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2019年11月03日
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カテゴリ:風景・旅行など
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​竈門神社​
​竈門神社​とは、
福岡県太宰府市にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。別称を「宝満宮」「竈門宮」とも。 太宰府市東北に立つ宝満山に所在する神社で、社殿は次の2ヶ所に形成されている。
・上宮 - 宝満山山頂(標高829.6メートル)。
・下宮 - 宝満山山麓。
かつては山腹に中宮もあったが、明治に廃絶している。宝満山は大宰府の鬼門(東北)の位置にあることから、当社は「大宰府鎮護の神」として崇敬された。平安時代以降は神仏習合が進み、当社と一体化した神宮寺の大山寺(竈門山寺・有智山寺とも)は、西国の天台宗寺院では代表的な存在であった。また、宝満山には英彦山とともに修験道の有数の道場が形成されたが、明治期にこれらの仏教施設は廃された。しかしながら、今なお福岡県下には当社から勧請された約40社の神社があり、現在も宝満山に対する信仰・縁むすび信仰により崇拝されている神社である。
当社は大宰府東北方の宝満山に鎮座するが、この宝満山は古くは「御笠山」「竈門山」と称されていた。うち「御笠山」の山名は、笠のような山容に由来する古いものといわれ、古くは神体山として信仰されたともいわれる。
社伝では、天智天皇の代(668年-672年)に大宰府が現在地に遷された際、鬼門(東北)に位置する宝満山に大宰府鎮護のため八百万の神々を祀ったのが神祭の始まりという。次いで天武天皇2年(673年)、心蓮上人が山中での修行していると玉依姫命が現れたため、心蓮が朝廷に奏聞し山頂に上宮が建てられたという。社伝に見られるように、当社の歴史は大宰府と深い関係を持ちつつ展開する。一方で、玉依姫命の「水分の神」としての性格から、御笠川・宝満川の水源の神として自然発生的に玉依姫命が祀られていたと推測し、その後に政治的な神格が与えられたと見る説もある。(ウイキペディアより、)
竈門神社の方除け・縁結び信仰
竈門神社は、大宰府政庁(都府楼跡)の鬼門にあたる宝満山に大宰府鎮護のために祀られた由来から「方除け」の神、更には厄除け、災難除去の神として信仰されてきました。また、方位と日本人の関係は古く、陰陽道では(艮)の方角を鬼が出入りする不吉な方向(鬼門)として万事に忌み嫌われ、今日においても、家屋の新築や増改築での間取りに当たっては方位を考慮し、転移や旅行に際しても方位の吉凶、その年の恵方を大切にしてきたのです。

