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黄砂霞陽光モクレンコブシ雪柳
2010.03.17
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ソロモンの教えとか詩篇をあらためて読んでいるとそこにある知恵にあらためて感心させられるしかし一方でオカルト的な物語はせっかくの知恵を台無しにさせる玉石混合だユダヤ教観やイエス観は人生の見方を暗くする人類はそもそもがエデン追放から始まるカインの末裔なのだからそういう出発点のアイデアが好きではない創造主はよくて、悪いのは人間だというのも好きではないそもそも善とか悪という2つの概念が好きではないそのアイデアをすすめていけば袋小路か精神分裂か悲劇が終点となる もっとおおらかでいいではないかここに地球や宇宙があって人類がいるそしてぼくがいるぼくには脳があって、脳が産み出す感情にはぼくなりの特性があってその比率はたぶん人類共通のもが90%で残りが個性といわれるものだろうがその特性を充分味わうためのひとつの在り方が見出せるぼくがいちばん味わい深く思う感情のあり方を極めていくそこで産まれる在りかたの基準みたいなものを明確にすればするほど巷に溢れるものと乖離していくしかしそれはそれでよいモンシロ蝶が舞い込んできた飼おうと思ったがやめた金ちゃんやカタ君はいいが、蝶は羽がある羽は大きく飛ぶためにある一晩泊めて翌朝、窓から放ったしばらくして強風が一日吹き荒れたもう一晩泊めてあげればよかった
2010.03.16
申し訳ないことをしたベランダの少し高いところにサボテンを置いていたのが風で落ちて枝が折れ無残な姿に。たいへんなことをしてしまったと、ばらばらになったものを挿し木できないかと集めてもとの鉢に植えなおして水をたっぷりとあげて、今度は安定した場所に置く。ケネディが狙撃されて 妻のジャクリーンが飛び散った肉片を拾い集めていたように。 トマス・トラハーンの言葉。「花を一輪摘むものは、遥かな星の運行を乱す」 因果応報という言葉は、正確には心のあり方が結果となる、ということだ。最近、大野城市で幼稚園の送迎バスが1歳の子供を轢いて死亡させた。運転手、引率先生の心のあり方が原因だ。いや彼等を弁護すれば、園長が原因だ。 その園の先生が知り合いで、園長のこころのあり方は非情であったのを聴いていた。 組織は法人というように、人であり、人はこころで動くように、園も園長のこころで動く。園長の非情なこころのあり方が、ささいなことでも、職員のこころのあり方となる。 ささいなことを馬鹿にしたり、おろそかにしてはいけない。小さなことも大きなことも、同じこころの発露である。小さいことは、こころAがやったことで大きいことは、こころBがやったこと、ではない。 だから、サボテンをうかつに、無残にしたぼくのこころの在り方はいつか同じように、人を無残にしてしまうだろう。 一事が万事ともいう。 ぼくはベランダや室内や庭にある数百の植物達を点検することにした。
2010.03.13
さようなら 冬もう来なくていいよなごりおしくはもちろんない でも見納めの雪は少し儚い 冬の寒さも、夢や希望があれば少しも寒くないというのがわかったそれはちょうど財布にお札がぎっしり入っていれば、こころ暖かいのに似ている
2010.03.10
名残雪 5つの自然模様を楽しめた雪、雨、晴れ、曇り、風 自然君もいそがしいこっちゃ
乙女を手に入れた乙女椿
2010.03.08
路頭に迷う日本経済GDPは23位そういって嘆く経済産業省指針はカビのように古臭く野暮ったいおおきいことはいいことだという文化はもうすでに死んでいるなにをいまさら、である情けなくなるのを通り越して滑稽であるそのような行政を持つ日本は不幸である中国の文化大革命やヒトラーのゲルマン純化政策と同じようなもので、笑えない 個人の生活から国の指針が消えたときに、その国の文化は成熟したものになる
2010.03.07
バルセロナの街角をゆっくり歩きながら、噴水の前に座る人やレストランの街灯のデザインとか、石畳の色とか・・・・・見上げたり下を向いたり。 そんなすべてがとても愛おしくて、もしソウルカントリーがあるとするならばここにちがいないと思ったりする。 ロドリコ作曲のアランフェス協奏曲にしろ、アレガ作曲ののアルハンブラ宮殿にしろ情熱と儚さが溶け合ったこの国の情緒はなんとこころ落ち着くことだろう。 街を歩く女性にも Beberé hola el café やあ、コーヒーでもどう?と自然に体が流れる。 パラダイスである。 そういえば日本では雨が続いたので、カタ君を瓶から出して散歩をさせた。歩く方向は水分と緑があるところを長い目玉で感触しながら目指す。鳥に狙われてはいけないから横に付いて見守る。 とても面白い。 どんな機械よりおもしろい。 椿の季節でもある。多彩な花びらの色と新緑の葉がとても美しい。乙女椿はそれらしい。椿の模様は錦鯉にも似ている。 どうも人が作ったものは飽きてしまうが、大自然のものはそれがない。 そういえば昨夜はふと目覚めて呼吸をしていることに感動を覚えた。人間の機能も機械的な視点で観るととても精巧である。人体はとても素晴らしい。カタ君は軟体動物であるがためにとても便利であるし背骨を持っている人間は、だからこそ不便でもある。どちらも平等であり、比べること自体がおかしなことでだ。人もそれぞれだから比べること自体が滑稽なことだ。 パラダイスというのは今ここにある世界そのものである。 感じれば在るものだし、感じなければ無い。 日本を発つ前に、スズキや鯛の刺身をスーパーでおろしてもらってたくさん食べた。グリーンピースを炊飯器に入れて御飯を炊いた。 いくらスペインが肌に合っていても、食べ物は日本食がとてもいい。
