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カテゴリ:ご祭神、神社等のいわれ
※10月16日追記 八坂神社本殿が国宝に 重文に疫神社本殿なども、文化審が答申 。 国の文化審議会は16日、疫病退散を祈願する祇園祭を営む八坂神社(京都市東山区)の本殿1棟を国宝に指定し、境内の疫神社本殿や境内外の四条旅所本殿(下京区四条通寺町東入ル)など社殿群26棟を重要文化財(重文)に追加するよう、萩生田光一文部科学相に答申した。(京都新聞web版より、) 八坂造というそこにしかない建物ですから、元は寺ですし。 たまにこんな事をするのです、近所のスーパーで置いていて前から気になっていました。1350円(税抜)、こういう国産ウイスキーの中では安価な方、まあ、色々あるようですが。 嵐ノブとは、何時コラボした?嵐とノブ…嵐と千鳥ノブでは無く、FGOの事だった…嵐ノッブ(正) 何だ、何故か邪馬台国&新撰組???、ここまで来るのとなんでもありやな、岡田以蔵もこっそり参戦しているし。 卑弥呼様、神話では無いギリギリ日本史、 ルーラーですか、ルーラーのイメージは崇拝されるが悲劇的な最期を迎えるイメージですが、それは、ジャンヌダルクや天草四郎のイメージが強いからだ。シャーロックホームズ等いるのでそうでもない。ちなみに、卑弥呼様は崇拝さつつ、戦争責任(日食が原因とも)を取らさせれ一族に殺されていたらしいので、悲劇的な最期と言えば最後ですね、ルーラーは納得。 ちなみに、邪馬台国のヤマタイは中国の読みでは”ヤマド”と呼ぶらしいですね、これは、大和朝廷を意味するものではという事、3世紀の中国なので当時を考えると卑弥呼も邪馬台国も蔑称ですが、卑弥呼は 姫御子、または日女子では無いかという説があります。 しかし、今回、設定が無茶苦茶のせいか最後まで訳わからなかったですが…埴輪ノッブをボコしまくっただけ? 第1回 天之御中主神の神社 平家物語の回で水天宮、天之御中主神、安徳天皇がお祀りさているのを書きましたが、今回はほんの少しだけ詳しく書いてみましたのでよろしくお願いします。 ・水天宮(すいてんぐう) ご祭神:天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子) 社伝によれば、寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加持祈祷を行ったことから、当初は尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の次男平 知時の子右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。 尼御前社と呼ばれていた時代の祭神は尼御前大明神(筑後川の水神)、左荒五郎大明神(牛馬守護の水神)、右安坊大明神(安徳天皇)の三神であったという。(ウィキペディアより、) 安徳天皇 第81代天皇(在位 1180~85)。名は言仁。高倉天皇第1皇子、母は建礼門院平徳子。治承4(1180)年即位。寿永2(1183)年7月、源義仲の入京により平宗盛に擁せられて西海に遷幸、大宰府に入った。次いで讃岐の屋島に移り(→屋島の戦い)、さらに源氏に追われて長門の壇ノ浦で平家一門と入水(→壇ノ浦の合戦)。陵墓は山口県下関市阿弥陀寺町の阿弥陀寺陵。(ブリタニカ国際大百科事典) 高倉平中宮(建礼門院、平徳子) 高倉天皇の中宮。名は徳子。父は平清盛、母は平時信の娘時子。承安1(1171)年高倉天皇の女御として入内し、翌年中宮となった。治承2(1178)年言仁親王(→安徳天皇)を産み、養和1(1181)年門院宣下。元暦2(1185)年平氏が壇ノ浦の合戦に敗れると、安徳天皇とともに入水したが救助され、落飾して真如覚と号した。のち大原寂光院に閑居して仏に仕えた。陵墓は寂光院裏山の大原西陵。(ブリタニカ国際大百科事典) 二位の尼(平時子) (?~1185)平清盛の妻。