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2022年03月20日
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カップヌードル にんにく豚骨
カップヌードルの新定番!

豚のうまみをきかせた豚骨スープに脂のコクとにんにくの風味を加えた、濃厚でパンチのある味わいが特長です。

少しというか大分前のものですが、にんにく豚骨という悪魔よ、食べた後、部屋が凄い事になってるぞ。
この季節になるとだいたいイチゴが大分安くなるのでよくフルーツサンドをして食べています。




​​第25回 お諏訪さま 建御名方神(タケミナカタノカミ)について、​​
前回は​ご祭神、神社等のいわれについて​まとめさせていただきました、追記な様には書きません、そもそも、これが本編ですし。お諏訪さま 建御名方神の事を妓夫太郎と言いました、鎌は諏訪大社の神器であり、健御名方神そのものといわれています。妓夫太郎と言えば両手に血鎌を武器にする鬼ですが、『鬼滅の刃』の別キャラの可能性も出て来たましたが…


TRADITION 武田信玄も崇敬した武の神様
建御名方神
日本人なら知っておきたいニッポンの神様名鑑 2020.12.8

武田信玄をはじめとした戦国武将にも崇敬された神、タケミナカタです。

建御名方神(タケミナカタ)
古事記:建御名方神
日本書紀:なし
基本属性:武勇の神
代表的ご利益:武勇掲揚

オオクニヌシの御子神。出雲の国譲りのときに、武の神タケミカヅチに果敢にも挑み、諏訪の地に封じ込められてしまった神。このため劣勢の状況でも容易には屈しない、強い武威を示す神ともいえ、敗北を喫した神でありながら日本三軍神に入り、武田信玄をはじめとした戦国武将にも崇敬された。
代表的神社:諏訪大社
内最古を称する神社のひとつ。古代の社には社殿がなく、諏訪大社の境内にも、本殿と呼ばれる建物が存在せず、イチイと杉の木、お山を御神体として崇めている。(Discover Japanより、)


建御名方神が白馬、いや葦毛の神馬に乗られている、敗走したわりに武人が崇拝する神様、敵わなくても最後まで抵抗したという事がカッコ良かったのだろうか、私個人は建御名方神は諏訪で弓矢をつかいゲリラ作戦で最後の奮戦した様に思えるのですが。建御名方神が武人の神として祀られているのは、東北の蝦夷と呼ばれる朝廷に歯向かう土着民の征伐に出かけた将軍坂上田村麻呂が諏訪大社に戦勝祈願した事に由来するとか、全然違うやないけ。

建御名方神(タケミナカタノカミ)の描かれる姿と伝承。ご利益と神社紹介
建御名方神とは?

