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2020年02月24日
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テーマ:日本の歴史(1070)


歴代天皇ゆっくり解説 多文化人間チャンネル
なお、過去の天皇ゆっくり解説、初代神武天皇~第四十一代持統天皇女性天皇第四十二代文武天皇~第五十六代清和天皇 もリンクを貼っておきますのでよろしくお願いします。

こちらも本日紹介致します、もう少し先に紹介するつもりでした。昨日は令和初の天皇誕生日、本日は2月24日は振替休日、今回はゆっくり天皇解説を掲載させていただきます。今と人と全く変わる事の無い人間模様、天皇も藤原氏に限らず彼らの多くは今と人とちっとも変わりません。職場や学校に同じような人が必ず一人や二人はいると思います。どうぞ視聴して楽しんで下さい。(なお、2020年1月1日~2020年2月29日迄のYouTube投稿を載せております。)
天皇の歴史はまた別の角度の日本の歴史、更に別の見方をすると災害対策や疫病対策の歴史でもありました、自然の驚異と戦いそれを後世の教訓としていました。時には菅原道真公等の怨霊に重ねる事も、今ではそんなことは全然関係ないですが…。祇園祭はウイルスを鎮めるための祭り、藤原氏等によって追いやられ志半ばに散った人々魂を鎮めるための祭りでもありました。コロナウイル等で不要な外出を控えれている方も多いとは思いますが、必要以上に恐れず、手洗いうがい等をして対処をしましょう。


第五十七回 陽成天皇 在位:876年12月18日(貞観18年11月29 日)- 884年3月4日(元慶8年2月4日)
在位中元号:貞観 元慶
正月気分が…外戚関係なんていらんなんて…もしかして若気の至りか、荒ぶる天皇、引きこもる摂政基経…これって…たまには合わない方もいらしゃいます。正負の法則、摂政政治がそうそう毎回上手くいくわけありません。陽成天皇、退位後は暇を持て余したナントかばりに歌人して活躍、80歳迄長生きしました。人間余分なストレスが無いと長生きするのですね。(869年1月2日〈貞観10年12月16日〉- 949年10月23日〈天暦3年9月29日〉)

第五十八回 光孝天皇 在位:884年2月5日(元慶8年3月5日)- 887年9月17日(仁和3年8月26日)
在位中元号:元慶 仁和
まさかの天皇の料理番でなく、天皇が料理番、55歳で…極端から極端ですね、年齢もさることながら政治から離れていた為か別の意味で基経に任せていた様で…余計な気遣いか、息子達を臣籍降下させて先帝の子供が天皇になるようにしたのですが。基経をかえって困らす様に。基経と先帝陽成天皇の妻のとなった妹高子が不仲と知らなかった様で…。個人的な対立、そりゃ知らんわ。人間関係の悩み全然今と変わらないでな無いですか。ただ、この天皇、妻や子供が多かったようですね。まさかの、光源氏のモデル?イケメンだったらしいですし。

第五十九回 宇多天皇 在位:887年9月17日(仁和3年8月26日)- 897年8月4日(寛平9年7月3日)
在位中元号:仁和 寛平
ツンデレネコスキーというパワーワード…基経がまた引きこもった…阿衡が幾ら権限なしの取締役だとしても…更に先帝(陽成上皇)がマウントを取ってくる💦何やってるのこの人達は…ここで関白も登場、関白とは、「政務のすべてを太政大臣に関(あず)かり白(もう)す」の事、このままでも正直良かったんじゃねぇ、宇多天皇は阿衡事件をきっかけに藤原氏の権力がすっかり嫌気がさしたようで、ここで登場したのは当時は身分が低かったものの優秀だった菅原道真、よっぽど懲りたのか菅原道真を過度に信頼した事で後に不幸になっているですよね。菅原道真は危険を理由に遣唐使を取りやめにしているし、後に唐は滅亡した為判断は正しかったですが。滝口武士、武士がいよいよ登場し始めましたか、最初は天皇護衛部隊。ネコスキーと知られる天皇、まるで猫ブログ…最後のツンデレは本当にいらんわwww猫に走るとは余程ストレスだったのだろか。乳粥=ヨーグルト、当時は身分の高い人も滅多に口に出来ない、CIAOちゅ~る毎日与えたらいかんやろ!天皇の妻本当に多いですね、光源氏が普通に見えてくる。