重盛・宗盛・知盛・重衡・徳子の母。三后に准ぜられ、清盛没後、剃髪して二位の尼と称された。壇ノ浦の戦いで安徳天皇を抱いて入水。(デジタル大辞泉) ・妙見宮(みょうけんぐう) ご祭神:北辰妙見尊星王(天之御中主大神) 鎌倉時代の末期に、日蓮宗が千葉氏の帰依を受けると、法華経寺(現 千葉県市川市)に妙見神が守護神として勧請され、寺領が寄進された。仏教信仰に属する妙見信仰が妙見宮に鎮守神としてまつられるようになったのは、このころからであろう。その後、日蓮宗の寺院に多くまつられ、近世初頭に勧請された大阪府豊能郡能勢町にある真如寺の妙見堂は、(能勢妙見)として広く名を知られている。(世界大百科事典より、) 北辰妙見尊星王(天之御中主大神) 北極星を神格化した菩薩。尊星王あるいは北辰菩薩とも呼ばれる。国土を守り、災いを除き、人の福寿を増すとされ、星曼荼羅 (→北斗曼荼羅 ) の中心を占めることもあるが、単独で信仰されることも少くない。図像としては、二臂像、四臂像、竜などに乗るもの、また掌の上あるいは蓮の上に北斗七星を描いたものがみられる。日本では特に眼病平癒を祈り、密教と日蓮宗において祀る。(ブリタニカ国際大百科事典 ) ・サムハラ神社(さむはらじんじゃ) ご祭神:天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神。 サムハラとはサンスクリット語の三跋羅(さんばら)という言葉に由来するという。 1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)にて旧い小さなほこらの荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。(ウィキペディアより、) ・四柱神社(よはしらじんじゃ) ご祭神:天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神 明治5年(1872年)に筑摩県松本に設置された神道中教院で、明治7年(1874年)から四柱の神を祀ったことに始まる。(ウィキペディアより) 天御中主神 日本神話で、天地開闢(かいびゃく)のとき、高天原(たかまがはら)に最初に出現した神。造化の三神の一。中国で天の中心にいるという元始天尊の思想からつくられたとされる。 高皇産霊神 日本神話で、天地開闢(かいびゃく)のとき、高天原(たかまがはら)に出現した神。造化の三神の一。天照大神とともに、高天原の至上神。生成の霊力を持ち、太陽神としての性格ももつ。別名、高木神(たかぎのかみ)。たかみむすびのかみ。 神皇産霊神 後世「かみむすびのかみ」とも、日本神話で、天地開闢(かいびゃく)のとき、高天原(たかまがはら)に出現した神。造化の三神の一。生成の霊力をもつ神で、兄神たちに謀殺された大国主命(おおくにぬしのみこと)も、この神の力で蘇生したという。(デジタル大辞泉) 結論から言えば、 水天宮には本来 天之御中主神 お祀りされていない。 主祭神は本来は安徳天皇をはじめ、母や祖母等の平家、親子関係が多いですね、だからこそ出産や子育てにご利益があるのですね、水天宮は有馬家とも深い関係が、関係してくるのは江戸時代からですが、パトロンがいなければ平徳子さんも生きて無かった可能性も。 明治の廃仏毀釈で変わった以外は明治以降に設置された様、水天宮、妙見宮、多くありますが、場所によって違ってきます。ちなみに、天御中主神がお祀りされていない妙見宮、本来の安徳天皇が主祭神の水天宮もございます。妙見さんを祀る千葉神社は色々な意味で気になります、月刊オカルト情報誌のムーなどメディアにおいても度々取り上げられている、”桓武天皇御世(781~806年)、大陸からもたらされて浸透しつつあった妙見菩薩信仰を、桓武天皇は宮中行事としてはじめて取り入れました。妙見信仰は伝来当初は、畿内の南河内など辺りでの信仰されていたようです、物部氏の氏神である事代主(ことしろぬし)とも習合してしており。