信濃国の諏訪地方(長野県)の有力な神さまです。神話国譲りで、天つ神最強とされる武の神タケミカヅチに果敢に挑んだ国つ神の軍神。日本三軍神であり、武田信玄をはじめとする戦国武将にも崇敬されました。諏訪大社を本拠地として全国各地に広がる諏訪神社の主祭神です。
古事記・先代旧事本紀:建御名方神(タケミナカタノカミ)
別称:建御名方富命、建御名方命、武御名方主命、武御名方命、武南方富命、武南方神、南方刀美神(ミナカタトミノカミ)、健御名方富命、健御名方刀美神、御名方富命神、御名方刀美命、諏訪神、諏訪明神、諏訪大明神、諏訪南宮法性上下大明神、お諏訪さま
(「タケ」は勇壮の意。「ミナカタ」は,「宗像」の転とも「南方(水県、水潟)」の意ともいわれる。)
神格:狩猟神、農耕神、軍神、五穀豊穣の神、風の神
ご利益:勝利祈願、狩猟守護、子授かり、子孫繁栄 交通安全、延命長寿、スポーツ上達、武運長久、開運招福、五穀豊穣、国土安穏、盛業繁栄、商売繁盛
関連神:父神 オオクニヌシ命(古事記)、母神 沼河比売、妻神 八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)
御子神 建御名方彦神別命、出早雄命、意岐萩命、妻科比売命、守達神、池生神、須波若彦命、片倉辺神、蓼科神、八杵命、内県神、外県神、大県神、恵奈武耳命、高杜神、妻岐萩命、都麻耶美豆比売命、奥津石建神、多都若比売神、垂比売神、竟富角神、大橡神
水や風、農業守護の性格を持つ神さま
諏訪社の古い伝承や祭事について詳しく記述されている縁起譚である『諏訪大明神絵詞(すわだいみょうじんえことば)』には、タケミナカタ神がこの地に来て、先住の神である守矢神(もりやのかみ)や諏訪湖の龍神などの神々を服従させ鎮座したとあります。
諏訪社の伝承で英雄神の姿で伝えられるこの神は、古くからは狩猟神として信仰されてきました。その遺風は鹿の頭を神に捧げる諏訪大社上社の「御頭祭」に今も残ります。
狩猟に使用される弓矢などの武器に宿る精霊と連想され、武威にすぐれた神(軍神)として信仰が始まったとされます。
諏方神は古来、風の神として有名で、諏訪大社には風の平穏を祈る専門職として「風祝(かぜはふり)」と呼ばれる人々がいました。
もともとは山の神として狩猟を守り、水源の神や風の神として農業を見守ることから地元の人々の生活に深く関係した神霊としての姿が諏訪神の現像のようです。
諏訪大社下社の山宮「御射山社」がある霧ヶ峰高原の八島湿原では、鎌倉時代にタケミナカタ神に奉納する武術競技大会が行われていたそうです。
神話「国譲り」で最後まで抵抗した神
『古事記』のタケミナカタ神はオオクニヌシ神の息子として描かれます。
神話「国譲り」ではアマテラス大神の「地上の国の統治権を譲りなさい」という要求に対して、オオクニヌシ神の子どもたちの中で最後まで頑固に抵抗しました。
タケミナカタ神は千人がかりで動かす大岩を軽々と持ち上げる程の剛力の持ち主。高天原の使者である武甕槌命(タケミカズチノミコト)に対し自信満々で力比べを挑みます。
しかし、タケミカヅチ命の手を掴もうとすると手が氷柱になり、次にそれが剣に変わります。それにひるんだタケミナカタ神は、こんどは逆にタケミカヅチ命にやわな若い葦でもつかむように腕をつかまれ、軽々と投げ飛ばされてしまいます。
敗れたタケミナカタ神は出雲国から逃げ出し、信濃国(長野県)の州羽(諏訪)の諏訪湖に逃れましたが、タケミカズチ命は追いかけてきました。
そこで、父や兄の命に背かぬこと、この州羽の地から外に出ないで暮らすことを誓い国譲りに同意します。それ以来諏訪湖のほとりに隠棲したとされています。
古事記に記されるタケミナカタ神はなさけない印象を持ちますね。
しかし、これは大和朝廷と地方勢力の政治的な対立を反映した服従神話とみられており、有力氏族の中臣氏(のちの藤原氏)の祖神のタケミカヅチ命の活躍を印象づけるための創作という説もあるようです。
また、タケミナカタ神は『日本書紀』における国譲り神話、『出雲風土記』などに記される出雲国伝承に一切登場せず、『古事記』でもオオクニヌシ神の子神でありながら、その系譜に名前が見られません。
これら理由から近代ではタケミナカタ神は国譲り神話に挿入されたという説が主流となっているようです。
平安、鎌倉時代に武神としての信仰が広がる
タケミナカタ神の武勇、軍神としての名声は平安時代にはすでに広まっていました。延暦2年(783年)2月、坂上田村麻呂が奥州征討に向かう途中、諏訪大社に参拝し戦勝を祈願して戦場に向かいます。すると、諏訪の神の化身の兵が参陣し敵を打ち破ったとされます。
さらに、その信仰が一層高まったのは鎌倉時代には、元寇のとき龍神として示現し大いに神威を発揮したと伝わります。鎌倉幕府を中心とする武家社会で、タケミナカタ神がいかに軍神として信仰されていたかがうかがえます。
武神としての姿は神威を高め、信仰を広めることに大いに役立ちましたが、それはあくまでも一面です。その一方で建御名方神(諏訪神)を支えてきたのは農民を中心とする庶民の信仰です。
建御名方神を祀る神社
諏訪大社上社本宮:長野県諏訪市中洲宮山、上社前宮:長野県茅野市宮川、下社春宮:長野県諏訪郡下諏訪町、下社秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町上久保
秋保神社 宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北、諏訪神社 東京都江戸川区平井、新宿諏訪神社 東京都新宿区高田馬場、居多神社 新潟県上越市五智、諏訪神社 三重県四日市市諏訪栄町、大倭物代主神社 兵庫県宍粟市山崎町下牧谷宮ノ谷、諏訪神社 京都府相楽郡南山城村大字田山小字堂山、建御名方神社 島根県仁多郡奥出雲町鴨倉下鴨倉、諏訪神社 徳島県徳島市南佐古三番町、諏訪神社 長崎県長崎市上西山町、諏訪神社 鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南、その他全国の諏訪(諏方・周方・州波)神社(日本の神さまと神社より、)


