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2021年10月09日
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「鬼滅の刃(きめつのやいば)」コラボ限定パッケージのカップ麺「日清のどん兵衛 きめつうどん」「日清のどん兵衛 炎ぷらそば」「日清焼そばU.F.O.」
練り上げられている至高の領域に近い!

それは麺ですか???UFOと猗窩座があまりにもマッチしていたのでつい手が伸びてしまった…
3つ購入すると、「どん兵衛&U.F.O.×鬼滅の刃」オリジナルシール (全45種)がついて来ます、カップ麺は108円(税抜き)なので意外とお得でした。
うまい!うまい!うまい!
っか、煉獄さんだった…コメントが潔くてヨシ!
↑↑イケてるシーンなのでこれは嬉しい。こちらは西日本限定ですから、ぱっと見分かりずらいですが、「西日本限定 華やぐ旨みのWだし 本鰹×昆布」、東日本に比べて出汁の色が薄いのは良く知られております。でも、普通のと中身は変わらない。

荒魂 和魂
今回は第20回目なので、荒魂 和魂について、紹介するつもりでした。
が、あまり書かれてないか、書かれていてもさっくり、…結論から言えば。
明治以前の文献には一切登場せず、日本古来の霊魂観ではない。
幕末に、平田篤胤の弟子の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観として、人の魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという「一霊四魂」説が唱えられるようになった。「一霊四魂」という概念は本田以前には一切文献にはなく、本田独自の霊魂観であるが、これには西洋のスピリチュアリズムの影響が伺える。
古典上の根拠は一切なく、明治以降に広められた特殊な霊魂観であり、神道辞典などには一霊四魂という名称さえ掲載されていない。

概要

荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。これに対し、和魂は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされている。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮、豊受大神宮の多賀宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は荒魂と和魂を支えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を執り行ってきた。この神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっている。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。
和魂はさらに幸魂(さきたま、さきみたま、さちみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられる(しかしこの四つは並列の存在であるといわれる)。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表す。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられる。
四魂の機能
勇 - 荒魂(あらみたま)
「勇」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもある。行動力があり、外向的な人は荒魂が強い。
親 - 和魂(にぎみたま)
2つ目の魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。その機能は、1字で表現すれば「親」である。平和や調和を望み親和力の強い人は和魂が強い。
愛 - 幸魂(さきみたま、さちみたま)
3つ目の魂は幸魂であり、その機能は人を愛し育てる力である。これは、「愛」という1字で表される。思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である。
智 - 奇魂(くしみたま)
4つ目は奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は、奇魂が強い。
類似概念
五方 - 五行思想の五方(5つの方位)の概念に類似している。五方では、北が水、南は火、東は木、西は金、中央は土、になる。
仮に一霊四魂に五行をあてはめると、荒魂は火、和魂は水、幸魂は木、奇魂は金、直霊は土、に相当すると考えられる。(ウィキペディアより、)

なにそれ、そも、そも、そのウィキペディアの情報が怪しいですが…一応”一霊四魂”の概念も載せております。恐らく、荒魂 和魂は昔からあって、一霊四魂という概念が明治以前には無いと思われますが、どう言っていいかのか分かりません。然る方も「荒魂 和魂、知らない、宗教団体か何か?荒神なら分るけど、それでも最近だけどね、うん200年位前かな。」とおっしゃっておりました、そういう事だったのか。

↑↑画像は最近登場したモンストキャラ”ヤトセ”、…と言っても少し前ですが。今回、ガチでモンストぽい、もしかして、本田親徳の思考が中二病的な…失礼しました。そういう事なら私でも考えそうな事だ、それよりも…
モンスト 8周年ですかおめでとうございます!
選んだのも”アラミタマ”と”ニギミタマ”というキャラが登場してる為、ただそれだけで選びましたが。ヤトセちゃん私的な好みにぶっ刺さりました。もし、明治からの一個人の考えであるならば、一切何も問題がないですね、それよりも、次から次へとキャラを考えないといけないという苦労を感じずにはいられません。


