テーマ:政治について(20208)
カテゴリ:メディア問題。
10月3日のNHK「The Covers」は中森明菜特集。
ゲストが郷ひろみ。ナレーションが本木雅弘。 どちらも辞めジャニです。 そして、その翌週の「The Covers」は、 よりによって竹内まりや特集。 しかも2週連続で。 山下達郎が中森明菜の「駅」をこき下ろしたのは有名な話。 ◇ このNHKの態度は、 バランスが取れてる…と言うべきなのか、 どっちつかずの両義的な方針…と言うべきなのか。 中森明菜の回を総合で放送し、 竹内まりやの回をBSのみで放送したところが、 せめてもの「配慮」かもしれません…。 ◇ 10月16日には、 旧ジャニーズ事務所(SMILE-UP)から分離した、 スタートエンターテイメントのタレント起用解禁を発表。 そして、 10月20日にはNHKスペシャルが「ジャニー喜多川」特集。 これまた、 バランスが取れてると言うべき…?両義的と言うべき…? その前の10月14日には、 NHK-FMが例によって大々的な「竹内まりや三昧」を放送。 NHKだけじゃなく、 テレ朝の「EIGHT-JAM」はもちろん、 TOKYO-FMも、ニッポン放送も、読売新聞も、 竹内まりやの特集を組んでます。 ここ数ヶ月は、 竹内まりやのアルバム発売に合わせて、 ドラマやCMのタイアップにも余念がなく、 メディアを利用したプロモーションがおこなわれており、 ミュージックマガジンは、 またしてもスマイルカンパニーの宣伝媒体と化してます。 ◇ ジャニタレの多くは被害者でしょうが、 ジャニーズ事務所の権力を利用し、 そのスキャンダルを隠蔽するために、 中森明菜や飯島三智を排除しつつ、 ジャニー喜多川の性犯罪を助長させた点で、 スマイルアップやスマイルカンパニーの首脳陣は、 むしろ加害者だというべきです。 そこには、 小杉理宇造だけでなく、 山下達郎と竹内まりやも含まれる。 彼らはたんなる所属タレントではないからです。
◇ ジャニーズの権力の巨大化は、 80年代のたのきんトリオや光GENJIもさることながら、 何より90年代のSMAPというグループのなせる業でした。 それは彼らのタレント性だけでなく、 彼らを支えた団塊ジュニアの市場の巨大さによるものです。 同時に、 SMAPというグループには、 みずからの《ジャニーズ性》を笑い飛ばす批評性があった。 彼らはバク転の出来ないジャニーズであることを、 ことあるごとに自嘲しました。 こうした自虐的な批評性は、 とりもなおさず団塊ジュニアの文化でもありました。 それを育成したのは、 ジャニーでもなければメリーでもなく、 飯島三智だったのですが、 メリー喜多川は、 その"成果"だけを横取りし、 自らの権力のために利用して貪り尽くし、 挙句の果てには飯島三智を排除して、 グループそのものを破壊してしまった。 それは団塊ジュニアの文化に対する破壊行為でもありました。 結果的に、 SMAPの巨大な影響力は、 ジャニーズのスキャンダルを隠蔽するための、 メディア支配の道具にされてしまった。 ◇ 山下達郎と竹内まりやも、 こうした団塊ジュニアのマーケットに依存し、 それを利用しながら、 その内心では団塊ジュニアの"批評性"を嫌ってる。 その批評性が彼ら自身に向くことは不都合だから。 メリー喜多川と同様に、 達郎&まりやの場合も、 批評性の強いファン層より、 コントロールしやすい盲目的なファン層のほうが都合がいい。 鈴木おさむは廃業する前に、 「1970年代生まれの団ジュニたちへ」 という連載を書き残しましたが、 まだまだ本当のことを書いてないと思います。 ◇ 今回のNHKスペシャルによれば、 熊野の高野山での疎開体験が、 ジャニー喜多川のセクシャリティを決定づけたようです。 彼の父親は真言宗の僧侶だった。 ジャニー喜多川へのグルーミングをおこなった人物が、 宿坊や檀家の関係者なのか分かりませんが、 カトリック教会と同じように、 高野山にも男色の文化があるのかしら?? そういえば、南方熊楠も、 男色文化にはただならぬ関心をもってました。 もちろん男色はひとつのセクシャリティであって、 それ自体が犯罪というわけではありません。 ジャニー喜多川の犯罪性は、 あくまでも権力を利用したグルーミングにある。 ◇ グルーミングを被害ととらえるのか、 それとも愛情ととらえるのかは、個人によって異なる。 ジャニー喜多川自身も、 高野山でのグルーミング体験を愛情ととらえたのだろうし、 ジャニタレのなかにも、 ジャニー喜多川によるグルーミングを、 愛情ととらえた人たちはいるのでしょう。 そういう認識自体を責めるのは難しい。 ◇ ジャニー喜多川の場合、 性的なグルーミングとアイドル育成は表裏一体でした。 それはアイドル適性を測り、養うための去勢訓練でもあった。 … ジャニヲタの非モテ女子のなかには、 ジャニタレが恋愛することを許さない人たちがいます。 彼女たちは、 > アイドル稼業はファンとの契約なのだから > アイドルでいるかぎり恋愛しないのが義務である! みたいな一方的な論理を平然と口にする。 AKBヲタクの非モテ男子も、 AKBのアイドルが恋愛することを許さない。 秋元康はそれを明確にルール化した。 これはあきらかな人権侵害です。
◇ ジャニタレは非モテ女子の愛玩物。 AKBアイドルは非モテ男子の愛玩物。 彼ら・彼女らは、 アイドル幻想の"奴隷"になることを要求される。 そこに人権侵害の核心があります。 とくに男性アイドルが女子の愛玩物になる場合、 ある種の《去勢》が必要になります。 従順なペットにならなければならないから。 ジャニー喜多川によるグルーミングは、 男性アイドルを去勢するための通過儀礼でした。 つまり、 おじいさんとのセックスを受け入れることで、 はじめて女子の愛玩物になる資格を得るという仕組み。 これはきわめて合理的なシステムだった可能性がある。 したがって、これは、 ジャニー喜多川個人の性癖の問題を超えて、 アイドル消費文化に潜む構造的な問題でもあります。 この点において、SMAPの批評性は、ジャニー喜多川による去勢とは対極的でした。それは飯島三智がSMAPを去勢しなかったから(もしくは去勢された批評性を回復させたから)。…というのが、わたし個人の見立てです。 ◇ 山下達郎が、 女性アイドルのことを強く否定していたにも関わらず、 男性アイドルのことを肯定したのは奇妙な話です。 山下達郎は、小杉理宇造よりも早く、 すでに中学生のときに初代ジャニーズを発見し、 その魅力にのめり込んでる。 おそらく池袋の名和プロダクション時代のこと。 そんな山下達郎が、 宝塚とジャニーズを合わせて評価したのは不気味でもある。 それは、つまり、 ヘテロセクシャルな文化は否定するのに、 ホモセクシャルな文化は肯定するということ。 シスターフッドやブラザーフッドの文化を評価する、 ということなのかもしれないけれど、 とくにジャニーズ事務所の場合、 犯罪に結びつくセレクシャリティが絡んでいたことを、 山下達郎が知らなかったはずはない。 この謎はまだ解明されていません。 竹内まりやが悪目立ちすればするほど、 この問題は繰り返しクローズアップされることになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.26 12:04:39
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