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まいかのあーだこーだ

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2024.09.04
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カテゴリ:NHK大河ドラマ
NHK「歴史探偵」光る君へ~コラボスペシャル2。

今回のドラマによれば、
「源氏物語」を書かせた黒幕は藤原道長であり、
光源氏のモデルは敦康親王になるのだけど…

そのことを史実から裏付けていく内容でした。




道長の狙いは、
娘の彰子に皇太子を産ませること。
紫式部の「源氏物語」は、
一条天皇を通わせるための釣りですよね。

時期的に考えても、
紫式部が「源氏物語」を書きはじめたのは、
彰子が入内した翌年ごろのようです。

しかも、彰子が入内した日に、
ライバルの定子は敦康親王を出産してるから、
焦った道長には切り札が必要だった。



紫式部が「源氏物語」を書くために、
貴重な紙が推定2000枚以上も必要だったらしい。
当時、そんな紙を大量に確保できるのは道長だけ。

そして、道長の狙いどおりに、
紫式部が藤壺に入ったころから、
一条天皇は彰子のもとへ通うようになり、
めでたく彰子は皇太子を産むことになる。

道長の撒いたエサに釣られた形です。

999年11月7日
彰子の入内&定子の出産。
1001年1月13日 
定子が死去。
1001~1002年 
紫式部が「源氏物語」の執筆を開始。
1006年 
紫式部が藤壺に入って彰子付きの女房に。
1007年 
一条天皇が藤壺へ通う。
1008年 
彰子が出産。




ドラマを見てると、
紫式部は現実の宮中をモデルにして書いてるし、
一条天皇も「桐壺帝」は自分のことだと思ってる。

自分の周囲の人間関係がモデルになってるから、
(佐藤二朗の言葉を借りるなら)
彼は「エゴサするような気持ち」で読んでるのね。

道長はあえて、
そんなあざとい物語を書かせることで、
強引に関心を引こうとしたのかもしれません。

案外、
物語の原案を考えたのも道長だったのでは?
…って気がしてきます。



かりに、
「桐壺帝=一条天皇」だとすれば、
「桐壺更衣=定子」ってことになり、
「光源氏=敦康親王」ってことになる。

実際、
後見を失って皇太子の地位が危ぶまれる立場は、
光源氏も、敦康親王も同じです。


桐壺帝が一条天皇
右大臣が道長/弘徽殿女御が彰子
桐壺更衣が定子/光源氏が敦康親王

京都新聞より


そして、その場合、

道長は、
あえてライバルの敦康親王を主役に立てて、
紫式部に物語を書かせたことになりますね。



なお、
光源氏のモデルについては、
従来「源融説」「道長説」などが言われてます。

敦康親王は執筆当時まだ子供だったこともあり、
モデルと考えられることはなかったようです。

主人公の光源氏は架空の人物であるが、さまざまな実在の人物をモデルとした説が唱えられている。最も有力候補で生い立ちや境遇から源融とされている。この他には源融の父親にあたる嵯峨天皇。さらには、木梨軽皇子、宇多天皇、醍醐源氏、敦慶親王、具平親王、藤原道長、源高明、藤原伊周、源光、藤原実方などが挙げられる。平安貴族(在原行平、在原業平、菅原道真など)の故事なども用いて脚色されていると考えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/光源氏


▶ 敦康親王と彰子は『源氏物語』展開になる?
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/252210/
▶ 紙も墨も筆も貴重だった平安時代
https://dot.asahi.com/articles/-/215080



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最終更新日  2024.09.04 09:10:10


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