『ウマ娘』FNS歌謡祭“うまぴょい”披露で世界トレンド入りの反響「中毒性ある」「流行語あるぞ!(笑)」
って、10月6日、FNS歌謡祭に出たの、これは凄い…そのうち、今年の暮れはサブちゃんとウマ娘役声優さん達が紅白出場して“うまぴょい”と”まつり”を歌う事もあるかもしれない。
最近、”犯罪皇帝クライムカイザー”というクソカッコいい異名を持った昔の名馬を知りましたが、彼はトウショウボーイやテンポイントやグリーングラスとの同期とか、どんだけ昔ねん、見た目はオルフェで、ステゴの様な黒鹿毛、それにゴルシ並のデカさに、ヤバいくらいオーラを放つ奴だった、当時アイドルホースだったトウショウボーイをスキを突いてダービー制覇ゆえに犯罪皇帝と呼ばれていたとか、が、普段の成績はごく普通、”犯罪皇帝”なんて今では完全中二病案件ですが…。中二病ウマ娘…?!こうなると、トウショウボーイやテンポイントやグリーングラスも登場して欲しいですが、彼らは70年代に活躍した馬なので社台グループでなければ権利の問題は恐らく大丈夫だと思います、社台…そこが問題ですが。
あと、↑↑の舌だしゴルシです、何故かレースクイーン姿の高田純次が1位と2位になった事も、全く意味不明ですが。が…しかし、思わず、高田純次がウマ娘のゴルシをコスプレ姿を思わず想像して…舌をべろべろしながら迫ってくる…って何、女装だか何だか分らない。「120億円ーー!!ざまみろ!でも、俺も掛けてたし。」「この年で…」とも言いつつノリノリでコスプレしそう。


​第20回 吉備津彦命の伝承と桃太郎伝説について、​
今回の第20回目は吉備津彦命の伝承と桃太郎伝説について紹介します、前回の第19回目は鬼と見なされた吉備一族の首領 温羅について紹介しました。明日10月10日23時15分より、『TVアニメ版 鬼滅の刃無限列車編』が全7話放送されます。第1話のサブタイトルが第1話「炎柱・煉獄杏寿郎」、そう、煉獄さんが主人公なんですよ。ちなみに、『遊郭編』はその後という事で…こちらも待ち遠しい。そこで、前回の温羅つづき今回は鬼退治の主人公吉備津彦命、つまり、イメージとしては前回は猗窩座のモデル?、今回は煉獄杏寿郎のモデル??、本当はどうなのか分かりませんが。桃太郎は元は吉備津彦命、彦五十狭芹彦命とも、大和朝廷の王子だったのですね、ここには作為的な何かを感じずにはいられませんが。​
なお、今回もネットから持ってきた記事を載せておりますので併せて宜しくお願いいたします。

(日清のどん兵衛 炎ぷらそば 煉獄杏寿郎 &「どん兵衛&U.F.O.×鬼滅の刃」オリジナルシール 煉獄杏寿郎)
うん、目が怖い!

吉備津彦命
名称:古事記 比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみこと)大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)
日本書紀彦 五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)
別称:吉備都彦大吉備津彦命吉備開国之神(きびかいこくのかみ)
神格:軍神
ご利益:延命長寿、武運長久、家内安全、厄除け、病気平癒 子育て守護、産業興隆、五穀豊穣
関連神:姉神 ヤマトトトヒメモモソヒメ命
吉備津彦命を祀る代表的な神社
吉備津神社 岡山県岡山市北区吉備津、吉備津神社 広島県福山市新市町大字宮内、吉備津彦神社 岡山県岡山市北区一宮、田村神社 香川県高松市一宮町、御崎神社 岡山県岡山市北区立田、艮御崎神社 岡山県倉敷市真備町川辺
桃太郎伝説の主人公とされる神さま

