究極の短歌・俳句100選「旅と自然」その2:二句一章について。
NHKの完全保存版「絶対覚えておきたい!究極の短歌。俳句100選」。第5回「旅と自然」のつづきです。※今回はとくに名句における「二句一章」について考察しました。◇前田普羅。雪解川ゆきげがわ 名山けづる響かな(昭和戦前)上五でいったん切れているのに、最後にまた切れ字の「かな」で終わらせている。一般のセオリーに反しています。はたしてこれを二句一章と見なすべきでしょうか?本来なら「雪解川の」として中七に繋ぐべきところを、字数の都合で助詞を省いた結果、形式的に二句一章になってしまっただけで、内容的にはワンカットの句というべきではないでしょうか?あるいは、これは、あくまでも取り合わせによる二句一章であり、ちょうど芭蕉の「古池や」と同じように、前段が《視覚》で後段が《聴覚》の二物衝撃なのでしょうか?もしくは、(ビートたけしの「赤信号…」の川柳などもそうですが)体言止めで切った上五は、たんに《題目》のような役割を果たしているだけで、取り合わせや二物衝撃の内容ではない、とも思えます。◇与謝蕪村。春の海 終日ひねもすのたりのたりかな(江戸時代)これまた上五で切って「かな」で終わらせている。したがって、やはり形式的には二句一章です。形どおりに二句一章の内容と考えるなら、「春の海だなあ。私は日がな一日グータラしているよ。」という意味になるはずだし、わたし自身も、今まではそう解釈していました。ところが、番組の解説によると、これはワンカットの内容であって、「春の海が一日中のたりのたりと波打っているよ。」という意味なのだそうです。つまり、あきらかに形式と内容が一致していない!切れが本来の役割を果たしていない!まあ、これも助詞の「の(or が)」を省略しただけで、上五を「切れ」と見るべきではないのかもしれないけど、結果として、わたしのような誤読をする人は少なくないだろうし、かりに、上五を「春の海」と切らずに、「春海の」として中七に繋いでいれば、そういう誤読はありえないはずですよね。…途中で「切れ」があるにもかかわらず、内容的にはワンカット、という作品は、プレバトでもしばしば見受けられますし、じつは名句のなかにさえ存在するのではないかと思う。わたしは、途中で「切れ」が入るならば、それは、すなわち二句一章であり、「取り合わせ」「二物衝撃」だと思っているのだけど、実際は、そのセオリーに反する俳句がかなり多い。正直なところ、「このセオリーをあまり厳密に考えるべきではないのかも」という自覚もわたしの中にうすうすあって、「形式にこだわりすぎると韻文の魅力が損なわれるのかも」という気がしないでもありません。…とはいいつつ、蕪村の「春の海」のように、形式と内容が一致しない句は、ともすれば誤読を招きかねないのだし、やはり「セオリーは大事だな!」と思ってしまいます。追記:上記の蕪村と普羅の句は「かな」で締められているのだから、そこから一句一章だと判断すべきであって、やはり二句一章と考えるのは間違いなのかもしれません。その場合、上五は助詞を省略しているだけで体言止めではない、ということ。◇芥川龍之介。木がらしや 目刺にのこる海のいろ(大正時代)上五で切れていますが、こちらは、お手本のような二物衝撃ですね。寒々とした冬に対して、鮮やかな海の青。さすがに、芥川ともなれば、散文の場合にも、韻文の場合にも、形式をきちんととらえているように見えます。◇野沢凡兆。なが〱と川一筋や 雪の原(江戸時代)こちらは中七で切れています。雪の原のなかに一筋の川が流れているのだけど、視点の変化としてなら、このカット割りは理解できます。◇京極杞陽。蝿とんでくるや 箪笥の角よけて(昭和戦後)これも途中で切れてはいますが、倒置法なので、二句一章ではありません。ちなみに、この句は、「内容が軽すぎてアホっぽい」と、番組の選者のあいだでも評価が割れていました。とくに復本一郎は「読者に媚びているだけ」と否定的でした。とはいえ、ハエの器用な飛び方や方向転換の見事さに感心する、という経験はわたしにもあるし、それもまた俳句らしい気づきだろうとは思います。◇正岡子規。柿くへば鐘が鳴るなり 法隆寺(明治時代)これも中七で切れていますが、やはり内容的にはワンカットの句だと思えるし、これも倒置法というべきなのかもしれません。たとえば、芭蕉が、五月雨をあつめてはやし 最上川と詠んだとき、中七を「はやき」と連体形で繋がずに、あえて終止形にして切れを入れたのは、やはり倒置法の効果を狙ったからだと思います。つまり、「五月雨を集めて速くなってるなあ、最上川が。」という倒置法であって、べつにカットを割って二句一章にしているのではない。子規の句も、(やや無理があるかもしれないど)「柿を食べたら鐘が鳴ったなあ、 法隆寺で。」