2010.03.06
出会いと別れの時期となった組織にしても人にしても告げられるときは急であり告げるときは長い思案の末であるぼくにとっては1ケ月前はひと昔の感があるけれど多くの身の回りの人たちの時間の流れはそうでもないようだ 時間というのは過去と未来しかないのではないか? 過去に生きているか、未来に生きているかのどちらかではないか今という時間は過去の延長ではなく、明日の始まりである 明日という未来は明日訪れるのではなく、もう今、すでに始まっている今は未来の所有物だ だから別れを告げられてもぼくは風が去っていくような感覚しかない出会いが訪れてもそれは風が吹いてきたと気が付くようなものだ たとえば時間はちょうどドーナツのような円形のものではないか?食べ始めた位置が今日であってその前後が過去や未来である今も過去も未来もぐるぐる回っていて始めもなければ終わりもない時間は線分ではなくて円なのだ そして人によっては過去という円だけでぐるぐる回っているし人によっては今という円だけでぐるぐる回り明日こそはという円だけで回っている人もいる ぼくはといえば円ではなくて球のようである
2010.03.05
曇りと雨続きで太陽が無い日が続く。季節に左右されてしまう。環境に左右されてしまう。ワシワシとクマゼミの声を想像したら嬉しくなった。
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2010.03.04
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2010.03.02
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2010.02.27
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2010.02.18
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2010.02.15
<font color="black"><font size ="3">どうも今まではコンピュータ会社にだまされていたように思うんです。情報システムの責任者である田中部長は、少し苦笑いしながら、でも静かな怒りとでもいうのだろうか、そう断言した。八百屋さん夫婦のようなシステムがいいと思います。ぼくは少し驚いたがとても核心をついた言葉でとても共鳴したものだった。もう15年ほど前名刺交換していた小林電算室長を訪ねて初回訪問したのは1週間前だった。冷泉公園横のフカヤ本社ビルを訊ね、玄関に置いてある受付電話で小林室長を呼ぼうとしたが、部署が6部門ほど表示されているのに電算室が無い。1年ひと昔の昨今だからもっともなことだ。こういうときは総務に尋ねるに限る。「○○の朝倉と申しますが、以前電算室室長でいらした小林さんは今どの部署でしょうか?もうずいぶん以前に名刺交換させていただいていまして、今日はご挨拶にお伺いさせていただいたのですが」受話器を取った女性は「あー小林ですね、今は経営企画室に変わっておりまして少々お待ちください」不機嫌でも嫌悪感を持ったふうでもない、いたって事務処理的だ。彼女は少しあたりを見回しているような気配がする。20秒ほどたつと「今、下に降りていきますのでお待ちください」と彼女はいうと電話を切った。ぼくは小林さんの顔は覚えていないし当時どんな話しをしたかも覚えていない。やがて小林さんらしき方が目の前に現れ、不思議そうな顔をしてぼくを見詰める。「おそれいります、おいそがしいところもうしわけございません」ぼくはふかぶかと頭を下げながら15年前にお邪魔した話題で、共有化感情を促しながら訪問目的を話す。「今は田中が責任者です、今日は不在ですので申し訳ありませんが次回連絡をとってみてください、田中には伝えておきます」ぼくは田中さんの部署名と役職をお伺いして退出した。深くお辞儀をされる小林さんに恐縮しながら。受付に入ってから約7分が過ぎていた。 ぼくは3日ほど経って田中部長に電話をして経緯を話し、アポイントを取った。「朝倉さんですね、小林からお伺いしております、それでは金曜日の5時お待ちしております」 </font></font>
2010.02.14
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2010.02.12
励ますようなぬるい風どこかでかんじたよ記憶がある風だ広島の地で春風に散っていた白いコブシの花びらフィリピンの風春風は体の芯に力を灯すぬるい風の中には桜の香りや梅のそしてハイビスカスの香りさえ含んでいるそれらを意識の中で分解すると夏さえ見えてくる今年の夏はどんな夏なのだろう
2010.02.08
ガスコンロの点火が悪い。15年使っているし、そろそろ変え時かなとも思ったが、まてよ、電池を換えればいいのでは?さっそく換えるとシュボッと付きがよくなった。頭が悪いダメな経営者というのがいる。そのあたまがわるいとはどういうことなのか考えてみる結論は「論理性」すじみちを立てて考える、ということが劣っているすじみちとはA+B=CならばB=C-Aであるという思考法をいうこんな基本的なことができないいやこれはあんがい難しいことかもしれない女性経営者とかには特にむつかしいものだろうそしてこの論理性は、話し言葉ですぐにわかるガスコンロの点火が悪いから、もう15年つかっているし、買い換え時だと思うのは非論理である。どうも、論理性を支えるものに「知識」があるようだ。そして知識は「ものや人をだいじにする」ことに使われて欲しい。C