キビツヒコ命の名からすぐに連想されるのは、鬼退治で有名な桃太郎ですね。その結びつきは岡山市にある吉備津神社祀られるこの神さまの伝説に見られます。
その昔に、異国からやってきたとされる鬼が吉備津国に住みつきました。温羅(うら)と呼ばれたその鬼は、もともと百済の王子だったとされます。大きい体に、真っ赤な髪を生やしたその姿は異様で、性格は極めて残忍。
現在の吉備津神社から西北へ約10kmほどの場所にある片岡山に作られた「鬼の城」を拠点にして、暴虐の限りを尽くしたとされ、人々を恐怖のどん底に叩き落していました。
この事態に朝廷から派遣されたのがキビツヒコ命で、現在の吉備津神社から近い場所である「吉備の中山」に陣を張ります。鬼との戦いが始まり、激しい戦いの末、ついに鬼を退治したとされます。これがいわゆる「温羅伝説」で岡山が発祥といわれる桃太郎の鬼退治物語の元のなったとされます。

中央から派遣されて吉備津国を統治
『日本書紀』によれば、キビツヒコ命は第七代孝霊天皇の子で、姉はヤマトトトヒモモソヒメ命とされます。崇神天皇の治世に四道将軍(天皇の命で天下平定のために地方に派遣された軍事・行政長官)の1人として吉備国に派遣され、吉備地を平定する任にあたりました。平定後はキビツヒコ命の子孫がこの地に繁栄し、吉備臣(きびのおみ)となり勢力を振るったとされます。吉備津神社の縁起によると、吉備国を平定したキビツヒコ命は、吉備の中山のふもとに建てた御殿「茅葺宮」に住みながら政治を行い、281歳まで生きたとされています。この長寿にちなんで延命長寿の神とされています。現在でも吉備津神社の奥にある吉備中山の中腹には、キビツヒコ命の墓と伝わる墓陵があります。
温羅の伝承
温羅は鬼ノ城に住み周辺地域を荒らしたが、吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)の3人の家来とともに温羅を討ち、祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたとされます。
この伝承では温羅は討伐される側の人物として記述されていますが、吉備は「真金(まかね)吹く吉備」という言葉にも見えるように、古くから鉄の産地として知られています。このことから温羅は製鉄技術をもたらして吉備を繁栄させた渡来人であるとする見方や、鉄文化を象徴する人物ともみられています。
また、温羅は吉備津神社の本来の祭神と見る説もあり、ヤマト王権に吉備が服属する以前の吉備津神社には吉備の祖神として温羅が祀られていたとされます。服属によって祭神がヤマト王権系の吉備津彦命に入れ替わったという見方もあるようです。(日本の神様と神社より、)

煉獄さんの煉獄杏寿郎の”杏”は、桃太郎から付けられたとか、正、桃では無く杏(あんず)の杏寿郎の為、ああなったとも。ネタバレになりますが、現代編での子孫は煉獄桃寿郎とか、完全に吉備津彦命は煉獄さん、温羅は猗窩座がモデルという事になります。更に、吉備津彦命の本名は彦五十狭芹彦命と言い大吉備津彦命と呼ばれる事も、彼には倭迹迹日百襲姫命という姉以外にも兄弟がいて、同母弟に稚武彦命(紀)、若日子建吉備津日子命(記)がいるとか、これは…弟の煉獄千寿郎だよね。稚武彦命は兄程の大活躍ではないもののさっくり活躍している。
しかし、281歳って流石に無いよな、寿命換算がおかしいのは記紀らしい。だいたい1/4~1/2くらいの計算だとか、ただし、半分の140歳でもそうはいない、70歳ちょっとそれが妥当でしょう。それでも当時からしたら相当な長生きの方かも。煉獄さんは早世しましたが、煉獄家はもっとも古くからいる鬼狩り一族、煉獄家が炎柱を一気に引き受け、歴代の一族も容姿が似ている為に、この設定ある意味でありかもしれない。
ところで、倭迹迹日百襲姫命=甘露寺蜜璃、元煉獄さんの次子でしたし、そうなると夫の大物主神は伊黒小芭内という事に、これはあくまでも想像であってそうじゃない事も、煉獄杏寿郎の母の瑠火さんの可能性だって十分にあり得るのですよね、大物主神が煉獄槇寿郎という事も、正、水を司る神様です、ただお酒の神様でも、槇寿郎は妻の死と能力の限界に自信をなくして意気消沈して飲んだくれていましたし、それから以前に童磨では無いかという事も書きましたが。まあ、童磨は瓊瓊杵尊の可能性もある訳で…となると、木花咲耶姫は胡蝶しのぶではないと思ったわけで、実は記紀では神様の中で瓊瓊杵尊誕生間もない、つまり心が成長してないという事、しかし、これ書いたら怒られそうですが。

