男がスタル
ベスト電器の知り合いの担当者が逮捕された。ぼくが彼であっても、誰が彼の立場であろうと100%同じ判断をしただろう。博報堂が提案してきたものであるし、郵便局からも許可が下りているものを他にどういう判断があっただろう。彼の上司である役員も経理の常務も稟議書に許可の印鑑を押している。それなのに彼一人だけ逮捕である。彼はさぞ無念であろう。 そういえばドイツでの戦争中、東から西へ逃げるためベルリンの壁を越えようとした市民を警護隊のひとりが発砲し死んだ。それが彼に課せられたルールだった。やがて戦争が終わり射殺された親族が彼を殺人罪で訴えた。判決は彼の逮捕だった。戦後の民主的なルールで、戦争中のルールを無視して判決されたものだ。その理由がふるっている。「いかなるルールの下においても個人の良心に照らし合わせて判断しなければならない」 日本の戦争中戦争反対を訴えた共産党員は投獄された。サラリーマンが良心にしたがえば職を失う。今回のベスト電器の彼にしてみれば良心に照らし合わせる以前に罪の意識も皆無だったに違いない。他人の足を踏んだ意識はないのに踏んだではないかといわれるようなものだ。 ではどうすればよいいか?週刊新潮の朝日襲撃事件の誤報にしろ世の中の権威や常識をまず疑うことだ。マスコミ情報など女性誌の井戸端スキャンダルより下劣なものだ。世で言いと思われているものはうさんくさい。アフリカの女性が首輪で首を長くしたり、唇にわっかをつけて大きく開いたほうが美人だとか、滑稽だが日本の世の常識もそれと大差ない。 村八分を恐れてはならない。大多数に飲み込まれては男が廃る。そんなことを考えていたら村上龍さんが同じ事をいっていた。おなじような感性を持つ人が少なからずいるというのもうれしい。