2010.02.07
おおきなやずが安かったので3枚におろしてもらって刺身にして食べる朝採りでまだ数時間しか経っていないからなのか魚臭さがまったくなくてぷりぷりしていてとてもおいしいスーパーでさかなの歌がテープで流されてくるととても嬉しくて気がついたら4歳くらいの男の子といっしょに鮮魚コーナーで口ずさんでいる秋刀魚やサバを水槽で飼いたいほどだ。ふとこんなにおいしい魚くんたちもなにも好き好んで食べられていないと気がつくとこれはなにかお礼をしなくてはと思ったが、だからといって彼らの親にお礼をいうわけにもいかない。拡大解釈すると、すべてがそういうことに帰結するようだ帰結の先にあるものはなんだろう
2010.02.06
ぼくはイタリア産の石を集めたり眺めるのが好きだ。重たいのがネックだが、そう小さな石ではなくて、せめてバレーボール球くらい以上のものに限る。だからその流れとして石の家に住みたいという事になる。そしてその流れの延長には、石の文化圏に住みたいということになってしまう。そしてできれば職業はジプシーが望ましい。そんなことを空想していると土曜日のひとときもすぐに時間が経ってしまう。今日見つけた石は琥珀色で、とてもよかった。近くにあったおおきな鉄製のブランコに揺られて30分ほど眺めていた。石はインスピレーションを与えてくれてとても楽しい。
19世紀に提唱された定向進化論によると、人類の進化には方向性があるらしい。それも生物としてのありかたのモデルがあってそこに向っているという。アフガニスタンで命を落とすアメリカ兵もその方向性のための、小さな犠牲なのだろうか。米指揮官が兵隊を鼓舞する。「キミたちの今からの戦いは、君たちが50年たって孫に自慢できるヒーローの戦いだ。民衆開放の為に戦うのだ。きみたちの活躍は先輩や国民が見ている。人生はどれだけ長く生きたかではなく、これからの短い貴重な時間をどう戦ったかに価値がある」古今東西同じようなセリフの元、たくさんの若者や人間が犠牲となってきた。数十億年続いている自然界の、人類の進化は、犠牲の上にしか構築できないのであれば、なんとおぞましい定向進化であることだろう。目の前の空もすずめも風に揺らぐ野草も、そこにある大自然の、そのままのあり方がそれだけでパラダイスである。アフガンでアメリカ兵の命と引き換えにえられるものはより多くのアメリカ人の幸福であろうか、いやそのような欺瞞は日本人なら太平洋戦争で経験している。犠牲の上に立つ進化などだれも必要としていない。今ここにあるパラダイスを享受することが進化の最終点だ。爬虫類なみの多くの現代文明は眺めるだけでおぞましい。
体温を3回計ったけれど35.7 35.6 35.7過去、36.5の記憶は多いが1年が365日というのと何か関係がるのではといつも思っていた1年が357日であったらなにか損したようなような気分になるように体温が35.7だったら貯金が減ったような気になる厳密には馬力というか体力が衰えたような気になるのだ朝の新聞に大きくブッタの再来と幸福の科学が講演会開催を広告していてその横に腑抜けた当人の顔が出ていたブッタは再臨を約束していない厚顔無恥の主とそれを担ぐ愚衆の構図がみごとに凝縮していて滑稽を通り越して薄ら気味が悪いおよそ良識の民はマスコミに露出しない露出度と良識は反比例するもののようだ砂中の金それでもぼくがマスコミ情報を無視しないのはたまにそれは砂の中に発見する金のようにごくまれに金色に輝く人や事柄を発見するからだ1が欲しいから99を見るそんなようなものだ体温が低いと沈着になり体温が高いと陽気になる沈着はカラマーゾフの兄弟や罪と罰を産み陽気は父親不明児をたくさん産む立春だ啓蟄だぼくのこころにも志がうごめき出すまずは風呂に入って体を温めることからとりかかる
2010.02.04
たとえばぼくがどういう生活をしてきたかどういう心情をもっていたかはぼくもよくわからないのに後世の人がわかるはずもない。今流行の龍馬だって武器商人だっただけなのに変に偉人化してしまっている。司馬遼太郎が作り出した虚像が一人歩きしている。書き物を残さなかったナザレのイエスだって彼に会った事も無い医者が作り上げた。龍馬はそりゃないぜよと苦笑いしているだろうし、ナザレのイエスはわたしは女は大好きだよ、アーメンと言っていることだろう。小沢一郎だってアメリカの陰謀に外務省と検察が乗っかってそれをマスコミが悪者に虚像化してしまっている。そんな事たちを思っていたら、黒川くんがぼくと同じような私見をもっていることを知った。やはり世の中には良識があるひとはいるものだと驚くと共に、いや少しの思考力があればたどり着く結論だとも思った。山に登るとその峠にいい香りのする野草の花を見つけて、下山が心軽くなったものだ。もし生活の日々のなかにいい香りがするものを見つけたら、その路程も心軽くなるものだろう。いい香りの最高峰はよき女性なのだろう。しかし女性はあまりあてにならないものだから、この大自然の風の香りを身にまとうのが最良である。巨砲を間引きした若い粒を素材にしたワインの開発と販売のことを考えていたら、ガンジーが晩年若い女性とベットを共にしていたことを思い出す。無欲の達人の証明らしかったが、元気張り張りのぼくとしてはそれは拷問だろう。しかし半径2メートル内の若いエネルギーは老体にエネルギーを与えるのではないか。若摘みワインを飲めば、同じような効果があるのかもしれない。初物はどんな果物や茶や野菜でもなにがしかプラスのエネルギーを持っているのだろう。いやむしろ教訓はその逆の事柄だ。病人の近くにいれば気をそがれるし落日の人や悲観的な人やどうしようもない人の近くにいるとダークサイドに引き込まれる。孔子は地名が盗水村というだけでその村を避けて遠回りした。いい香りのする人や事柄をできるだけ身近にしていくことが日々の生活の目的なのかもしれない。なぜならそのためには僕自身が香りを高めなければその世界に入れないからだ。右足つけねを痛めて8日目。まだ完治しない。週末は1年生黒松の梱包作業を手伝う予定だったがだいじょうぶだろうか。