という倒置法だと解釈できなくはありません。◇松尾芭蕉。閑さや 岩にしみ入蝉の声(江戸時代)前回の「古池や」と同じように、季語ではない語を上五に置いて、切れ字の「や」を用いてカットを割っています。しかし、これもまた倒置法かもしれません。つまり、「閑かだなあ、岩に沁み入る蝉の声が。」という倒置法のワンカットとも見えます。実際、切れをなくして、蝉の音の岩に沁み入る閑さよ と直すことも出来ます。…しかしながら、これをあくまで二句一章と見なすこともできます。というのも、じつは、この句の原型は、山寺や 石にしみつく蝉の声だったらしいのです。これなら二句一章としてカットを分ける必然性がある。ところが、芭蕉はあえて、苔のように「石」の表面に「しみつく」ではなく、波動のように「岩」の深部にまで「しみいる」と表現をあらため、さらには上五に置く名詞を、「山寺」という客観的映像ではなく、「閑さ」という主観的心象に変えたのです。(蝉が鳴いてるのだから、実際に無音であるはずはない)そのうえでなお、二句一章の形式を維持したわけですね。たとえば、雨の音とか、虫の鳴き声とか、街中のBGMとかが耳に入ってこない状態のときはあるし、ふと我に返ったときに、はじめてそれが聞こえてきてハッとすることがあります。そのことを考えると、この句は、やはり「古池や」と同じように、《持続的時間》と《瞬間の驚き》の二物衝撃なのかもしれません。◇飯田龍太。一月の川 一月の谷の中(昭和戦後)これも形式的には「切れ」が入っていますが、全体が一つのセリフのようなので、二句一章とは見えない。わたしには、上から見下ろすようなワンカットの映像が思い浮かびます。ちなみに、この句は、縦に書くと字面が左右対称になって、それがまた一本の細い川のように見える、とのこと。◇高浜虚子。遠山に日の当りたる枯野かな(明治時代)これは、最後を「かな」で締めるセオリー通りのワンカットですね。選者の宇多喜代子は、この句について、「誰の記憶にもある風景」と評価してましたが、わたしにいわせれば、さながらドボルザークが米国にいながらチェコの風景を描いて、そこに日本人が「遠き山に日は落ちて…」と詞をつけるような普遍性だし、裏を返すなら、ちょっと陳腐だなとも思います。◇桂信子。たてよこに富士伸びてゐる夏野かな(平成)これも同じく「かな」で締めたワンカットの句。富士の特筆すべき美しさは、高さよりもむしろ、横の広がりのほうなのですよね。つまり、周囲にほかの山がない、ということ。その偉大さを清々しく描いています。◇後藤夜半。滝の上に水現れて落ちにけり(昭和戦前)これは「滝の水」にかんする一物仕立て。セオリー通りに{主語+述語}を「けり」で締めています。滝を見ているというよりも、ある瞬間に滝の上で盛り上がった「一塊の水」に注目して、その水の固まりが落ちていくまでの時間を目で追っている。それが一種の発見なのでしょうね。ある意味では、滝そのものの描写というより、自分自身の視線移動を描写したような句です。まあ、見方によっては、ハエの句以上にアホっぽい気がしないでもありませんが。◇水原秋桜子。滝落ちて群青世界とどろけり(昭和戦後)やはり末尾を「けり」で締めたワンカットの句。ちなみに、ここで描かれているのは那智の滝だそうです。滝の背後にある、濃密な生命力に満ちた森を、「群青世界」と言い表したのでしょうが、わたしは、正直、なにやら出来合いの表現っぽくてつまらない、と感じました。◇阿波野青畝。水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首(昭和戦後)季語は「蛇」で夏。切れのないワンカットの場面です。蛇の首が鳳凰の首へ向かっていく対称的な相似形が生々しく、その蛇行にあわせて、ぬるく波打っている水もまた生々しい。古色蒼然たる人工物に、鬱蒼たる自然が重ねられ、夏のゆらゆらした生ぬるい情景を切り取っていてリアルです。わたしは、この句がいちばん好きでした。◇追記:そもそも「二句一章」という概念を提唱したのは明治~大正期の大須賀乙字という人で、そのセオリーが影響力をもったのも明治の終わりごろ(たぶん1910年代以降)だと思われます。したがって、江戸時代の芭蕉や蕪村、さらに明治時代の子規ぐらいまでは、「切れ」を用いてはいても、それによって《場面を分ける》とか《カットを割る》という発想はなかったかもしれません。むしろ、ほとんどはワンカットの場面を詠んでいた可能性が高い。俳句の「切れ」が散文で言うところの「句点」に当たるというのは合理的な考えだと思いますが、明治以前の俳句の場合、それが二句一章になってるかどうかは内容ごとに判断するしかないのでしょうね。大正以降でさえ、すべての俳人がこのセオリーに従ったわけでもなかろうと思います。