗れた蝦夷たちが、 俘囚として列島各地へ強制移住させられたけど、 それと同じようなことが古墳時代にもあったのね。 ◇ 空海の秀才っぷりは、 学者の家系である母方(=阿刀氏)の血筋だろうけど、 空海はたんなる秀才にはとどまらないし、 その超人性は、むしろ父方の蝦夷の血筋から来てる? …とも思えてくる。 ただし、空海の父方は、 あくまで「佐伯部」を統率した「佐伯直」であって、 それは蝦夷の子孫じゃなく、 むしろ在地の豪族と見なす解釈のほうが有力らしく、 実際のことろ、空海自身も、 蝦夷のことをはげしく侮蔑していたフシがあります。 まあ、よくもわるくも、 蝦夷の文化が空海の近くにあった…とはいえるのかも。 司馬遼太郎が言うように、 そのことは彼の「多言語性」にもつながりますが、 (蝦夷は中央の日本語とは別言語を話してたから) わたしは、それ以上に、 空海の「山岳的資質」につながってる気がします。 ◇ 唐へわたる前の空海は、 都を離れて山伏みたいな修行をしてたし、 唐から持ち帰った彼の密教は、 紀伊半島などの山伏たちを取り込みながら、 修験道を軸とした神仏習合を推し進めていった。 そこにこそ、 わたしは最大の「蝦夷っぽさ」を感じます。 なお、 3年前に放送された「日本人のおなまえっ!」によれば、 奈良時代には、 紀伊半島に「鬼」と恐れられた山伏たちがいたらしい。 そんな山伏たちの棲む世界を、 あえて空海は真言宗の一大拠点にしようと構想した。 そういう山岳的な感性は、 のちの源義経にも通じる部分があると思う。 むろん源氏も王臣子孫だから蝦夷じゃないけど、 空海と義経が、 それぞれ「民衆の伝説」になっていく過程には、 どことなく共通したものがあるのよね。 ◇ ふつうなら、 渡来系の氏族が「崇仏派」! 土着系の氏族が「排仏派」! …みたいに考えがちのように思いますが、 もしかしたら空海は、 土着の蝦夷の子孫でありながら、 (あるいは蝦夷の文化に近い存在でありながら) 日本の仏教化を強力に推進する立役者になった。 それはなぜか?? …そこには空海の真言密教の特殊性があると思います。 空海の開いた真言宗は、 本来の仏教から逸脱するような新しい宗教であり、 奈良の都市仏教(南都六宗)とも異なる山岳仏教だった。 1.煩悩を否定しない宗教 密教は、 人間の煩悩を戒める元来の原始仏教とは異なり、 万物のなかに大日如来を見ようとする宗教であり、 その結果として、 俗人の欲望すらも肯定してしまうような思想です。 そういう多神教的な発想は、 インドのヒンズー教や、中国の道教や、 日本の神道などに近いところがある。 空海が学んだ唐の「青龍寺」は、 ちょっと道教っぽい名前のお寺だなと思うし、 京都の「神護寺」は神道っぽい名前のお寺です。 唐へ渡る前の空海が、 室戸岬の御厨人窟で修行してたときに、 明けの明星が口のなかへ飛び込んで来たって話も、 なんとなく龍燈の伝説に近いものを感じるし、 空海を高野山へ導いたのは丹生明神だった、 …みたいな話もあります。 ◇ とにかく、 真言密教は旧来の仏教から見れば異端であり、 当時としても、けっして主流ではなかったはず。 たとえば、 桓武天皇のお墨つきで入唐した最澄は、 いちおう留学期間の終盤に密教を学んだものの、 それはせいぜいオマケ程度でしかなく、 留学の主要な目的は密教以外のところにあった。 空海の師匠となった青龍寺の恵果は、 唐の3代の皇帝に師と仰がれ、 「三朝の国師」と讃えられるほどだったけど、 空海のほかには弟子に恵まれることなく、 中国本土ではその宗派も途絶えてしまった。 ◇ しかし、その一方、 空海がもちかえった真言密教は、 奈良仏教との差別化を図りたい朝廷の意向に合致し、 さらには修験道の基礎にもなって、 列島各地の山民やまつろわぬ人々をも統合していく。 