また、主祭神が玉依姫という女性の神様であることから「えんむすびの神」として広く信仰されています。(パンフレットより、)
末社 式部稲荷社
稲は「命の根」とも表され、「稲荷」は「稲が成る」という意味があります。御祭神の宇迦御霊神は、私たちが生きていく上で欠かすことができない稲穂の守護神として仰がれ、日々の生業を守護していただける神様です。(公式HPより、)
参道の途中にある「神鹿園」のシカです。
竈門神社へは太宰府駅からコミュニティバスで行けます、だいたい30分ごとバスが走っており太宰府天満宮からは宮前が便利、案内パンフレットは太宰府駅前と太宰府天満宮内にも御座いますので是非訪れてみてください。
訪れた頃は10月下旬、まだまだ紅葉が始まったばかり、紅葉の見ごろは今月中旬からになります。
主祭神に玉依姫命をお祀りしていることから、魂(玉)と魂を引き寄せる・引き合わせる(依)という御神徳を慕われ、古くから「縁結びの神」として広く信仰されてきました。「縁結び」とは、男女の「良縁」をはじめ、家族、友人、仕事、自然などとの良いご縁を結んでいただける神様として広く親しまれています。(公式HPより、)
竈門神社は鬼滅の刃の竈門家のモデルではないかと言われいます、原作者 吾峠呼世晴氏の福岡出身ためだからです。ただし、ワニ氏は情報公開していません。なので噂の範疇ですが(公式には東京府 奥多摩郡 雲取山(現:西多摩郡 雲取山)としています。)せんせーは女装版 無惨。ちなみに、第26話はアニメ史にも残るあの会議、姿は女性なのに声は関俊彦、そのままねっとりした声で女装としか思えなのがかえって怖い💦
それから竈門炭治郎が水の呼吸やヒノカミ神楽を使うのも、玉依姫様は水を司る神様であり、更には卑弥呼と同一視されおり卑弥呼は日御子の事、天皇ゆっくりチャンネルで第7代孝霊天皇の子倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼の一人ではないのか言われておりました。それから、その兄は鬼退治で有名な彦五十狭芹彦命(桃太郎)、どうも鬼が登場しますね。第八代目孝元天皇は卑弥呼の弟の可能性もなくはない…?
末社 夢想権之助神社
杖道の祖と称えられる夢想権之助は、江戸時代初期に活躍した剣客で、宝満山中で修業中に開眼し「神道夢想流杖術」を大成しました。現在でも杖道愛好家の方々が御神徳を仰ぎ、毎月の神前稽古で技と心を磨いています。(公式HPより、)
当流の口伝では、後日に権之助が宝満山の竈門神社で祈願し杖術の研究を重ね、再び武蔵と立会い、ついに破った後に開いたと伝える。 『武稽百人一首』では「武道をば神の夢想ぞ権之助自らゆるす天下一かな」とよまれている。(ウイキペディアより、)
あの無敗の宮本武蔵を唯一倒した剣士、それも杖で。宮本武蔵は鬼武蔵と呼ばれていた様な…
もしかすると鬼滅の刃の無惨を唯一追い詰めたとされるあの方のモデルでは? しかし、これはけっこうなネタバレになりますね。
以前訪れた時より綺麗になってますね、それから夢想権之助社の上には…
横の階段から上ると前から行きたかった須佐神社が。
看板によると、”須佐神社の主祭神は須佐之男命であり日本最初の妻恋の歌、「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」其の八重垣を歌われて愛が育ち恋が実って、みね麗しい櫛名田ひめを娶られ(結婚)しました。須佐神社にお祈りすれば、神様もきっとお喜びになり、あなたの気持ちが通じて、実りに一歩近ずく、幸せの始まりではないでしょうか。”みね麗しとは神様の事では、前回までお見掛けしなかったというのも何か理由があるのかもしれません。
末社 須佐神社
記紀神話によると、出雲国に至った須佐之男命は櫛稲田姫を守るためヤマタノオロチを勇猛果敢に退治し、「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」という日本で最初の和歌を詠まれ、愛を育み永遠の契を結んでたくさんの子宝にも恵まれました。須佐之男命の勇気ある行動と深い愛情は、良縁成就、家庭円満の象徴として尊ばれています。(公式HPより)
HPお見掛けするよりずっと綺麗になってました。
上には彫り物が、太陽と月と刀そういうイメージなのでしょうか?社殿は綺麗になりましたし、今回お会いできたのも何かの縁かもしれません。
(これは私事として聞いてください、YouTubeのスピ系はほぼほぼガセですが、一部本物と思うものも。何かを写した写真で、最後の写真は人によってその心持次第でよくない事もという注意喚起されてました。何かあってはいけないのでここでは載せませんが、それは、荼枳尼天様を映したらしい写真、荼枳尼天様は筋を通して誠意を伝えればちゃんとご利益ももたらして頂ける神様ですが、その荼枳尼天様から須佐之男様の方が”よほど怖い”と仰っておりました。それはそれで怖いですが、須佐之男様もちゃんと節度を通せばやはりご利益をもたらして頂けます。実は、滅多に怒る方では無いですが…ただし。)
御本殿・拝殿
神様のお住まいであり、私たちの願いや感謝の気持ちをお伝えする最も神聖な場所です。現在の社殿は昭和2年(1927)に建てられたもので、檜の流造に銅板葺きが大変美しい荘厳な佇まいで、もみじやシャクナゲなど緑豊かな自然の中に、静かにそして悠然と建ち、私たちを迎えてくれます。平成25年(2013)、千三百五十年大祭の節目を記念し、銅板屋根の葺き替えをはじめとする改修工事が行われ、装いも美しく整えられました(公式HPより、)
もしかして主祭神の玉依姫様でしょうか?
実はお参りする際に烏帽子をかぶった白服の顎鬚の平安時代の装束の男性を感じました、風も吹いていましたし、丁度御祈祷を上げてました。千木は内削ぎで女神様、それは間違えない様です。自分がそう思い込んだ”だけ”かもしれません、それと、拝むときは心の中で祭神名を呼んだ方がいいとされてます、が、何故かこの時は祭神の名が出てこなかったです、男性の神様がいらしたのでしょうか、玉依姫様の他に神功皇后・応神天皇が合祀されています。もしかしたら応神天皇様なのでしょうか?。
お札お守り授与所
ご参拝の皆様をお迎えする建物で、お札お守り、絵馬、御朱印などをお求めいただけます。また、御本殿でのご祈願や神前結婚式のお申し込みも受け付けています。インテリアデザイナーのWonderwall片山正通さんにより、「百年後も愛され続ける建物」をコンセプトに設計され、様々な人々が行き交い多くのご縁を結び繋いでいく場となっていくことを願っています。(公式HPより、)
伊之助ーー!
いや、今年の干支は猪でした。
干支絵馬、縁結びにちなみ二頭のつがいの動物が仲睦まじく描かれているとか。
この授与所はインテリアデザイナーWonderwall 片山正通氏のデザイン、俗な言い方ですがこのお陰で参拝者が増えて末社の社殿も綺麗になった様ですね。
幸福の木縁結びこより
恋の願いを「こより」にしたため、この木に結んで真摯に祈れば、恋が成就すると信じられています。これは、江戸時代、「十六参り」と言って、当時の成人年齢である十六歳を迎えた男女が、男性であれば社会に出て立派に身を立て一生お金に困らぬよう、女性であれば良縁に巡り合い一生幸せに暮らせるようにと、両親とともに宝満山に上りこよりに願いをしたため頂上付近の木に結んで祈願したことに由来しています。(公式HPより)