2010.02.02
ケガの細胞再生のプロセスは細胞のコピーミスを内包して癌化することや酸素を利用した生物は酸化という弱点を産むことを学ぶといろいろなことのキーを知ったようでとてもおもしろい最近テレビでナメクジみたいな生物が25等分にカットされてもそのうちにそれぞれが再生して25匹となるというものがあっていた人間もそうであればいいのに、癌が発生する確率がぐんと高くなって種の保存が脅かされるからせいぜい骨折の再生や傷の再生レベルに再生を留めているのだろうコピーにしろエネルギー源とした酸素利用にしても、それを選択する生命の誕生時の判断はそれは苦渋の選択、よりよい選択、それが二律反背であっても、一つの選択の基準であることはおもしろい魚をよりよく切るために包丁があるが、それが考案されたときに凶器になる可能性があるから包丁を製造することを止めるという選択基準はないのに似ている修羅万象が選択する基準はどうもそこにあるような気がするそしてそれが多くの問いの答えであるようにも思うぼくのいろいろな妄想のなかで暫定的に回答していたことが、こうして医学や生物学の分野で補強証明されると、とてもうれしいだから二律反背についての妄想の一つは解決されて、とても安心したが次の疑問は 偶然 についてである最近でも、へー、まさか、こんなことがあるもんだ、と苦笑いすることが続いた偶然についてもぼくの妄想人との出会いや自然との遭遇は統計や確率の問題であるそこに意味を持ち込むこと事体が妄想であるしかし妄想を持ち込むとロマンが発生するロマンは虚像や趣味の範疇を超えて大きなエネルギーを生むいやロマンはむしろ現実や現状を進化・成長・牽引するナビゲーションでもあるぼくは偶然という事象に、数パーセントの外部の力が働くと妄想しているその力は人の自由を束縛したり意志を変えさせたりするような、そんな野暮なものではない人が行動するとき、どうでもいいこと、たとえば食卓でごはんから食べるか味噌汁から食べるかとか同じ時間に出発する便を日航にするか全日空にするかというときとかそんなどうでもいいときの無意識の判断に外部の力が働くのではないかといことだそしてその外部の判断?に影響?された自分の行動の結果がとても重要な意味をその人に与えてしまう・・ではその外部エネルギーはぼくにとって敵か味方か、いやそんなカテゴリーではなくてべつのものか?ぼくを成長させ、楽しくさせるインスピレーションぼくはそうとらえているぼくの妄想ではこの大自然や宇宙はまだ進化の途中で、毎日が新しい発見と体験をその外部のエネルギーと共有した満ち溢れたものだあえていえばパートナー2月になったつらい寒さから少し脱出できる庭に置いたみかんにめじろやウグイスが次々と訪れるすずめまでがやってくるすずめが一番強い
2010.01.31
車の乗り降りの弾みだろう、右足付け根が、痛い春のような陽気もあって、仕事の予定を途中でキャンセルして立ち寄った公園を静かに歩く最近、食べ物は、腸を経由してどの地点で尿管と肛門に仕分けされるのだろうとか人には酸素が必要なのはエネルギーを発生させるためなのだが、代わりに酸化による肉体の老化を受け入れざるを得なかった苦汁の選択とかそうした事実を、不老不死を信じる、ものみのとうの中島さんはどう受け入れるのだろう人類の精神世界は動物の進化のカテゴリーに分けられて、あーこの人はワニの精神段階だとか、この人はウサギだなとか、逆にこの犬は人間より人間らしいなとか、およそ進化の変遷は、形の変遷だけでなく精神の変遷でもあったのではないか、そして、その変遷はまだまだ進化の途中・・進化を促進するものはなんだろう?個人や個体の自ら欲するものだろうか、それとも、悠久の流れなのだろうか目の前の公園のランニングコースを20代だろうな女性が、短パンのジョギングウエアで軽やかに走っている白い足がとても軽快で、びっこひきのぼくはとても羨ましい気持ちになったつい昨日まではぼくもそうであったのにたぶんぼくが住んでいる世界は、いやだれでもそうだろうけれど小さな箱の中の条件に反射して思考しているでもちょっと外から見てみると、なんだそんな小さな箱の中でジタバタしたってしょうがないじゃん とか思ってしまうそもそも物理はこの銀河系、いや宇宙か?の中だけで通用するものであってマルチバースといわれるほかの宇宙ではあんがい物が下から上に登ったりするのだろうカタツムリと暮らし始めて半年がたつ途中別居期間もあったが、これがなかなかおもしろい今は枯葉を入れてやっているが好物のニンジンは食べようとしないきんちゃんもそうであるが餌を食べないでいいような冬眠的肉体構造なのだろうそういえば冬が大嫌いなぼくも冬眠生活に入れるのが夢だやはり南半球だもっと上質なビジネス世界で条件反射したいと春の陽射しの中で思うこうした想いがホモサピエンスを進化させる原動力なのかもしれない
2010.01.19
