カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
休暇果つ焼豚玉子飯甘し 秋郊のビストロ放し飼いの軍鶏 きょうりゅうのしそんのたまごまくわうり 露葎槌の子誘く卵三つ 曾祖父の出征朱夏の卵焼き ゆで玉子ていねいに剥く台風夜 立秋のたまご水平線の色 3秒でねれる星月夜のボタン ほの青き地鶏の卵秋の宿 なぜぼくは食べられないの星祭 黄身ふるる熱きふわとろ今朝の秋
8月29日のプレバト俳句。 今回は、小中学生との対戦。 西村和子&高野ムツオ&井上康明が、 審査員として参加してました。 お題は「卵」。 プレバト勢も、ちびっこ勢も、 作者の意図と字面の印象がズレてる句が多かった。 結果オーライで評価することも出来るけど、 それは「まぐれ当たり」ともいえるわけだし、 やはり作者の意図を正確に伝える技術は大事です。 ◇ キスマイ横尾。 秋郊しゅうこうのビストロ 放し飼いの軍鶏しゃも 作者も、審査員も、 兼題に沿って「卵料理」の話ばかりしてましたが、 字面から想像されるのは「肉料理」のはずだよね。 作者は「卵料理の高級感」を意図したらしいけど、 むしろ読み手は「肉料理の野性味」を読み取ります。 まあ、結果オーライではあるものの、 名人としての表現力には疑問符がつきます。 ◇ かりんちゃん(中3・大阪)。 休暇果つ 焼豚玉子飯めし甘し 中七の「焼豚玉子飯」は、 愛媛県今治市のソウルフードだそうです。 大阪の子なのに愛媛の料理も知ってるのね。 でも、地元の人でなければ、 夏休みの終わりにそれを食べることの詩情は、 なかなか共感しにくいかもしれません。 ◇ 千原ジュニア。 露葎つゆむぐら 槌の子つちのこ誘そびく卵三みつ 露葎 槌の子誘おびきだす卵(夏井添削)。 子供相手の対戦だってのに、 しかも俳句の内容も子供時代の回想だってのに、 「むぐら」だの「そびく」だのと、 やたらに難しい言葉ばかり並べて、 字面と内容が噛み合ってませんね。 漢字の「ツチノコ」もはじめて見ましたが、 難読な漢字だらけの俳句にしたせいで、 子供のファンタジーの面白さを損なってる。 また、審査員も言ってたとおり、 (たとえそれが実体験だったとしても) 卵が「3個」である必然性は薄い。 きっとツチノコは1匹で来るのだろうから、 卵は3個も要らないよね…っていう。 ◇ 内藤剛志。 ゆで玉子ていねいに剥く台風夜よ ゆで玉子ていねいに剥く台風裡り(西村添削) ゆで玉子ていねいに剥く野分の夜(高野添削) 台風の夜や ていねいに剥く玉子(夏井添削) 添削されましたが、 いままでの内藤の句でいちばん良い出来です。 屋外の暴風と、屋内の静けさ。 家屋に閉じ込められた長い夜の沈黙が伝わってくる。 ◇ ふみかちゃん(小2・埼玉)。 きょうりゅうのしそんのたまご まくわうり てっきり、 「真桑瓜は恐竜の子孫の卵のようだ」 という比喩かと思いきや… 作者の話によると、 恐竜の子孫にあたる鶏の卵があって、 それを真桑瓜に取り合わせた句なのね。 審査員も、すこし誤読してた感じです。 ◇ かいと君(小3・兵庫)。 立秋のたまご 水平線の色 こちらは、ふみかちゃんとは逆で、 「卵」と「海」との取り合わせかと思いきや… 作者の話によると、 海が見えてるわけじゃなく、 「卵の色が海のように青い」という比喩らしい。 審査員も完全に誤読してましたが… まあ、結果オーライでしょうか。 ちなみに、かいと君は、 3秒でねれる星月夜のボタン という過去句も紹介されてました。 押す「ボタン」ではなく、 服の「ボタン」を触りながら寝るのだそうですが、 ファンタジックで面白い内容だし、 9才にして破調を使ってるところが侮れません。 ◇ 梅沢富美男。 ほの青き地鶏の卵 秋の宿 奇しくも、 かいと君と同じで「青い卵」を詠んでる。 ネットで知らべたら、 青い卵を産むのは南米チリの鶏だけらしい。 日本でも普通に流通してるんでしょうか?? なお、 季語の「秋の宿」は歳時記にも載ってますが、 作者の意図した心情を伝えるならば、 あえて「宿の秋」と書いてもいいと思います。 ◇ さなちゃん(中1・愛媛)。 曾祖父の出征 朱夏しゅかの卵焼き 作者によれば、 自分が生まれる前の過去に想いを馳せ、 「曾祖父は出征の日に卵焼きを食べただろう」 と想像したようです。 しかし、字面からは、 前段が《昔話を聞いた場面》 後段が《現在の食卓の場面》 という取り合わせとして読めるし、 実際、そのように読まなれば、 季語の時制が過去になるので鮮度が落ちます。 なお、 中国の五行思想では、 一年の四季や、人生の季節を、 「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」 …のように表現するそうです。 作者は、季語の「朱夏」に、 《夏の太陽》《戦争の血》《日の丸》 などのイメージを重ねたうえで、 「shu」「shu」の頭韻も踏んだとのこと。 読み手しだいでは、 卵の黄身の《赤み》とか、 出征の《赤紙》を想像することも出来ます。 ◇ 中田喜子。 黄身ふるる 熱きふわとろ 今朝の秋 三段切れなのだけど、 上五・中七の「黄身ふるる/熱きふわとろ」は、 (虚子の「何色と問ふ/黄と答ふ」のように) 一連の流れを動画的に描写したようにも見えます。 しかし、作者の話によれば… 生卵の「ふるる」が、 炒り卵の「ふわとろ」に変化したのではなく、 あんかけ卵の「ふわとろ」の上に、 別の生卵の「ふるる」を落としたのだそうです。 したがって、内容的にも三段切れ! また、 作者は「頭韻を踏んだ」と言ってるけど、 擬態語の「ふ」を並べた程度では韻とも呼べない。 ◇ すばる君(小5・岩手)。 なぜぼくは食べられないの 星祭 字面からは、 中七の「食べられない」が、 可能態か受動態かを判別できません。 かりに可能態だとしても、 何を食べられないのかが分からない。 作者自身は、 「卵アレルギー」のことを詠んだそうですが、 審査員の西村和子は、 「貧困で飢えた子供」との解釈をしてました。 一方、わたしは、 可能態ではなく受動態と誤読したのよね。 岩手県の子が「星祭」を詠んでるとあって、 てっきり宮沢賢治的な意味で、 「食べる者」と「食べられる者」の、 食物連鎖の悲しみを仏教的に表現したのかと。 ◇ 清水アナ。 秋風の自転車 卵二個割れた 口語の強みがありますね。 過去形も句またがりもまかり通るから。
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最終更新日
2024.09.05 18:05:08
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