第六十回 醍醐天皇 在位:897年8月4日(寛平9年7月3日)- 930年10 月16日(延長8年9月22日)
在位中元号:寛平 昌泰 延喜 延長
親の心子知らずとは言ったものでかえって藤原氏の関係を強固にすることに、後に流石の藤原氏も力を失いますが、菅原道真の怨霊伝説が…悪い事は出来ないですね、災害をなんでもかんでも怨霊のせいにされるのは心外ですが、当時の人々は真剣だったとか、いま学問の神様になられて良かったですね。祇園祭も怨霊を鎮めるためですから、史実がしっかりしてきて大変になってきている様で…現在に近づくほど更に記録が残っているのそれは仕方が無いですが、情報が更に多くなっていく事でしょう。天皇よりやはり相変わらず藤原氏の方が目立ってるし…チーズ天皇の方がインパクトありますね、醍醐とはチーズ、天皇すら滅多に口に出来ない為に最上位の意味なったとか、成程。醍醐の製法は現存して無いそうですね、蘇なら残っているとか、なにやら”​​蘇​​”がバズっている様ですが…”​​”は過去に作った事があります、牛乳を鍋やフライパン等でただ煮詰めるだけですが、焦がさないのと忍耐がいるので大変、ちなみに、スピ的な話、素戔嗚尊は衣装もキッチリしていてもう少し品性があるように見受けられますが(信じるか信じないかあなた次第、蘇が好きなのか?)。一度は作ってみましょう。

第六十一回 朱雀天皇 在位:930年10月16日(延長8年9月22日)- 946年5 月23日(天慶9年4月20日)
在位中元号:延長 承平 天慶
ほぼ、承平・天慶の乱…はてな?どちらも元号でしょう?玄武、白虎、青龍天皇いそうですがいないですね…(アホ丸出し)平将門物語ですか?これは…また、怨霊の一人が。藤原純友”おれは海賊王になる!”それちゃうから、、純友さん一体何を拗らせた?こっちの方が魅力的な海賊の長に気に入られたのか、気になってしょうがない。純友は海から、将門は陸から、出世コースから外れたので荒ぶったのか、939年(天慶2年)ついに同時謀反が…打合せでは無くたまたま同じ時期に発生したとか、しかも、同年同月12月。臣籍降下は何か起こる事、でも、これで留まらないのだな。大河ドラマに藤原純友、よっぽど今の”麒麟がくる”より面白そうだ、そして…”高速平将門の乱”と、終わるのはえーよ、言われたりして。

第六十二回 村上天皇 在位: 946年5月23日(天慶9年4月20日)- 967 年7月5日(康保4年5月25日)
在位中元号:天慶 天暦 天徳 応和 康保
藤原氏の権力は絶大、しかし、平安時代後半ごろにが権威を発揮できなくなるのかな、天皇が権力を持っていたのは天武天皇ぐらいだったとは、藤原氏が一番気になるところ、今の様は文化になったきっかけも藤原氏対策、まあ、後の話になりましが…藤原氏の権力はほんと何処まで、今も血筋が繋っているし、ようやく安倍晴明(延喜21年1月11日〈921年2月21日〉- 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)が登場しましたか、ただし、チラリだけですが。

第六十三回 冷泉天皇 在位:967年7月5日(康保4年5月25日)- 969年9月27日(安和2年8月13日)
在位中元号:康保 安和
ここまで来るともう色々な方がいらしゃいますね、精神に異常があったとか、わざとだったとかいろいろ言われてます。三種の神器を直に見ようとしたとか?5歳でアレとはもしかして早熟? とはいってもこの頃の5歳って今でいう6歳~7歳ぐらい、…そういう事に興味がある子供はいるから、天皇の役割を終えてさぞかしほっとした事でしょう(950年6月12日〈天暦4年5月24日〉- 1011年11月21日〈 寛弘8年10月24日〉)天皇いう称号が切れていたとは、ちょうど半分でしょうが、あと半分は桁違いに情報量が多くなり更に重要な出来事が連発するので過酷になりそうですね、特に白河天皇以降…。後、番外編も…。