何年かぶりに冷凍たこ焼きの大袋6個レンジで温めて、おいしい夏なんてこないくらいの寒さ家具の町、大川に関わっているから、木 がやたらとデスクのまわりに増えた木は水によわいからプラスティック製品は便利なのだけれど便利さを受け入れることで失うものがあるように思う。自然感覚を失う。手段は目的かもしれない。木の器に盛る野菜からの水分は器を湿らしてテーブルクロスが心配だがだからこそいいできるだけ人工加工品を身の回りから排除していくと不便な楽しさに包まれてくる癌患者の選択に質のいい生活を選ぶという言葉がある立花隆さんからも聞えた延命で人間らしさを放棄するか、進行を遅らせることを放棄して人間らしさを獲得するあがいて疲れるより、自然に委ねる立花さんや兄の選択はおおいに参考になる25才ころの写真を見るとやせている、58キロだったのだから今の75キロに比すと当然の様子だそのころはいつまでも25歳と思っていたし、今でもいつまでも今のままという錯覚に慣れているシネマでアバターを観る映像的にはとてもよかった想像の動物や花たちはたくましかったり綺麗であるが、どこかにグロテスクさが潜んでいて、現実の自然はなんと訴求しない謙虚な様子なのだろうと改めて感心するナイアガラの滝には防護柵がない自己責任の象徴ともいわれるがそうとも思わない人間がかかわればミスが増えるミスを防止するのは親切なことである責任の問題ではない新年の七不思議福袋日韓トンネル構想が現実化している隣町の唐津から釜山近くまで約200キロが海底トンネルで繋がる思えば楽しい何万年ぶりかで島国が大陸と繋がる2週間ほど仕事から離れているともう意識はあたらしくなっているから元の仕事には戻れそうもない厳しい寒さを冬将軍というのはなぜだろうなんだかへんな言い方だ
2010.01.05
おかしきこと多し外にでたら冷房ががんがん効いている外中広範囲にこんなに冷やすなんて電気の無駄ずかいにちがいないかんべんしてよと部屋に戻りコタツにあー暖かい しあわせなのがおかしい先日の夜半はポタポタポタと雨音ふとんのなかで寝入りに聞いていると豊かな気持ちにしかしそれはぼくがあたたかい布団の中にいて聞いているからでこれが冬山で遭難して聞いている雨音ならば凍えて死を招く残酷なものに聞えるのであろうとおかしいブリやフグをたくさんもらったしかし世の評価とはちがってぼくはあまりうれしくはないブリの魚くささやフグのこんにゃくのような味気なさは苦手だぼくにとってイカやタイのほうがぐんとうれしいそれでも送ったほうは「どうだった?」と聞くからとてもおいしかったと応えざるをえないのはおかしいデパートや雑貨店では多くの人が込み合っているぼくには並べてある商品がどうもゴミのように思えたなぜだかしらないけれどなんでみんなはそんなものを欲しがるのだろうとユニクロにいくとそれは頂点に達して逃げ出してしまったのはおかしい鳩山さんみたいに毎月1500万円もらったらどうするか?話す新二は「ぼくはアフリカへ旅に出たい」龍は「日本中を裸の大将みたいに絵を描いて放浪したい」ぼくは・・テニスとゴルフに明け暮れたい人は本来仕事嫌いなのようでおかしい世界中が同じ言葉で満ちていたらとても面白いに違いないそもそも言葉が違う起源はなぜだろうおなじようにおいしいと感じる食べ物が国によって違うのはなぜだろう人類も動物や魚のように国や個性によって種がちがうのだろうと思うとなぜかおかしいそう考えると人類のありかたや個々の文化も動物園のようでおかしい二の腕が大きくてティーシャツがぱんぱんになっている女性それを見てセクシーだと思うのもおかしきかたつむりはおかしききんちゃんもおかしき山から切り出された直径30センチほどの丸太を厚さ15センチほどに切って部屋に飾る、というより、置く赤みを帯びた中心からだんだんと白く広がる年輪は、すばらしく心地がよい年輪を数えたら68年すごいそしてぼくより多くの年を重ねた先輩に敬意そしてなんだかはかなく、でもおかしき見るものすべて、なんだかおかしきこと多し
2010.01.01
時間があったので博多~鳥栖まで普通列車で移動。約1時間。特急であれば20分。各駅停車の窓から見えるプラットホームの水溜りを見ていると不思議な薄い恍惚感を覚える。それはしぜんと湧き上がってくるもので根拠はないものだった。水溜りをみて幸福感みたいなものを感じるなんて。そういえば8月ころに野に帰したカタ君を枯れ葉の下に見つけてビンに戻してにんじんと柿を入れると春が来たと思ったのかいっぱいたべてのびのびしだしたやがてやはり冬だと気がついたのかまた動きが少なくなった各駅停車でしか見れない景色があった。特急では寝るしかないが鈍行では風景をじっくり観察することができた。空白の時間も日々も年月も、たまにはいいことかもしれない。そのあとには成長が訪れる。
2009.12.22
ビジネス同窓会で知る胃がんで亡くなったと2人まだ40代後半だえ?あいつが?3ヶ月前頃から半年ぶりくらいに胃痛2年前の今頃に胃潰瘍で初めて胃カメラ苦しくてしょうがなかったがはじめて胃潰瘍と診断された急にこころおぼろげになって、クリニック「いやに神妙ですね」かかりつけのドクターが嬉しそうに言うそれはそうだ、胃カメラがいやで逃げ回っていたのに自分から言い出したのだから胃カメラを飲む準備でベットに横たわると馴染みの30代の看護師さんが横で説明をはじめるぼくは横向きだから片方の手が彼女の胸に触る「いいもんだね」とぼくが苦笑いすると彼女はどうぞご勝手にとでもいうように身じろぎもせず話を進めるやがて胃カメラ挿入苦しくて2回ほどドクターの手を振りほどいて自分で引き出す3回目にやっとスムーズに癌ではなく、2年前と同じ胃の下部、十二指腸の入り口に白く変質した潰瘍郷から真っ赤な柿が送ってきた少し躊躇したが食べたハイビスカスなどを庭から部屋に入れて冬支度をした