「アサヒ生ビール(マルエフ)」
噂のビール1986年発売された復刻版、ビールらしいビールと言うのも久し振りでした、これは人気になる訳だ。焼きそばにビール、まさに至高の領域、ただ、体には悪い…

吉備津彦命とは、
孝霊天皇の皇子「倭五十狭芹彦(ヤマトヰサセリヒコ)」の別名。西道に派遣され吉備国を平定した事から。御伽噺「桃太郎」のモデルと言われる。
概要
第七代孝霊天皇と内侍・倭国香媛(ヤマトノクニカヒメ)の間に産まれた第三皇子『倭五十狭芹彦(ヤマトヰサセリヒコ)』の別名。
『古事記』では『比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみことこ)』(亦の名『大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと))、『日本書紀』では『彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)』(亦の名『吉備津彦命(きびつひこのみこと))と記載されている。
第十代崇神天皇の御代に大彦命(おおびこのみこと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、丹波道主命(たにはのみちぬしのみこと)らと共に四道将軍の一人に任命され、西道(山陽道)に遣わされ、兄弟の稚武彦命(わかたけひこのみこと)と共に吉備国を平定し、『吉備津彦命』と呼ばれるようになった。

鬼退治の伝説
吉備(岡山県南部)には鬼ノ城に住んで地域を荒らし、暴虐ぶりで現地の人々を苦しめていた悪鬼・温羅(うら)を、吉備津彦命が犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来と共に討ち倒し、その祟りを鎮めるために温羅を吉備津神社の釜の下に封じたという伝説が残っている。
この伝説が後代に御伽噺「桃太郎」となったとされ、温羅の本拠地鬼ノ城が鬼ヶ島、討伐にあたって引き連れた臣下はそれぞれ、犬飼健が犬、楽々森彦が猿、留玉臣が雉のモデルとなったとされる。
家来の1人である犬飼健は犬養氏の始祖で、五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の祖先と言われている。
吉備平定での活躍と温羅伝説は、共に古代の大和政権と吉備国の対立構図を、桃太郎と鬼の争いになぞらえたとするものとされ、鬼とは当時の地元民の抵抗勢力の隠喩とも言われ、蝦夷などの古来民族を敵視する古事記や日本書紀などの流れを組んだ部分が強いことを示唆している。
この伝説は同神社の御釜殿(重要文化財)における鳴釜神事の謂われとなり、上田秋成が手掛けた読本『雨月物語』中の一編『吉備津の釜』にも登場する。

信仰
旧吉備国地域(岡山県から広島県東部(福山市)にかけて)には吉備津彦を地域の祖神、温羅をその先触の神使として祀る吉備津彦信仰が根強い。
かつての吉備国地域を構成していた国(備前国・備中国・備後国)における現位の一宮である吉備津彦神社(備前)吉備津神社(備中)吉備津神社(備後)の各社において主神として祀られるのが吉備津彦である。
また、同地より瀬戸内海を超えた讃岐国(現在の香川県)の一宮である田村神社の祭神「田村大神」にも吉備津彦が主神のひとつとして習合されている。これは田村大神の主柱が吉備津彦の姉である倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)であるため。(ピクシブ百科より)