第六十四回 円融天皇 在位:969年9月27日(安和2年8月13日)- 984年9月24日(永観2年8月27日)
在位中元号:安和 天禄 天延 貞元 天元 永観
藤原氏がジャニーズ…成程。
藤原氏から権力を引き離そうとする天皇は歴史上何人もいる訳です。みんな悉く失敗してますけどね。
その通り、もはや茶番、藤原氏の内部紛争、今度は兼通と兼家兄弟、何やってるんすか!兼通優位で唯我独尊かと思いきや、お互いグタグタに…兄弟争い犬をも食わぬ、かな?「朕は本当かんけーねーし。」引きこもりは手段ですか?兼家。…天岩戸以来、引きこもりが多いね。たいてい引きこもり奴のせいだが…そのお陰で内部分裂発生、結局また藤原氏がまた勝利、ほんとしつこい。

第六十五回 花山天皇 在位:984年9月24日(永観2年8月27日)- 986年8月1日(寛和2年6月23日)
在位中元号:永観 寛和
天才とナントは紙一重、確かにニュータイプですね、思うままに生きたのでヨシ!としましょう。父冷泉天皇を超えましたが、本当に才能を持った方はこんなものです。時代を間違えた様に思われますが、スキャンダルで有名人が追われるのは現在の事実。血筋が親族間だと起こりうる事実でもあるでしょう。もう藤原氏vs藤原氏、もう、ジャニーズvsジャニーズみたいな…藤原氏一強、いや、兼家一強。だからこそ天皇がいいように利用されたのですが、出家大作戦は成功して良かったですね、天皇がアレなので…チラリ道長も登場してます、兼家の5男として。藤原道長といえば藤原氏中藤原氏、チートですから。なんだか気のせいか天皇歴史より藤原氏の歴史を見ている様な…メッセージでは、”花山天皇17歳の永観2年。天皇が「頭が痛い!特に雨が降ると殊更痛む!」と苦しみ朝廷はあの陰陽師、安倍晴明に助けを求め頭痛の原因が吉野で修行した修験者のドクロで天皇の前世であると占いで解明しドクロを取り出すと無事、頭痛は止まった。と、鎌倉時代の『古事談』にしるされてます。”今回の解説に無いものの、度々登場する安倍晴明は一体幾つ位の人でしょうか。ちなみに、安倍晴明(延喜21年1月11日〈921年2月21日〉 - 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)です。

