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まいかのあーだこーだ

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2024.10.23
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カテゴリ:メディア問題。
10月3日のNHK「The Covers」は中森明菜特集。
ゲストが郷ひろみ。ナレーションが本木雅弘。
どちらも辞めジャニです。

そして、その翌週の「The Covers」は、
よりによって竹内まりや特集。
しかも2週連続で。

山下達郎が中森明菜の「駅」をこき下ろしたのは有名な話。



このNHKの態度は、
バランスが取れてる…と言うべきなのか、
どっちつかずの両義的な方針…と言うべきなのか。

中森明菜の回を総合で放送し、
竹内まりやの回をBSのみで放送したところが、
せめてもの「配慮」かもしれません…。




10月16日には、
旧ジャニーズ事務所(SMILE-UP)から分離した、
スタートエンターテイメントのタレント起用解禁を発表。
そして、
10月20日にはNHKスペシャルが「ジャニー喜多川」特集。

これまた、
バランスが取れてると言うべき…?両義的と言うべき…?

その前の10月14日には、
NHK-FMが例によって大々的な「竹内まりや三昧」を放送。

NHKだけじゃなく、
テレ朝の「EIGHT-JAM」はもちろん、
TOKYO-FMも、ニッポン放送も、読売新聞も、
竹内まりやの特集を組んでます。

ここ数ヶ月は、
竹内まりやのアルバム発売に合わせて、
ドラマやCMのタイアップにも余念がなく、
メディアを利用したプロモーションがおこなわれており、

ミュージックマガジンは、
またしてもスマイルカンパニーの宣伝媒体と化してます。





ジャニタレの多くは被害者でしょうが、

ジャニーズ事務所の権力を利用し、
そのスキャンダルを隠蔽するために、
中森明菜や飯島三智を排除しつつ、
ジャニー喜多川の性犯罪を助長させた点で、
スマイルアップやスマイルカンパニーの首脳陣は、
むしろ加害者だというべきです。

そこには、
小杉理宇造だけでなく、
山下達郎と竹内まりやも含まれる。
彼らはたんなる所属タレントではないからです。




ジャニーズの権力の巨大化は、
80年代のたのきんトリオや光GENJIもさることながら、
何より90年代のSMAPというグループのなせる業でした。

それは彼らのタレント性だけでなく、
彼らを支えた団塊ジュニアの市場の巨大さによるものです。

同時に、
SMAPというグループには、
みずからの《ジャニーズ性》を笑い飛ばす批評性があった。
彼らはバク転の出来ないジャニーズであることを、
ことあるごとに自嘲しました。

こうした自虐的な批評性は、
とりもなおさず団塊ジュニアの文化でもありました。

それを育成したのは、
ジャニーでもなければメリーでもなく、
飯島三智だったのですが、

メリー喜多川は、
その"成果"だけを横取りし、
自らの権力のために利用して貪り尽くし、
挙句の果てには飯島三智を排除して、
グループそのものを破壊してしまった。

それは団塊ジュニアの文化に対する破壊行為でもありました。

結果的に、
SMAPの巨大な影響力は、
ジャニーズのスキャンダルを隠蔽するための、
メディア支配の道具にされてしまった。



山下達郎と竹内まりやも、
こうした団塊ジュニアのマーケットに依存し、
それを利用しながら、
その内心では団塊ジュニアの"批評性"を嫌ってる。

その批評性が彼ら自身に向くことは不都合だから。

メリー喜多川と同様に、
達郎&まりやの場合も、
批評性の強いファン層より、
コントロールしやすい盲目的なファン層のほうが都合がいい。

鈴木おさむは廃業する前に、
「1970年代生まれの団ジュニたちへ」
という連載を書き残しましたが、
まだまだ本当のことを書いてないと思います。



今回のNHKスペシャルによれば、
熊野の高野山での疎開体験が、
ジャニー喜多川のセクシャリティを決定づけたようです。

彼の父親は真言宗の僧侶だった。
ジャニー喜多川へのグルーミングをおこなった人物が、
宿坊や檀家の関係者なのか分かりませんが、

カトリック教会と同じように、
高野山にも男色の文化があるのかしら??
そういえば、南方熊楠も、
男色文化にはただならぬ関心をもってました。

もちろん男色はひとつのセクシャリティであって、
それ自体が犯罪というわけではありません。

ジャニー喜多川の犯罪性は、
あくまでも権力を利用したグルーミングにある。



グルーミングを被害ととらえるのか、
それとも愛情ととらえるのかは、個人によって異なる。

ジャニー喜多川自身も、
高野山でのグルーミング体験を愛情ととらえたのだろうし、

ジャニタレのなかにも、
ジャニー喜多川によるグルーミングを、
愛情ととらえた人たちはいるのでしょう。
そういう認識自体を責めるのは難しい。



ジャニー喜多川の場合、
性的なグルーミングとアイドル育成は表裏一体でした。
それはアイドル適性を測り、養うための去勢訓練でもあった。



ジャニヲタの非モテ女子のなかには、
ジャニタレが恋愛することを許さない人たちがいます。

彼女たちは、
> アイドル稼業はファンとの契約なのだから
> アイドルでいるかぎり恋愛しないのが義務である!

みたいな一方的な論理を平然と口にする。

AKBヲタクの非モテ男子も、
AKBのアイドルが恋愛することを許さない。
秋元康はそれを明確にルール化した。
これはあきらかな人権侵害です。




ジャニタレは非モテ女子の愛玩物。
AKBアイドルは非モテ男子の愛玩物。

彼ら・彼女らは、
アイドル幻想の"奴隷"になることを要求される。
そこに人権侵害の核心があります。

とくに男性アイドルが女子の愛玩物になる場合、
ある種の《去勢》が必要になります。
従順なペットにならなければならないから。

ジャニー喜多川によるグルーミングは、
男性アイドルを去勢するための通過儀礼でした。
つまり、
おじいさんとのセックスを受け入れることで、
はじめて女子の愛玩物になる資格を得るという仕組み。

これはきわめて合理的なシステムだった可能性がある。

したがって、これは、
ジャニー喜多川個人の性癖の問題を超えて、
アイドル消費文化に潜む構造的な問題でもあります。

この点において、SMAPの批評性は、ジャニー喜多川による去勢とは対極的でした。それは飯島三智がSMAPを去勢しなかったから(もしくは去勢された批評性を回復させたから)。…というのが、わたし個人の見立てです。



山下達郎が、
女性アイドルのことを強く否定していたにも関わらず、
男性アイドルのことを肯定したのは奇妙な話です。

山下達郎は、小杉理宇造よりも早く、
すでに中学生のときに初代ジャニーズを発見し、
その魅力にのめり込んでる。
おそらく池袋の名和プロダクション時代のこと。

そんな山下達郎が、
宝塚とジャニーズを合わせて評価したのは不気味でもある。

それは、つまり、
ヘテロセクシャルな文化は否定するのに、
ホモセクシャルな文化は肯定するということ。

シスターフッドやブラザーフッドの文化を評価する、
ということなのかもしれないけれど、
とくにジャニーズ事務所の場合、
犯罪に結びつくセレクシャリティが絡んでいたことを、
山下達郎が知らなかったはずはない。

この謎はまだ解明されていません。

竹内まりやが悪目立ちすればするほど、
この問題は繰り返しクローズアップされることになる。


初代ジャニーズの中谷良による1989年の暴露本。



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最終更新日  2024.10.26 12:04:39


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