カテゴリ:NHK大河ドラマ
NHK「歴史探偵」光る君へ~コラボスペシャル2。
今回のドラマによれば、 「源氏物語」を書かせた黒幕は藤原道長であり、 光源氏のモデルは敦康親王になるのだけど… そのことを史実から裏付けていく内容でした。 ◇ 道長の狙いは、 娘の彰子に皇太子を産ませること。 紫式部の「源氏物語」は、 一条天皇を通わせるための釣りですよね。 時期的に考えても、 紫式部が「源氏物語」を書きはじめたのは、 彰子が入内した翌年ごろのようです。 しかも、彰子が入内した日に、 ライバルの定子は敦康親王を出産してるから、 焦った道長には切り札が必要だった。 ◇ 紫式部が「源氏物語」を書くために、 貴重な紙が推定2000枚以上も必要だったらしい。 当時、そんな紙を大量に確保できるのは道長だけ。 そして、道長の狙いどおりに、 紫式部が藤壺に入ったころから、 一条天皇は彰子のもとへ通うようになり、 めでたく彰子は皇太子を産むことになる。 道長の撒いたエサに釣られた形です。 999年11月7日 彰子の入内&定子の出産。 1001年1月13日 定子が死去。 1001~1002年 紫式部が「源氏物語」の執筆を開始。 1006年 紫式部が藤壺に入って彰子付きの女房に。 1007年 一条天皇が藤壺へ通う。 1008年 彰子が出産。 ◇ ドラマを見てると、 紫式部は現実の宮中をモデルにして書いてるし、 一条天皇も「桐壺帝」は自分のことだと思ってる。 自分の周囲の人間関係がモデルになってるから、 (佐藤二朗の言葉を借りるなら) 彼は「エゴサするような気持ち」で読んでるのね。 道長はあえて、 そんなあざとい物語を書かせることで、 強引に関心を引こうとしたのかもしれません。 案外、 物語の原案を考えたのも道長だったのでは? …って気がしてきます。 ◇ かりに、 「桐壺帝=一条天皇」だとすれば、 「桐壺更衣=定子」ってことになり、 「光源氏=敦康親王」ってことになる。 実際、 後見を失って皇太子の地位が危ぶまれる立場は、 光源氏も、敦康親王も同じです。 桐壺帝が一条天皇 右大臣が道長/弘徽殿女御が彰子 桐壺更衣が定子/光源氏が敦康親王 京都新聞より そして、その場合、 道長は、 あえてライバルの敦康親王を主役に立てて、 紫式部に物語を書かせたことになりますね。 ◇ なお、 光源氏のモデルについては、 従来「源融説」「道長説」などが言われてます。 敦康親王は執筆当時まだ子供だったこともあり、 モデルと考えられることはなかったようです。 主人公の光源氏は架空の人物であるが、さまざまな実在の人物をモデルとした説が唱えられている。最も有力候補で生い立ちや境遇から源融とされている。この他には源融の父親にあたる嵯峨天皇。さらには、木梨軽皇子、宇多天皇、醍醐源氏、敦慶親王、具平親王、藤原道長、源高明、藤原伊周、源光、藤原実方などが挙げられる。平安貴族(在原行平、在原業平、菅原道真など)の故事なども用いて脚色されていると考えられている。 ▶ 敦康親王と彰子は『源氏物語』展開になる? https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/252210/ ▶ 紙も墨も筆も貴重だった平安時代 https://dot.asahi.com/articles/-/215080
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最終更新日
2024.09.04 09:10:10
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