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カテゴリ:風景・旅行など
2016年桜 西公園 今回は西公園です。 西公園 ウィキペディアより サクラは約3000本あり、日本さくら名所100選に選定される。古くから荒津山ないし荒戸山と呼ばれていた、日本さくら名所100選に選定される。江戸時代になり、福岡藩によって東照宮が建立されたが、明治になって廃祀されしばらくは荒れるに任されていた。1873年(明治6年)の太政官布告に基づいて1881年(明治14年)に公園地「荒津山公園」とされた。1885年(明治18年)には園地を広げてサクラやカエデを植栽。1900年(明治33年)に西公園と改めるとともに県の管理となった。 光雲神社 ウィキペディアより 筑前福岡藩祖・黒田孝高(龍光院殿、如水)と、その子で初代筑前福岡藩主・黒田長政(興雲院殿)を祀る。社名は両神の法名から光と雲の一字ずつをとったものである。 境内には、福岡藩士で黒田二十四騎の一人・母里友信(太兵衛)の銅像があり、銅像下部には母里をモデルとした民謡「黒田節」の歌詞が刻まれている。また、長政が愛用した水牛の兜の像もある。 荒津神社、何故かここには神武天皇と大物主、金毘羅神を祀った神社があります、神社の詳細の年月日は不明ですが、古くは博多湾を警備するため、当初は各地から集められた防人がいて、後に東北出身者が多く徴用されたとか。当時は行って帰るだけでも生死を分けたので、任務が解かれてた後もそのまま居座ったのもいたかもしれません。集められた中に事情のあった知識人もいたのかもしれませんし、これも歴史の影ですね、光雲神社が立てられる以前からあり、古くはこの山全体を荒津山と呼んだとか。 藩主を差し置いて母里太兵衛の銅像が鎮座しています、名槍「日本号」を福島正則から酒飲み勝負で勝ち取った話は有名、この像は博多駅にも鎮座しております。ちなみに、藩主の像はありまん、それどころか、黒田官兵衛が放送されるまでは知らなかったようで、一種の都市伝説になってます。 ちっちゃいワンちゃん、放し飼いにして心配でしたが、皆、飼い主決まっていたようで。 ママはぐったりくたびれいます、↑、ママをよくみるとテリア系の血統証ようで、公園にはよく犬が捨てられているようで、よからぬ連中がいるものだ、残念です。 2016年桜 西公園 でした。
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最終更新日
2016年04月07日 00時23分49秒
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