なぜなら、事代主とは、最高神の言葉を下ろす(代弁する)人、という意味であり、つまり天之御中主大神の寄り代であるからです。そして、事代主の別名は一言主。人が一言言葉を発すれば、その願いを聞き届ける神、とされ、そして妙見大祭の別名は、「一言妙見大祭」。物部氏の氏神であり、日本の本当の武神の頭領である布都主(ふつぬし)を祭る香取神社の神域に、千葉神社が鎮座したしたことともかかわりがある(tenki.jpより)”と妙見さんは皇室と関りがあったと書いてありましたがこの事だったのか。 天之御中主神の神社を他にあったら教えてほしいです、…と思ったら、ウィキペディアに載っていました。 現在、主にこの神を祭る神社には、妙見社系、水天宮系と、近代創建の3系統がある。 妙見社系の端緒は、道教における天の中央の至高神(天皇大帝)信仰にある。北極星・北斗七星信仰、さらに仏教の妙見信仰(妙見菩薩・妙見さん)と習合され、熊本県の八代神社、千葉氏ゆかりの千葉神社、九戸氏ゆかりの九戸神社、埼玉県の秩父神社などは妙見信仰のつながりで天之御中主神を祀る妙見社である。妙見社は千葉県では宗教法人登録をしているものだけでも50社以上もある。全国の小祠は数知れない。 水天宮は、元々は天之御中主神とは無関係だったが、幕末維新の前後に、新たに主祭神として追加された。 明治初期に大教院の祭神とされ、東京大神宮や四柱神社などいくつかの神社が祭神に天之御中主神を加えた。 その他、島根県出雲市の彌久賀神社などでも主祭神として祀られている。 出雲大社では別天津神の祭祀が古い時代から行われていた。現在も御客座五神として本殿に祀られている。出雲大社が古くは高層建築であったことは別天津神の祭儀と関係があるとする説がある。(ウィキペディアより、) 最後に、天之御中主神より国之常立神の方の祀られた神社が多いのは、 古事記は江戸時代に本居宣長らによって本格的に研究がまであまり重要視されおらず、どちらかというと日本書紀の方が正史として重んじられたためでした。日本書紀では国之常立神が最も早く表れた神様でした。天皇の地上支配の正当化を示すためとか。国之常立神は天皇家祖神でしょうか、てっきり藤原氏案件かと… ※ちなみに、本居宣長の研究のお陰で江戸時代、古事記の聖地を巡礼する女子も現れました、今の歴女となんら変わらない。まあ、平安時代に源氏物語にハマり過ぎて婚期遅れた女子もいるので昔から人間のやっている事はそう変わらないのかもしれませんが… 更に、御客座五神とは天地開元の別天つ神五神、その神に大国主神は監視されているとされるとされていますが、だとすると、大国主神はどれだけチートなんでしょうか、そう思わずにはいられない。 今回は本やSNSに載っていた事を書いたに過ぎませんよ、中には昔からか考えられないような事を書いている人もいる。妄想で書た訳では無いのであしからず、御客座五神うんぬんつと言った人の方が妄想…?センセーショナルにした方が本が売れる、あっちゃん曰く思想違いだったらどうしょうも。藤原氏については、天皇ゆっくりチャンネルを観てください。 ※2021年1月25日 、「サムハラ神社」神職が祈祷中にわいせつ行為の疑い 大阪府警が逮捕。 はっ、今なんて… あそこ、近年、大阪最大のパワースポットと言われ人気がありましたし、入手困難の指輪も有名。造化三神祀っている上、隣接地に大阪府警察の機動警ら隊がいるのに…起こるかなそれ、人気がありすぎて気が抜けたのか、やはり神職も人間なのだろう。サムハラ神社、やはり、神社本庁非加盟でしたか、このご時世色々あるのでそれが良いとも言えないですが。建立した田中 富三郎、昭和10年に創建された比較的新しい神社です、新しいからと言って悪い事も全然ありませんがね。 第1回 天之御中主神の神社でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月07日 12時53分21秒
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