招霊の木
招霊は神様を招くという意味で、特に竈門神社では良縁・幸福を招く霊験の木と信仰されています。これは、神代の昔、天の岩戸の前で天鈿女命が招霊の枝を手に神楽舞を奏されると、天照大神は岩戸よりお出ましになり再び明るい平和な世の中となったことに由来しています。例年、四月上旬頃に香り高い白い花が咲き、また秋には鈴のような丸い実を結び、神楽鈴の起源と伝えられています。(公式HPより、)
末社 五穀社
古来、五穀神は五穀(米、麦、粟、稗、豆)の豊穣を守護し、天地万物の生成、種子の発芽を促す守護神と信じられています。人が志を立て目標に立ち向かい進むとき、その兆しを興し道を切り開くお力を与えてくださると信じられています。(公式HPより、)
末社には須佐之男命や宇迦御霊神の他に天鈿女命と五穀神も祀らていて配置としては不思議です。
玉依姫様も五穀豊穣にも霊験あらかたな神様だからでしょうか。

九州で最も登山者が多いといわれている宝満山は、古の時代より神が降り立つ山として崇められてきました。別名の「竈門山」とは、頂上付近に遺る竈門岩の伝承によるものと、江戸時代の儒学者貝原益軒も「筑前国続風土記」にも記しているように、山の姿がカマドの形に見え、常に雲霧が絶えず、それがカマドで煮炊きをして煙が立ち上っているように見えることに由来していると言われています。(公式HPより、)
こちらは竈門神社に近いレストラン「人と木」アップルパイとハンバーグの店とわかりやすい。
休日は予約が必要かもしれない。

そーいえば前回もハンバーグでしたね、今回は牛肉100%のハンバーグ、
ランチデート、せっかくなので看板のアップルパイで。
2019年10月の 竈門神社でした。





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最終更新日  2024年03月03日 09時17分26秒
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