2009.12.05
ないとどうなるか?ぼくはいつもそういうところから出発しているいまのままでよいか?そのつぎに考えることだこの二つから朝をスタートする歴史はどうだったか?今の世界はどうか?お昼頃になると三つ目のテーマが巡るいまないものがむかしはあったいまあるものが昔はなかった自分も世界も文化も文明も今はそれほどに優れている
2009.12.01
眼瞼黄班腫みたいなもの両目に同時に悪いものを見すぎたか要は、にきびの親分美容整形しますか?やめときます水素なんとかで冷却抹殺冷たくて痛かった3年ぶりに知り合い「あいかわらず元気ですね」たまたま時間があったので二人につきあう40歳の二人はなぜか青臭いやはりちょっと時間の無駄使いだったかなと博多駅は雨雲に覆われて寒い車を新しいのに変える電気自動車が欲しかったがまだ時代が早い年末という風物詩が雨をなおさら寒くさせるそれにしても、福岡はうどんがおいしい
2009.11.30
10月から11月がたまねぎの植え時鉛筆くらいの太さが適しているそれより細くても太くてもいいたまねぎはできない来年の6月頃にはテニスボールほどの玉に育つ寒い日太陽も月も出ていない湯船が体を温める先週はずっと人の体について考えていたなぜの向こう側について空想や想像ではなく洞察の領域までつじつまを考えるつじつまが基準となることも面白いつじつま以外の領域で修羅万象は動いている成長が方向性だよと林くんに言ったが、それは彼にとってはどうでもいいことだろう金ちゃんがあいかわらず元気がいい不思議な元気さだ
2009.11.29
補強の選択人は手を失ったらトカゲのように再び手が生えてこない自然はそう設計したそれは涙をのむ選択だというそうしないと絶えず繰り返される細胞分裂のミスの確率が増えて癌になって生命を落とすことになるすくなくとも20歳まで生き延びれば生命の存続は保たれるこのように癌のしくみでさえ生命が作られる時に選択にさらされた生命や人体はとてもすばらしいひとつひとつに意味がある
2009.11.24
2009.11.23
自然が造ったものと人が作ったものと比べるとおもしろい周りはインフルエンザでダウンぼくはバリバリそれにしてもこうして健康でいるととても奇跡的に思う一つのバランスが乱れても、あっても、なくても健康はくずれる自然にしても同じで、その秩序と構成はとても奇跡的だ観察するほど知るほどに奇跡的だクリスマスのイルミネーションが綺麗に光りだしたとても綺麗だ綺麗と思う感性の仕組みもとても綺麗だ人の仕組みがとても素晴らしい悲しみにはきりが無い喜びも考え出したらきりが無いどちらを選択するかという自由はこの世でとても大事なものだ自由の特性は選択と造り出すこと、そして成長することのようだいつの日か虚脱だったのは夏の日だったかい?
2009.11.21
菊で造った赤富士両親が1年がかりで造った裾野には母の短歌が広がる近くの文化会館に飾り大好評だったと喜ぶ来年は「扇」を造るという
水になってみた水になって旅をしてみた部屋のゴムの木に水をやる水は土から根に根から茎をとおって葉に葉から空気中に空気中に漂いあるものは動物の体内に、あるものは風に流されて雲に山に注がれた雨粒は岩石や木の葉や土をやりすごして深く沈みあるいはせせらぎから大海へ大海では波となり深海では暗闇で佇み水は自由である形を持たないから自由であるしかし自由という意志をもっている形はやがて崩れるが水は崩れることも消滅することもない循環の中で生きている水になったらぼくも自由になれそうな気がした
2009.11.09
大きな銀杏の黄色になるのを待つ日々毎秋、気がつくと落ちてしまっていた今年は見逃してはいけないと待っている芥川龍之介の文庫本が押入れにあったので「鼻」を読む他人の目を気にするのはいいことではないジョギングしていたら中国語の歌声が聞えてきた同じく歩いている数人が、中国人なのだろう、歌いながら他人がどう思おうが関係ないという歌声は楽しそうな響きであった個人主義っぽくていいものだなと思ったまだ紅葉は見えないぼくの前に広がる未来はとても大きく輝いている
2009.11.08
およそ人が考えることは分類化できる横軸が現在の世界の文化であれば縦軸は歴史だたとえばヘブライズムで栄えた文化という分類がぼくが好きな考え方の分類であれば、現代の日本に住んでいるぼくはある意味不幸であるかといってその時代に飛んでいくことはできないしかしその時代に生きられたらとても幸せなことに違いないぴったりくるフィットするそんなものやことやひとに出会ったときにはとても嬉しいものだ一定の期間に電車通勤したことがあって決まった車両に乗ってくるある女性の服装がぼくの好みにぴったりでとても嬉しかったことのようだ着ている服装のデザイン、色、靴、組み合わせ続けて7日くらい続けて見たがいずれの日もとてもぼくの好みにぴったりであった違和感がまったくなくてむしろとても好きなシルエットだった贅沢なものでも華美でもなくもちろんミーハーなブランドものでもないそれぞれに配慮が行き届いている朝10時頃の出勤みたいだしどのような職業なのだろう?