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テーマ:私の好きな歴史の話(182)
カテゴリ:政治・火影内閣
ロヒンギャ問題についての歴史的考察と英国による悪魔政策 ① 現在ロヒンギャの住む地域はミャンマー西部のラカイン州である。 しかし、英国植民地になる前の歴史を調べてみると、アラカン王国という名が見られ、交易で繁栄した仏教国で、ミャンマー王国の一部となっていることが分かった。 宗教にしろ歴史的な経緯にしろ現在のロヒンギャと関連付けるものはない。 ② つぎにミャンマー人がロヒンギャを嫌う理由について述べる。これは宗教の問題ではない。 ミャンマーを征服するため、英国の指揮下のもと外人部隊すなわち旧インド植民地傭兵部隊が国境のアラカン王国を蹂躙しミャンマーに攻め入っている。 三度にわたる侵略戦争の結果、ミャンマー国王がインドに追放され、続発するミャマー人の抵抗や反乱に対する弾圧も凄惨極まるもので多数の民間人が殺されている。 その後、多数のインド人やベンガル人を移住させ、一部の山岳民族やキリスト教徒などを役人、警察官、植民地兵として登用し支配させた上、ミャンマー人には決して武器を持たせないようにしている。 いわば奴隷化したのである。 さらに、ミャンマー人の会社設立を禁止するなど経済力まで奪い去り、貧民化を進めている。 ミャンマーの国民感情としての反発を、英国人に対してではなくインド人・ベンガル人・山岳民族などに振り向ける陰湿なやり方である。 ③ 英国のインド侵略以降の経過を見ると、異なる宗派や部族や当時の支配者藩王(マハラジャ)を巧みに争わせ、内戦を誘導して弱ったところを英国正規軍で占領するという悪魔政策で、大国インドをわがものにしている。 ちなみに中東においても「映画アラビアのロレンス(大佐)」でよく知られた諜報戦で、大国オスマン帝国内に内戦を誘発させている。 しかし、独立の際に多数派のヒンズー教徒と衝突し、イスラム教徒は東と西に分かれ、東西のパキスタンとして別個に独立することになった。 そして、1971年ベンガル語を公用語とした東パキスタンがバングラデシュとして新たに独立している。 ④ アワミ連盟ラーマン党首の独立宣言
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最終更新日
2020年06月18日 11時31分33秒
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