ピクシブ百科、ちと説明が雑になってない💦、倒した側とはこんなものですか?前回説明したので仕方がないか、温羅に好感が、日本人独自の判官びいきでしょう。
しかし、家来の1人である犬飼健の子孫が第29代内閣総理大臣 犬養毅って。彼と言えば、五・一五事件、1932年(昭和7年)5月15日(日曜日)海軍青年将校たちが武装して総理大臣官邸に乱入した襲撃テロと言った良いかわかりせんが、起こった反乱事件。日本がああゆう方向に向かったきっかけだったりします、この事件が発生したきっかけに、これには原因の一つとして世界恐慌による大不況の煽りを受けた人々の不満もありました。内閣総理大臣 犬養毅は「話せばわかる。」と言って諭そうとしたものの「問答いらぬ。」暗殺されました。しかし、まさかの過去の内閣総理大臣登場とは思ってもみませんでしたが、吉備津彦命の家来ですが、古代から現在まで血脈が続いる日本は凄い所だと改めて思いました。
吉備津彦の三人の家来とは犬養縣主(犬 犬飼健)、猿女君(猿 楽々森彦)、鳥飼臣(雉 留玉臣)という豪族です。イヌ、サル、雉、これも何か裏があるのでは??しかし、これは、竈門炭治郎、嘴平伊之助、我妻善逸やんか、もし、煉獄さんがもし桃太郎こと吉備津彦命とするとそうなりますね。ぷらず禰豆子ですが。無限列車編と言うのがそのような組み合わせで出来ているとすると、魘夢にも何かモデルが居そう。

(香椎宮 綾杉)

桃太郎伝説を訪ねて吉備路へ、岡山県岡山市・総社市
古代史に実在した、悪鬼と桃太郎の戦い
桃太郎伝説の地、吉備路へ。岡山市とその西隣の総社市を結んで吉備線が走る。車窓から望む風景は、肥沃な平野が遠くの山裾まで広がり、のどかで清々しい。古代、この沿線周辺は、大和政権と並ぶ勢力を誇った吉備国の中心地であった。この地こそ、『日本書紀』や『古事記』に記される桃太郎伝説の舞台だ。
吉備国は奈良時代、律令制によって4カ国(備前、備中、備後、美作)に分割されるまで、現在の広島県東部から岡山県全域を含む広大な領土を有した大国だった。高梁川と足守川が形成する大穀倉地帯吉備平野と、豊かな海産物と塩をもたらす瀬戸内海に恵まれ、国は大いに栄えた。中国山地を擁した吉備国は、鉄の一大産出地でもあった。大和朝廷を凌ぐ製鉄技術を駆使して農具をつくり、驚くばかりの農業生産量をあげた。『古今和歌集』に詠まれている「まがねふく吉備の中山おびにせる細谷川のおとのさやけさ」の「まがね」とは鉄であり、高度な製鉄技術や土木技術は、朝鮮半島から渡来した人びとがもたらしたものとされる。そして歌に詠まれた「吉備の中山」には、吉備津彦命を祀る吉備国の総鎮守、吉備津神社がある。吉備津彦命は「桃太郎」のモデルといわれ、吉備津神社に伝わる『吉備津宮縁起』には「温羅[うら]退治伝説」が記されている。温羅とはもう一方の主役「鬼」のことだ。
温羅の姿は、「人皇第11代垂仁[すいにん]天皇(または第10代崇神[すじん]天皇)の御代に、異国の鬼神が飛行して吉備国にやってきた。その名を温羅と呼んだ。鬼神温羅の両眼はらんらんと輝いて虎や狼のようで、その顎髭や髪は燃えるように赤かった。身長は一丈四尺(約4.2m)もあり力は大変強く、性質は荒々しく凶暴であった。温羅はやがて新山(現在の総社市黒尾)に居城を築き、そばの岩屋に盾(城)を構えた…」と描かれている(『おかやまの桃太郎』より要約)。
温羅は大和朝廷への貢ぎ物や物資を載せて瀬戸内海を渡る船を襲い、婦女子をたびたび略奪した。人びとは恐れおののき、温羅の棲む居城を「鬼ノ城[きのじょう]」と呼び、温羅の悪行を朝廷に訴えた。それに応えた朝廷は武将を派遣するが、神出鬼没にして変幻自在の温羅に、武将たちはことごとく追い返される。そこで朝廷は、孝霊天皇の皇子で武勇に優れた五十狭芹彦命[いさせりひこのみこと](吉備津彦命)を温羅退治に遣わす。その際、温羅征伐の供をしたのが三随臣、犬飼健命[いぬかいたけるのみこと]、留霊臣命[とめたまおみのみこと](鳥飼部の家系)、そして道案内役を務めた吉備足守の豪族・楽々森彦命[さざもりひこのみこと](猿田彦命)だ。これで桃太郎にイヌ、キジ、サルの顔ぶれがそろった。
向かうは、いざ鬼ケ島。吉備津彦命が陣を構えた吉備中山から北西を望むと、小高い山々が連なっている。遠目に山肌が露出しているように見えるその山頂が、温羅の棲み家・鬼ノ城だ。標高約400m、急峻な斜面には花崗岩の巨石がいくつも転がっている。露出しているように見えた山肌は、じつは土や岩石を積み上げて築かれた強固な城壁だった。
この山城は日本では数例しかない古代朝鮮式山城の典型で、国内最大規模。今も山腹に数カ所残る城壁は壮観で、古代にこれだけ頑丈で大規模な城を築いた吉備国の技術に改めて驚かされる。山上からは、両腕を広げてあまりある風景が眼下に展開する。遠くは屋島や讃岐富士(飯野山)が望め、麓を見下ろせば、小高い山々が海原に浮かぶ大小の島々のように見えてくる。現在の肥沃な平野部の大部分は当時、「吉備の穴海」と呼ばれる海だったという。つまり、鬼ノ城山が「鬼ケ島」だったとしてもおかしくはない。