お知り合いになってみようかなと少し策を練ったがやめたなぜなら相手は所詮、女性であるおいしそうな料理を食べて食アタリするようなら食べないほうがマシである過ぎたるは及ばざるが如し無事これ名馬やめる勇気数多くの文化がこの世界に展開されてきたどの価値観を選択するかも自由である時代に、場所に縛られ必要は無い選択は自分にかかっているどのような人生を歩むかも自分にかかっているそれはちょうど服装や髪型を選ぶように、自由である数多くの人や経営者に会っているとみな不幸な言葉を口にするどうということはない不幸を選んでいるのは自分だと気がついていないそんな考え、はやく捨ててしまえばいいのに人生はシンプルだ重力でリンゴが上から下に落ちるようにこころや考えかたにも同じような、重力と同じような理が作用している夜の窓から、ちょうど正面に月が光っているずっと眺めていると、同じように古代のひとたちもそして未来の人たちもおなじような月をながめていた、眺めていることだろうと思うととても楽しい天体の知識はあってもいまさらながら月はなぜ落ちてこないのだろうと思ってしまう昔は太陽が2個あったらしいしかしそれではまずいので昼は太陽に、夜は月に任せることにしたそして公平を保つために月には24時間出番を与えたぼくはそのような天地創造の想像が大好きだこの話はユダヤのラビの議論に出てくる逸話だすばらしいおよそユダヤ系のアメリア人政府高官や経済人とのインタビューでは「いい質問だ」という言葉が出ることがある疑問を持つということは想像と創造の基本だ疑問のレベルが知性と知識を計るバロメーターなのだどのような疑問を持っているかがその人のあり方を決める最近、わけあって嗅覚が敏感になった20m先のタバコの煙や隣に座ったひとの香りや臭いまるで犬になった気分だ加齢臭にも敏感になってやたらとそれが多いことにも気がつく土地の雰囲気というのがある数年前よく居た場所を久しぶりに訪れるとやはり憂鬱なものを感じるそのときの思い出のせいではないやはり土地の雰囲気だやはり広大な平野や山々、あるいは高いビルディング群、そのような地域がとても居心地がいい
2009.11.06
こうして冷たく澄んだ青空を見ていると ニーチェがこの青空が好きだったのを思い出す季節や風土が精神に溶け込むのはよく考えるとあたりまえのことだそもそも体の一部としての精神は 自然の一部としての体なのだから体が自然に影響されるときにこころも自然に影響されるであるならばこころを知るには自然を知ればよいということになる逆流があるとすればおなかがすくと胃は怪獣のように食を求める眠気もおそろしくパワーを持つそれであるなら自然は何を求めるのだろう?何を食べれば充足するのだろう充満する自由や自然の秩序はどこに向かい何を求めるのだろう円だよ、πだよというのはどうもミーハー的で好きではない人間自身に、君自身に向うんだよといわれるほうが知的な気がする
2009.11.03
八百屋のみかん一袋詰めほうだい100円レジで2kgです、おきゃくさん、袋をまず伸ばして入れました?最高で3kg詰めたお客さんがいるんですよ、2kは少ないそんなに詰め込んだらみかんさんが潰れるんではないかそんなにしてまで詰めてどうするんだと思う100円で買えるのは缶ジュース1本ではないかそれに比べるとパーティでバイオリンの演奏を2,3曲昔のダチに頼んだら5万円でどうか?という昔は30分で1万円ではなかったかどうせ空いている時間なのにプライドがあるのだろうそういう労働価値観もあっていいと思うそういえばもう10年ほど女性を抱いていないけれど、もしかしたらそのほうが幸せかもしれないと思ってしまう抱けば交換に心の軽やかさがなくなることが多いこころがしびれるような時間、日々をすごす、そのための手法があるように思うそのためには過激さではなく静寂が必要になるのではないか知性と感性もそして対象庭でピンクのバラの蕾を見つけたぶどう酒ですと田舎から味噌汁に紫蘇を刻んで入れたストーカーの兄ちゃんには警察に出動してもらって一件落着能力が無い経営者は退場する道しかない能力に合った道を歩くのが幸せだおよそ浮世の事柄は茶番が多いのだからそうマジになることはないマジになる能力は自然界に向けたほうがよい本来マジにならないといけないことが間違っている雪の季節がそこまで近ずいているだれか毛糸のマフラーをくれないか?ぼくは寒さに弱いんだ
2009.10.29
今日がおわりまたあしたが始まる
2009.10.26
ハイウエイで200kmの空間を感じていると、そうか、まだ人類は進化の途中なのだと気がついた宇宙だってまだ方向性を持って進化?しているうっかりと完成点だと錯覚していた通過点として人類の方向はどこに向っているのだろうそしてその方向をぼくは先取りできないのだろうか?沙希ちゃんからストーカーの相談を受けるその男の精神は、たぶん人類発生までさかのぼる現在から何十万年も逆行する地点の進化で止まっているのだろうそういう意味では精神のあり方は時間や空間を越えて自由である自由はすばらしい輝きと創造を産むが反面残酷な悲惨をも産む心をこめて愛すべき人を愛そう心をこめて愛すべきものを愛そうそれが愛すべき人やものであるならこころが凛と軽くなる
2009.10.25
ハイビスカスが咲いた秋なのに金木犀が終わりかけたらヒイラギモクセイの甘酸っぱい香りゴヨウ松が枯れていた そうか水を怠っていた重力のように、人を含めた自然界は、動いていく水が無ければ枯れ、季節が香りを産みだし、考え方が現在を産み出すそしてすべてには時がある時はぼくとは無関係に通り過ぎていくだからぼくは時に合わせなければいけない広義には自然に合わせなければいけない自然を知らなければいけないなぜなら自然を知ることはぼくを知ることであるししあわせな気分の取得方法を知ることなのだから今年の秋はぎんなん取りに行こうレンジで30秒もすると殻が弾けてとてもおいしい遠くの民家に柿のオレンジ色がたわわ油絵のように、モディリアニ的にあまりにきれいだったので近くまで眺めに行くきれいな下弦の月の下で野点少し寒かったが月にはたしかにウサギがいた