密教を媒介とする神仏習合は、 かならずしも国家的な政策だったわけではなく、 むしろ自然発生的な民衆運動として進展した面が強い。 それは、密教が、 多神教的な世界観を包摂し、 人間の煩悩を否定しない宗教だったからです。 つまり、人間が生きることを肯定する宗教だった。 その後の鎌倉仏教における、 浄土真宗の悪人正機も、時宗の踊り念仏も、 そういう密教の思想の流れを汲んでる。 空海がもたらした新しい宗教の潮流は、 坂上田村麻呂による蝦夷征伐以上に、 国民社会の統合原理として機能した可能性がある。 2.山伏を取り込んだ仏教 真言宗の高野聖や、 浄土真宗の毛坊主には、 山伏から転身した者が多かったはずです。 彼らは、 真言派であったり、天台派であったり、 はたまた仏僧であったり、神職であったり、 融通無碍で扱いにくい存在でもあったけれど、 必要に応じて空海や円仁の権威を利用しながら、 神仏習合の思想を伝播させるための役割を果たし、 その過程のなかで、 有象無象の伝説を日本中にばらまいたのでしょう。 ◇ もともと山伏は、 山林の自然環境を生き抜いてきた人々で、 山岳資源の活用方法に通じた技能者だった。 農具や建材を造作したり、 水源や温泉を掘り当てたり、 鉄や金銀銅や丹生などの鉱物を扱ったり、 山岳的な知恵と技能を駆使することが出来たし、 薬学や土木工学のような実学の伝道者でもあった。 3.空海伝説は後世の創作 たしかに空海自身も天才的だったと思うけど、 その偉業の多くは死後に実現したものですよね。 空海の生前には、 高野山の都市計画も1/100ほどしか実現してないし、 彼が設立した日本初の私立学校「綜芸種智院」も、 わずかな期間で廃絶して、ほぼ失敗だったといえる。 けっして万能の超人だったわけじゃない。 もちろん日本各地にばらまかれた空海伝説も、 生前の空海が生み出したものではなく、 彼の死後に神仏習合を受け入れた人々の所産です。 つまり、 空海や円仁の権威を利用したい山伏たちと、 その山岳的な知恵と技能に学びつつ、 彼らが語る思想に希望を見出したい人々の、 それぞれの思惑が合致したところに生まれた伝説。 ◇ たとえば大同2年伝承なども、 勝者の歴史観にもとづく改ざんではあるものの、 それは朝廷の意向でも、高野山の意向でもなく、 いわば民衆運動のなせる業だったかもしれません。 思えば、 「ビートルズ神話」や「はっぴいえんど神話」も、 けっして当人たちがでっちあげたわけではなく、 その権威を利用したい人々や、 その威光にあやかりたい人々による捏造なのよね。 … ザ・プロファイラーでは、 鈴木蘭々が「民衆が空海に夢を求めたのだ」と話してた。 民衆が「これなら救われる」という希望をもって仏教のなかに一歩足を踏み入れられるきっかけを作ってくれたのが空海だったような気がします。 これは、かなり空海の本質を言い当ててる。 ◇ ちなみに余談ですが、 高野山の奥の院へむかう参道には、 なぜ真言宗を弾圧した織田信長の墓があるのかしら? …と疑問に思ってるのだけど、 以下の記事に、 そのへんのことが書いてありました。 https://sightsinfo.com/koyasan-yore/okunoin-oda_nobunaga http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-244.html それから、 空海の母の名は「阿古屋あこや御前」って話があるけど、 それって名取川に橋を架けた藤原豊光の娘とは無関係??
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最終更新日
2024.08.06 23:18:33
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