鬼は大和朝廷を脅かす吉備国の大王か
吉備津彦命と温羅がいよいよ一戦を交える時がきた。「温羅退治伝説」はさらにこう続く。
「(温羅は)戦うこと雷のようにその勢いはすさまじく、豪勇の吉備津彦命もさすがに攻めあぐねた。命の射る矢は不思議なことにいつも温羅の放つ矢と空中で絡みあい、海へ落下。そこで命は神力を現し、強力な弓を持って一度に二本の矢を射た。一本は岩にあたり落下したが、一本は温羅の左目にみごとに命中し、血潮がこんこんと流水のようにほとばしった…」。
矢が刺さった温羅の目から流れ出た血は瞬く間に川となる。鬼ノ城山の麓を流れ、足守川に合流するその川の名は「血吸川[ちすいがわ]」。温羅はたまらず雉[きじ]と化し山中に隠れるが、吉備津彦命は鷹となり後を追う。すると温羅は鯉に姿を変え血吸川へ逃走、命は鵜に化身し温羅を捕らえる。そして、命はついに降参した温羅の首をはねる…。鬼をみごと成敗し、めでたしめでたしで“おしまい”となるはずの桃太郎話だが、「温羅退治伝説」にはまだ先がある。
はねられた温羅の首は、その後何年も恐ろしい唸り声を発し、その声は辺りに大きくこだました。吉備津彦命はその首を犬に食わせるよう犬飼健命に命じ、首は髑髏[どくろ]となったが、それでも唸り声は止まない。そこで吉備津彦命は、吉備津神社御釜殿の床下に髑髏と化した首を埋める。しかしその後も「13年間唸り止まず」と『吉備津宮縁起』には記されている。ところがある夜、夢枕に温羅の霊が現れ、吉備津彦命にこう告げた。「吾が妻、阿曾姫[あぞひめ]をして釜殿の釜を炊かしめよ。もし世の中に事あれば、釜の前に参り給え。幸いあれば裕[ゆた]かに鳴り、災いあれば荒らかに鳴ろう」。お告げどおりにすると、なんと唸り声は鎮まった。
以降、吉備津神社では「鳴釜神事[なるかましんじ]」が行われるようになる。鳴釜神事はじつに不思議だ。厳かな空気漂う御釜殿には大きな鉄釜が据えられた土の竃[かまど]があり、巫女が甑[こしき]に少量の玄米を入れ、片手で玄米を蒸すような仕草をする。そして、神官が祝詞をあげるとやがて、目の前の鉄釜が唸りはじめ、御釜殿は大音響に包まれる。その音の響きで吉凶を占う。つい最近まで、この神事を司る巫女は阿曾姫の里、鬼ノ城山麓にある阿曾郷出身の女性に限られていた。
かくして、温羅を征伐した吉備津彦命は長きにわたり吉備国を統治した。この吉備津彦命と犬飼健命、留霊臣命、猿田彦命が桃太郎と従者のモデルというわけだ。桃太郎こと吉備津彦命は、吉備中山の茶臼山御陵に今も眠っている。
桃太郎は吉備津彦命。鬼は人知の及び知れないもの、隠れたるもの、すなわち外敵。「温羅退治伝説」を古代史と摺りあわせると、勢力拡大をもくろむ大和朝廷にとって、吉備国の大王は脅威なる「鬼」だったに違いない。そこで、吉備津彦命が吉備国制圧に起ち、吉備国を平定した。吉備津彦命亡き後の律令制による吉備国分国は、強大すぎた勢力の分割とは考えられないか。しかし奇妙なことに、吉備津彦命を祭神とする吉備津神社は、敵[かたき]であるはずの温羅も大切に祀っている。温羅は決して悪行、乱暴を極めた暴君ではなく、国に高度な技術を伝え導き、繁栄をもたらした大王として、吉備の民から広く敬われる存在だったのではないだろうか。
『おかやまの桃太郎』を著した市川氏は話す。「桃太郎を古代史に関わる伝承や資料に基づいて検証してみると、調べるほどに吉備津彦命が桃太郎のモデルとされた根拠が出てきます。しかし、この話を通して私が多くの人に本当に伝えたいことは、吉備の深い歴史や文化です」と。
こうして吉備路を歩き、吉備の伝承や史跡、文化に触れながら桃太郎伝説を辿ると、桃太郎はやはりこの地に“実在した”という気になってくる。(Blue singnal 西日本の美しい風土「JR西日本」より、)


