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カテゴリ:面白い日本史 世界史
日本史がおもしろくなる日本酒の話 須佐之男命が八岐大蛇を退治する際に使用した八塩折之酒 その酒を再現したモノがあると聞き、調べ、早速、取り寄せてみることに。 貴醸酒 平安時代の古文書「延喜式」に記されいる古代酒の製法の「しおり」と呼ばれている酒で、一度仕込んだ酒を水代わりに何回も仕込むという製法、 八塩折之酒も諸説ありますが、その方法で仕込まれてのではないかとされています。 当時は、水もそれ程衛生的ではなく、醸造するアルコール度数が低かったため、酒が腐ることもしょっちゅうあったとか、それを防ぐために、酒で何度も仕込む方法が取られたとか。 何度もお酒で仕込むので豊潤で甘い酒になったとか、八塩折(はちしおり)の”しおる”とは酒を醸すという意味。 上記の酒は広島の榎酒造の華鳩、今ではいろいろな場所で貴醸酒が作られていますが、最初の販売を始めたのがここ、ちなみに、一九七三年、国立醸造試験場がこの製法を初めて再現しています。 値段が結構なものでしたので、まだ試飲はしてません。 正月にでもゆっくり頂こうと思っています。 ちなみに、八塩折之酒は、まだ、米を原料として酒を仕込むという製法は伝わってなかった為、果樹酒ともされています。 本の内容を抜粋しますが、 縄文時代には「口齧み酒」 製法が既に存在し、酒の原料が米であった事を示す記録があったようで、 七一三年に書かれていた「大隅国風土記」に「口齧み酒」 の事が記されおり、煮た米を口の中で粥状にして吐くと、唾液の酸素であるアミラーゼが米を甘いブドウ糖に替え、空気中の酵母と結びつきアルコールに分解されて酒になる、これが「口齧み酒」 ちなみに、昔の米は水分が少なく硬かったので、長い間噛んでいると両目の横が痛くなり、それで生まれた諺が「こめかみ(米齧み)」です。 ↑↑これを聞くと自分、古事記や日本書紀の五穀豊穣の神話に思い当たるのですが、 古事記によると高天原追放された須佐之男命が大気津比売神に食べ物を頼んだところ、口から様々な食べ物出したとか、ところが、須佐之男は口から出したものは汚らわしといい、大気津比売神を切り殺したとか、すると、骸から様々な穀物が生まれそれを神産巣日神が世に広め、これが五穀豊穣の始まりだとか。 ちなみに、日本書紀では月讀命になっています。 ※2018/10/29追記、 岩見神楽で気になったのが五穀種元(ごこくたねもと)、日本書紀をベースにしてますね、月讀命様は不憫だ。太陽と月が昼と夜と別れた物語的には通るが…実は日本書紀は海外向けであることは案外と知られていない。月のと太陽が分れた話はアジア圏で多いそういうの取り入れたのでしょうね、なら余計に不憫ですが…ちなみに、日本書紀ばん遣わされた天熊人(あまのくまひと)は後世に色々な説がありますがよくわからない人物、その当時はもしかしたら急ごしらえで書かれたのかも。 ※ちなみに、 古事記=国内向け(当時の官僚及び皇族向け) 日本書紀=海外向け(当時のアジア向け) どっちにしろ 「口齧み酒」だと分からない人なら、そうなりそうな気がしますしもしかしたら現実に起こった事かも。 余談ですが、月詠人って綺麗な言い方ですね。 なので、酒の製法を知っている須佐之男ではない気がするのですが。 実際作ったされるのは櫛名田比売の両親、足名椎命と手名椎命。大蛇にたらふく飲ませるほどの酒を仕込む方法ならば、麹(米などの穀物にカビを繁殖させてつくられる)方法で無いと間に合わないような気がしてなりませんが。 縄文時代から米で醸す酒があるという事は、すなわち、大蛇に飲ませた酒も米から作った酒かもしれません。 酒を管理していたということは、同時に食料も管理していたのではないかと思われます、ので、そのような五穀豊穣神話が生まれたのではないのでしょうか。 ちなみに、「口齧み酒」が伝わっている地域は、南九州から北海道にいきなり飛んでおり。 それは、弥生時代の新しい稲作文化、大量生産が可能な「水田稲作農法」 が伝わっていない地域と重なっています。 いずれにしろ、なんらかの事が重なって「口齧み酒」の製法は廃れてしまったのでしょうね。 ※追記 2017/7/3 「口齧み酒」は「君の名は。」、八塩折之酒は「シン・ゴジラ」のヤシオリ作戦で取り上げられ素直に嬉しい。どちらも去年の大ヒット作、「シン・ゴジラ」のヤシオシリ作戦についてはいくつかのサイトで説明している。 「君の名。」についてもこちらが詳しい、どちらも動画やDVDでチエックや。日本で一番最初に米で酒とされるお酒は天甜酒で呼ばれ木花咲耶姫が最初に作ったとされる、それこそ「口齧み酒」で木花咲耶姫は大変な美人、そう、三葉ちゃんの「口齧み酒」なのだ。「口齧み酒」はそれこそ美人酒と呼ばれる所以。それなら八塩折之酒は果樹酒なのかというと…八塩折之酒を作ったとされる足名椎命と手名椎命、天甜酒を作ったとされる木花咲耶姫は大山津見神(山の神)の子供とされている、年の離れた兄妹姉妹なのだ。なので同じ製法を教わった可能性は十分に考えられる。が、美人が作るのとそうじゃないのとでは全然意味合いが違う気がします。どうせなら、美人酒の方が飲みたいですよね。※ちなみに、お酒の製法をもたらしたのが渡来人である秦氏で、秦氏が源流である松尾大社には月讀神社を祀っているのが五穀豊穣の神話を彷彿させて面白い、それから精製された清酒を作った奈良正暦寺です。
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