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テーマ:旅のあれこれ(10260)
カテゴリ:風景・旅行など
龍馬青春の路 長崎 2日目 最終日 オランダ坂、孔子廟
まずはオランダ坂 、初日に亀山社中を訪れほぼ目的を果たしたので、最終日はのんびり散策しようと思ってました。 オランダ坂(ウィキペディアより、) 長崎県長崎市東山手町にある坂道。重要伝統的建造物群保存地区「東山手」の一部。 オランダ坂とは、大浦海岸通電停側から石橋電停側の誠孝院(じょうこういん)前の坂までの切り通し、活水坂、英国聖公会会堂跡前の坂一帯の総称である。江戸時代から明治時代にかけては、東洋人以外の人がよく通行していた。当時はその人々をオランダさんと呼んでいたのでこの名前がある。特に、活水女子大学入口にある坂がよく知られている。 活水女子大学入口の坂は幅が広く、坂は急でとても長い。現在は自動車も通っているが、自転車は通行止めになっている。入口と坂の途中には「オランダ坂」とかかれた石碑がひとつずつある。活水女子大学前から入ると、孔子廟裏へ出る。
長崎県では、ミルクセーキは卵、砂糖、練乳にかき氷を入れてシャーベットにした食べ物である。長崎市の喫茶店が考案したもので、暑い夏に涼めるように開発したものである。 長崎独自のミルクセーキ、これも食べたかったうちの一つ、流行りのかき氷みたいですね。
孔子廟(ウィキペディアより、) 唐人屋敷があった長崎に、明治26年(1893年)、清国政府と在日華人が協力して、中国の総本山並に伝統美あふれた「孔子廟」が作られた。この「孔子廟」には、孔子と72賢人石像や孔子の教えを始め、中国の文化・学術を伝える施設の「中国歴代博物館」も孔子廟の「大成殿」裏にあり、中国の貴重な資料とともに、一般に公開されている。
孔子廟の外には教会がみえる長崎らしい光景ですね。
出島(ウィキペディアより、) 1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島である。扇型になっており面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。1636年から1639年まで対ポルトガル貿易、1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われた。出島全体は大正11年(1922)10月12日、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されている。 現在は、高度経済成長期以降の埋め立て工事とビル建設により、出島の周囲は全て陸地になっている。 出島は外から、鎖国、今の研究では鎖国と言っていいかどうか分かりませんが、幕府が管理していた時代に唯一の貿易港だった、以前も訪れた事がありますが、とにかく狭い、今は埋め立てられて後に復元されて史跡がありますが、再現された壁がとにかく高いですね。そこに当時オランダ人が時には何か月もいたとは。
最後に取り忘れていたのが長崎の顔といえば路面電車、函館と熊本でもみましたが、あと広島ぐらいしかない印象がありますが、東京でも大阪にもあって今でも路面電車が結構のこっているのですね。 龍馬青春の路 長崎 2日目 最終日 オランダ坂、孔子廟でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年09月17日 20時56分51秒
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