2009.10.24
里の母が柿を取りにおいでぼくの周りが新型インフルなので肺が弱い父に気ずかって里帰りは控えていたのは母も承知だ里の柿は名産でとてもあまくておいしい胃もやっと治ったのにまた負担をかけてはいけないと思いながらも咀嚼30回で大丈夫だろうと自己弁護秋の夜の静けさは特に深い虫の声もしない遠くシカゴの街の風の音さえ聞えるようだ最後の荒尾梨を食べる金ちゃんが元気植物たちに水をやるゴムの木の一葉が黄色になっていたそういえばそろそろ近くの神社のイチョウの葉も黄色で満開になる満開になって落ちた黄色の地面の上を歩くととても幸せな気分になるふと昼間に作成していたソフトバンクホークス向けの企画を思い出してテレビのクライマックスシリーズを見ながら確認する考えてみれば野球にしてもないならないで生活には困らないものがこの世には多い「広告はやはり面白い仕事ですね」そういうカオリ「でも問題なのは広告の評価能力がないひとが多いというのが不幸なことだ」ぼくがそういうとカオリはよくわからないという顔をしていた最近は22時30分就寝、7時30分起床が多くなったそろそろ就寝時間だ今日も愉快な日だったけれど明日はもっとこころ弾む日になるだろう
2009.10.23
フェリーで夜の能古島に渡るコスモスのライトアップに行く夜の公園はさすがに人もまばらで、コスモスの花より木々からぶらさがっているブランコに乗って揺れたほうが気にいったなぜならやはりコスモスは青空が似合うからだ持参した熱いお茶がおいしいすっかり着込んでいたから夜の冷たい風も気にならない帰りのフェリーの窓ガラスに映った自分の顔を見ていると遠く学生時代の列車の窓に映っていた自分の顔を思い出した何が変わって何が変わらないのだろう?遠くの未来を描く今の状況とずいぶん違う描く状況はDNAが決めるのだろうかそれとも自然が決めるのだろうか
2009.10.18
ソファーで寝ていると金木犀の香り庭の金木犀が満開だいつの間にかコトブキ色が満開になっていた三階の部屋に移動すると風に流れて金木犀の香りがぼくについてくるせみの声と同じように満開の期間は短い香りを感じる時間も短い香りはその中に入りと感じなくなるものだが風と混ざり合っているせいか、とぎれとぎれだからいつまでも香りの慢性化がないユダヤ人は安息日をとても大事にするそれは天地創造のあとに安息日が語られているからだ根拠は別にしてもその後のユダヤ的解釈は俗世間から開放されて魂の浄化を図ることにあるという同感だ仕事がらみで魂にいいことはあまりない悪口雑言・疑心暗鬼・無知・虚栄ぼくはそのような煙を魂に吸い込むようなヤワではない香り豊かな空間を造りそのなかで呼吸をすべく奮闘しているこの金木犀の香りが充満したような空間を
やっと仕事が終わった12日夜中ここ数日ずっとデスクワークをしていて体を動かすことも無かったから風呂上りに体重計に乗ると78キロつい数週間前には73キロだった空腹だと胃が痛くなるから食べてばかりいたせいもある胃の検査しなきゃ姿勢が悪いのか腰痛もしかし気分はますます血気盛んなので収めるのにこの年になっても難儀だ夕方、月見団子を作って食べるぜんざいよりきなこがいい三越からと、海鮮丼の差し入れがある抹茶が合う体を意識しなくていいのは幸せなことだ気がつけば秋の夜だ数日前散歩したときに数ひきのカマキリに出会った顔の前に足を置くと首をひねっているのがおかしかった黄色い蝶が飛んでいた怪獣みたいな虫があちこちにいた精巧にできていたからずっと眺めていた広い芝生の公園にさしかかると昨年ここで日向ぼっこをした愛犬コロを思い出す台車に載せてしとしとぴっちゃん愛する人が死ぬ前にできることは今すべてしておこう
2009.10.12
梨たくさんの品種が季節の推移と共に八百屋に並ぶ知り合いが「荒尾梨」を持参してくれた荒尾梨を一度も食べたことが無いというぼくに驚いて持ってきてくれた「甘いのは天下一品だ」という。子供の頭ほどあるその梨を7個。果肉はざらついて荒っぽいが、甘い。甘いものついでにココア。夜空を見上げる。空気の成分の大半は窒素。その空気を鼻から吸って肺に至り血液になって流れ酸素を配り、二酸化炭素をもらってまた鼻から出て行きこの空気に還流される。なんとおもしろい。おもしろいとどこに向って拍手をしたらいいのだろう。愛といわれるようなものが充満している。昼に散歩していると子供たちが走り回っている。歩道に沿って石のモニュメントがあって、彼らは一応にその上を飛び越していく。なにもそんな疲れることをわざわざしなくてもいいのにと思って、いや、そういうぼくはもうご老体なのかとも、いや彼らはそれが楽しいのだと、ゴルフだって雨や台風が来てもやるじゃないかと思い直す。楽しければ雨が降ろうが、石が邪魔しようが苦にならないのだ。いや困難でさえ楽しいものにしてしまう。肉体、体はそれだけでエネルギーを生み出す。体の付属物としての精神は肉体を超えられない。健全な魂は健全な体に宿る。健全な体は健全な魂に宿るとは言わない。最近は人体の仕組みにとても興味があってしかし知るほどに驚愕と未知に唖然とする。そういえば秋の夜にはヘレン・メリルのコンサートを思い出す。ニューヨークのため息と言われた彼女の公演は日本最後となったが、この夜空の雲に吸い込まれるようだった。隣に座っていた由美も同じ空を見ているのだろうか。腰が少し痛いのは運動不足のせいだ胃潰瘍はまだ治らないココアは胃にやさしいような気がした
2009.10.10