前回書き忘れていましたが、一度に2本の矢、前にインド映画で見た事が…
やっぱり温羅だね、温羅はとても悪鬼だとは思えません、前回書いた通りです、資料元が違うだけで。
猗窩座が悪鬼だけでは無かったのは本当にこの話が元ネタでしょう、吉備津彦命、桃太郎は大和朝廷の王子だった事も。彼は四道将軍の1人、ちなみに、四道将軍(しどうしょうぐん)とは、日本書紀に登場する皇族(王族)の将軍で、崇神天皇の代に北陸、東海、西道、丹波に派遣されたと伝える。その4人とは、大彦命(おおびこのみこと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)。
こちらは、鬼滅の刃キャラクターでいう柱かもしれません、吉備津彦命が煉獄さんなら他はどうなのでしょう、桃太郎伝説の吉備津彦命が一番知られていますが、大彦命=悲鳴嶼行冥、武渟川別命=不死川実弥、吉備津彦命=煉獄杏寿郎、丹波道主命=冨岡義勇、丹波道主命は他柱も当てはまりそうな気がしますが、宇髄天元、宇髄さんのモデルが天宇受売命(あめのうずめ)という事だけハッキリわかっています、だからその神様に関係してか遊郭編の活躍は必然ですが…さて、上記に挙げた方々は基本の型、岩、風、火、水の柱である事、正、基本の雷はいませんが、見た目が、大彦命が大柄の武人、武渟川別命が厳つい戦闘家、吉備津彦命ヒーローでリーダー、丹波道主命がクールな戦略家、だいたいはイメージで当てはまると思う。そもそも、一人二人だけでなく他にも複数の神様をイメージして作り上げているのでは。少しばかりかかなり脱線しましたが、となると、やはり、煉獄さんの強さは上から三番目でしょう。

第20回 吉備津彦命の伝承と桃太郎伝説についてでした。





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最終更新日  2024年01月20日 20時45分31秒
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