・​第六十六回 一条天皇​ 在位:986年8月1日(寛和2年6月23日)- 1011年7月16日(寛弘8年6月13日)
寛和 永延 永祚 正暦 長徳 長保 寛弘
一条天皇、人生の大半が天皇(980年7月15日〈天元3年6月1日〉- 1011年7月25日〈寛弘8年6月22日〉)、正、当時は天皇と呼びませんでしたがねっ。平安時代の貴族料理、おそらく現代人には食べられたものでな無かったと見て取れます。お酒は糖分が高かったとか、確か、ワインや日本酒の甘口と辛口はお酒の発酵度合い、辛口程より発酵が進んだ状態、だから後に道長が糖尿病の合併症で亡くなった、仕事のストレスもありますが…。八岐大蛇も甘ーい酒を飲んでいたのかも、時代が平和で安定し、兼家が天下を取り、いよいよ藤原道長の登場ですか、だたの権力者だけでなく努力してます(半沢直樹の世界)。安定していたおかげで女流作家が大活躍、清少納言、紫式部が登場。定子、彰子も、ここで、源氏物語のモデルと思われる登場人物が一気に登場してますが…彰子の家庭教師となった紫式部は源氏物語の中でしっかりディスてません…?女三宮でしたか、定子が紫の上か、成程、しかし、自由に書けるのは彰子さんのお陰なんですが…ちなにみ、清少納言と紫式部は対立していたとされますが…紫式部の一方的な思い込み、清少納言は会ってすら無いのでぜんぜん、紫式部の旦那の藤原宣孝はロックンローラーか?そりゃ2度見するし、書くね、清少納言さん、それがっ悪いですかな?藤原氏これだけいると色々なキャラも…ちなにFGO清少納言ってⅤチューバーぽくて派手ですが、輝夜月とイラストレーター同じの様ですね、だから、輝夜月と初音ミクを合わせた様なデザイン、いや話が逸れましたが…。ちなみに、定子と彰子は年齢が違いすぎるため仲が良いとか悪いとか無かったとか。っか、一条天皇の事が全然、ちなみに、一条天皇は定子に夢中。しかし定子には数々の不運が…これも紫の上に重なります。…と当時は思ったかもしれない、道長さん幾ら源氏物語を見たいからって…草案持ち出すなーーー今は犯罪行為ってそりゃ。紫式部、藤原道長の愛人だとされていますが…宮中去ってますね。清少納言は後ろ盾が亡くなったとはっきりしてましたが、紫式部ははっきりしないとか、ライバルがいなくなったから?それか、だんだん道長がめんどくさくなっただけ?
しかし、天皇の話全然してないですね…ネコスキーの2例目ですか?それも清少納言の方が目立っていた、犬嫌いネコスキー、猫は愛玩動物で高級品、犬は番犬。だから首輪付けて紐に繋がれたいた。元はネズミ捕りの為に置かれたいたと思いますが、この頃はまだ小型犬が登場してませんでしたし、小型化して急速に権力者の愛玩動物になったのは犬も同じ。徳川綱吉の狆が有名、でも、基本ネズミ捕りに活用されていた。清少納言もポメラニアンならメロメロになっていたかもしれない。しかし、藤原兼家、息子の藤原道長、定子、彰子、清少納言、紫式部、と旦那。これだけの主役級のキャラクターが多すぎる、話もほぼそれですし。今回は最長ですが?、しかし、30分でも短くないですか。

※あと、余談ですが、
本日、グレーテルのかまどの再放送の椿餅編を視聴して気が付いた事があります(再放送なのは別の番組の聖徳太子の興味があって見てませんでしたが。)、…ここからは信じるか信じないかはあなた次第ですし、失礼承知で言わせていただきますが、信じなくても良い話です。伊邪那岐命と伊邪那美命の話を聞いてあること思い出しました。ある日、町中を歩いていたら布教中の某キリスト系の団体から”サタンが現れた。”と言われたり、外国人らしい中年の女性から通りすがりに2度もお祓い儀式された事も(椿(つばき)という言霊を聞けば想像が出来ると思いますが…)。それに、ニュースで今回コロナウイルスの事を某団体が”サタンだ”と言っていましたが…いや、いや、それはウイルスでしょう、原因はあります。それはマスクや手洗いやうがい等で対策するしか無し、なによりも免疫を上げないと。ちなみに、椿餅(つばき)は源氏物語の時代からあってそれを光源氏の栄枯盛衰を表すワードとして用いられていました。当時は滅多に甘いお菓子は食べられることなく、特別な時しか出されない。だから若い人達ががっついてたいのですが、見て光源氏が「俺、おっさんになったな。」と思ったとか、これこそ椿餅の意図でした。当時は砂糖が無かったために甘葛(あまかずら)で作られ今ほど甘くは無かった様ですが(甘葛は当時は非常に高価な甘味料、天皇でも滅多に口にすることは出来ません。それ使ったデザートが光源氏はどれだけの財力を有していたか…)、当時、それこそ妙齢にはもうもたれるでしょう。そも、そも、蹴鞠大会の後、今で言うサッカー大会の後なので体力がついていかなったでしょう。これが不吉な前触れですが、ニュータイプの女三宮に苦労しますし、それから息子同然に思っていた柏木にも裏切られてしまいますが。

歴代天皇ゆっくり解説 第五十七代陽成天皇~第六十六代一条天皇でした。





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最終更新日  2024年01月22日 12時36分59秒
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