カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
三日月や真朱の隠岐に藍の波 長き夜や絵本の丸き角を拭く 灯台の周期星月夜の無辺 待宵のジャングル細切れのラジオ 芝居小屋奈落の闇を虫時雨 朝霧や土の匂いの雲場池 師が逝きひぐらし号泣しております 稲穂波合掌屋根を登りけり 銀杏の実剥き終へ自由になる十指 方向音痴ぐるぐるぐるぐる秋思 外苑はさやか孤食のカチョエペペ
10月3日のプレバト俳句。 金秋戦決勝です。 お題は「自分で撮った写真」。 ◇ 的場浩司。 三日月や 真朱まそほの隠岐おきに藍の波 三日月の白色。 隠岐島の赤色。海の藍色。 作者は波打ち際に立って、 三日月を眺めてるように見えますが、 なぜ《夜の隠岐島が赤い》のかが分からない。 もちろん、 その理由は写真を見れば分かります。 じつは、まだ夜になっておらず、 夕焼け空に三日月が浮かんでるのですね。 そして、作者は、 じつは波打ち際ではなく、 対岸(あるいは船上)から隠岐島を眺めてる。 でも、字面だけを見ると、 悲劇的な歴史を比喩的に「真朱」と詠んだのかしら? …とも解釈できてしまう。 この句が1位だったのは、 写真を見た先入観で評価してるからでしょう。 そうでなければ夕景の句とは分からないと思う。 季語に「三日月」でなく「夕月」を使う手もありますが、 誤読を避けるには、月の描写を諦めて、 夕焼けて隠岐の真朱や 波蒼し とでも書くしかありません。 ◇ フルポン村上。 長き夜よや 絵本の丸き角を拭く なぜ絵本の角は丸いのか? なぜ絵本の角を拭くのか? ちょっと考えさせる内容ですが、 なかなか面白い場面を切り取ってるし、 季語との相性もいいと思います。 けっして悪い出来じゃないけれど、 先生は、 「長き夜」と「絵本」の関係に類想感がある、 …との理由で減点。やや気の毒な気もします。 ◇ 森迫永依。 待宵まつよいのジャングル 細切こまぎれのラジオ 待宵のジャングル 瀕死なるラジオ(添削後) 待宵のジャングル 盗品のラジオ(添削後) 彼女らしいエキゾチックな句材ですね。 これも良い句だと思うけど、 先生は「ジャングルだから電波が弱い」との因果関係を指摘。 そういわれれば、そうだけどね…。 ちなみに、 写真の構図も良いですねェ。 船の上からちゃんと水平に撮れてるし。 ◇ キスマイ千賀。 灯台の周期 星月夜の無辺むへん 灯台の周期 星月夜の深閑(添削後) 原句は、 前段も後段も、 「光」と「空間の広がり」を描写してて、 似たものどうしの取り合わせ。 ちょっとコントラストに乏しいかも。 添削句のほうは、 前段が視覚情報(灯光の動き&彼方まで照らされる空間の広がり) 後段がおもに聴覚情報(星月夜の静けさ) …という取り合わせになってます。 ◇ 梅沢富美男。 芝居小屋 奈落の闇を虫時雨 芝居果てし奈落の土間や 虫の闇(添削後) この句の「奈落」は、 悲劇的状況とか地獄とかではなく、 舞台用語としての床下空間のことなので、 「闇じゃない奈落があったらもってこい!」 …とまでは言えないのだけど、 やはり「奈落」と「闇」の重複感は否めない。 まして「虫時雨」が聞こえるほどだから、 近代的な劇場の床下じゃなく、 粗末な芝居小屋の薄暗い奈落だと想像がつきます。 かたや添削句のほうは、 二句一章にする必然性を感じない。 芝居果てし奈落の土間の虫の闇 芝居果てし奈落の土間に虫時雨 のように書くのが妥当では? ◇ フジモン。 銀杏いちょうの実剥き終へ自由になる十指じっし 銀杏ぎんなんを剥き終へ自由なる十指(添削後) 原句は中8の字余り。 そして「…になる」は、 現在の描写でなく経緯の説明っぽい。 句材はなかなか面白いけどね。 これは添削のほうが妥当です。 ◇ 清水アナ。 朝霧や 土の匂いの雲場池くもばいけ 土匂う朝や 霧立つ雲場池(添削後) 原句も悪くはないけど、 季語の「朝霧」がちょっと「雲場池」に負けてる。 添削句のように書くほうが、 季語の映像が強まって、二物が対等に衝撃し合う。 ただし、 実際に池から匂いがするのなら、 原句のように書くしかない気もするし、 添削句は一種の改作ともいえますが…。 ちなみに、 雲場池は軽井沢にある人造湖。 朝霧の湖面が鏡のように反射して、 これも幻想的で綺麗な写真ですねえ。
◇ 森口瑤子。 方向音痴ぐるぐる ぐるぐる秋思 行く方を失い ぐるぐるぐる秋思(添削後) 彼女の作風といえば作風だけど、 あまりにオノマトペで奇をてらいすぎでは? オノマトペだけで8音も費やしてるし、 しかも「ぐるぐるぐるぐる」でひとまとまりなのか、 方向音痴の「ぐるぐる」と秋思の「ぐるぐる」に分かれるのか、 字面だけでは判別がつかない。 添削のほうは「ぐるぐるぐる」でひとまとまりですが、 やや音数合わせの感もあります。 ◇ 立川志らく。 師が逝き ひぐらし号泣しております しづかなる号泣 ひぐらしに逝きぬ(添削後) これまた作風といえば作風だけど、 やたらと「死」を題材にした句が多すぎる。 原句は4・4・10の破調。 涙も出ない自分の代わりに、 蜩が泣いてるようだった…とのこと。 たしかに蜩の鳴き声が、 驚くほど大きく響いて聞こえることはあるけど、 さすがに「号泣」の擬人化は不相応な感がある。 その一方、 号泣とは「大声を上げて泣く」という意味なので、 添削句の「しづかなる号泣」もあからさまな語義矛盾。 ためしに、 声のなき悲悼を蜩が覆う としてみました。 ◇ 千原ジュニア。 稲穂波 合掌屋根を登りけり 稲穂波 合掌の屋根を登らむ(添削後) 一句一章なら、 A: 稲穂波(が)合掌屋根を登っている(ようだ)。 二句一章なら、 B: 稲穂波が見えるよ。私は合掌屋根を登っているよ。 という意味になります。 作者は「A」のつもりで詠んだらしいけど、 字面だけでは、どちらの意味なのか判別できない。 比喩(擬人化)としても、ちょっと分かりにくい。 また、最後の切れ字も、 気づきの「けり」の用法とは、ややズレますね。 かたや添削句も、 一句一章か二句一章か判別しがたいので、 語順を逆にして、 合掌の屋根を登らむ稲穂波 とするほうが明瞭になるはずです。 ◇ キスマイ横尾。 外苑はさやか 孤食のカチョエペペ 外苑はさやか 一人のカチョエペペ(添削後) 中七の「さやか」は「爽やか」の子季語で秋。 下五の「カチョエペペ」は、 チーズと胡椒のシンプルなパスタで、 その店の味を知る基準のメニューだそうです。 作者は「孤食」という語を、 ポジティブな意味で使ったらしいけど、 その意図はちょっと伝わりにくい。 ▽過去の記事はこちら https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.08 05:45:43
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