|
テーマ:「愛」・「命」(2722)
カテゴリ:命・いのち
今朝の街頭演説
毎週水曜日は駅前での街頭演説である 本日のテーマ 「力士死亡・救護の大切さ」 マスコミ等では ビール瓶で殴ったことや金属バットでの殴打を暴行であるとして 非難の応酬であるが 火影はこれは、問題とはしていない。 いずれも致命傷ではなく、死亡の原因とは直接の影響はないと考えるからだ。 ビール瓶による頭蓋骨陥没もなく、目だった出血があったとも聞いていない。 また、金属バットで尻を殴打したことについても、骨盤骨折や内臓破裂にまでいたっておらず、いずれも致命傷ではないようだ。 では何が原因で、死に至ったのか? これは先の日記にも書いたように、今回の死因は 全身打撲による多発外傷性ショック死・心不全ということであるが。 一番の問題とすべきことは、 幼稚な救護措置もしくは救護措置の不作為にあると思う。 ビール瓶も金属バットも直接には関係がない。 30分のぶつかり稽古も、しごきもありうることだ。 しかし、その後のケア・救護措置にいたっては まさに死に掛けの人間を、死に追いやる。または放置があったことが明らかになってきた。 気が付かぬから、水をかけ 体温が下がったからと、ふろの湯につける そのあと、兄弟子たちを遠ざけ、現場を見られないようにするなど、 救護した形跡がまったくない。 稽古の後。壁にもたれていたという。まだ息はあったのだ。 そして顔色が土気色になったというが、かなりの時間が、救護もなく無為な時間を消費したことが予想される。 スポーツの中でもプロ中のプロであり伝統ある相撲の世界。 その養成者である部屋師匠が 何の救護措置もとらなかったとは、にわかに信じがたい。 プロであるから、鍛錬時にも、まさに命がけの肉体の限界まで踏み込むことは多々ありうることだと、予想はしているが。 それと同時に、限界を超えるなど、何かあったときは、きちんとアフターケア行動をとるものと考えていたからだ。 瀕死・・・・仮死状態から真死へと 命を失いつつある者を目の前にしているのに、何の救護措置も取らず。 事後の身の保全を考えるひまがあるのなら、 なぜ 目の前の命を救おうとしない! 愚かなり。 それとも かの時津風親方は、救護措置に無知であったのだろうか。 それではプロの名が泣く。 同時に、いざという事態に対応できなかった 彼に対し 救護の心を教育できなかった社会にも 責任がある。 火影は主張する。 命を救えてこそ、一人前の大人であると。 無為徒労に、失われつつある命を見過ごす者は、赤子であり、大人ではない。 20歳の日成人式には AED(自動体外式除細動器)の取り扱いなど、救急講習会を開催すべきである。 それをマスターして、命を救う能力を持って、初めて大人になったと認められるべきだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[命・いのち] カテゴリの最新記事
|
|