人気の神様、東方と言ったゲームや漫画等の様々ジャンルで登場しております。諏訪に伝わる神話の中で、建御名方神は稲作文化を持つ民族として、この地に先住していた狩猟民族と戦いをすると言う物語があるとか、先住民にはミシャグチ信仰と呼ばれる土着の神様を祀る風習があり、モレヤ神(=洩矢神)がこの地の首長で、その他に、蛇神のソソウ神、チカト神と言う神様を祀っていたとされます。これらの神を倒して、建御名方神はこの地を手に入れますが、この地の首長であった洩矢神と協力して諏訪の地を治めることになったとか。古事記とは逆ですね、現在洩矢神の子孫の守矢氏が諏訪大社の神長官という役職を担って、神社を運営努めているとか。
ちなみに、東方の東風谷早苗は諏訪大社の第78代神長官守矢早苗氏のモデルとされています。
それから東方に八坂神奈子というキャラも居ましたが、彼女の元ネタが八坂刀売命、建御名方神の妃神とされ、諏訪大社下社ほか、各地の諏訪神社などに祀られているとか、正、記紀神話には見られない神であり、諏訪固有の神様とされているとか。
後、ライバルの建御雷神は藤原氏の祖である中臣氏の祖に当たる神とされているため、中臣氏の正当性を強く主張するために建御名方神を倒したというエピソードが創造されたという見方もあるとか。

【伝承と信仰】『日本建国神話』
建御雷神が大国主神に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主神は御子神である事代主神が答えると言った。
事代主神が承諾すると、大国主神は次は建御名方神が答えると言った。
建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその手が氷や剣に変化した。
これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽(すわ)の海(諏訪湖)まで追いつめられた。
建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。
この建御雷神と建御名方神の力くらべは古代における神事相撲からイメージされたものだと考えられている。
なお、この神話は『古事記』にのみ残されており、『日本書紀』には見えない。


出雲稲佐の浜で建御雷神に両腕をもがれ、諏訪に逃げた神。その手が無い風体が蛇体としての土着神ミシャグチと計画的に合祀され上書きされた説もある。…て言う怖い話も、これガチで怖い。『メガテン』ではそれを思わせるホラーな姿に。だから蛇なんですね💦建御雷神ひでーな、後、建御雷神は鹿島神宮で建御名方神が反乱を起こさない様に見守っているとか、そんな、死体蹴りせんでも。勝つと言う事はそうなんだろうな、後、メガテンでのミシャグチ様のお姿酷い…センシティブすぎてお怒りになるのもわかる。

薙鎌(なぎがま)
独特な鳥のような形をしたこの薙鎌は諏訪大社の神事には欠かせない神器です。本来は柄の部分がついていない状態で使われ、この鎌を下の写真のように木に打ちつけると諏訪明神のご神威が宿るとされています。人が乗った大木を坂から滑り落とすことで有名な御柱祭で使われる神木も、この薙鎌を打ちつけ諏訪明神を宿した後に切り倒され祭りに使われるのです。
また薙鎌の薙(なぎ)は「凪(なぎ=風のない状態)」に通じるともされ、薙鎌は風をバラバラに切り、暴風雨をおさえこむ力があるとも伝えられます。昔の人にとって天候は農作物の出来を大きく左右し、生き死にに直結する問題だったためこうした神器や神事が生まれ、神様の力にすがったのではないでしょうか。(信州の人より、)


薙鎌、”水の呼吸の拾壱ノ型 凪”水柱・冨岡義勇さんが独自に編み出した呼吸、それに似ている様な…間合いの全てを無に帰す事から、無風の海面を意味する「凪」の名を持つとか、敵の攻撃というか暴風雨を抑え込むなんてまさにこれ、それはワニ先生の中にしか分かりませんが。

- 豊年祭 ~ 二丁鎌 -
島津家初代・忠久公が諏訪大明神への信仰が篤ったことに由来し、鹿児島県には諏訪神社が多く、祭神名の建御名方命(たけみなかたのかみ)からとって『南方神社(みなみかたじんじゃ)』とも呼ばれていますが、わが地区(鹿児島県薩摩郡さつま町船木区)にも南方神社があって、毎年10月15日に豊年を祝う祭礼が行われ、翌年4月に小学校に入学する地区の男子を招待し、成長を願って『二丁鎌』を贈呈する慣わしが今も続いています。
 鎌は収穫を象徴する用具であり、男鎌と女鎌の二丁あれば、食いっぱぐれがないことを意味しています。そして、信濃・諏訪大社の神器は『鎌』であり、健御名方神そのものを示しているといわれます。


二丁鎌、建御名方神は妓夫太郎か?堕姫は八坂刀売命の事でしょうか?
そうしたら鬼が二人いる事になります、他にも元ネタはあると思いますが、私たち個人がどうのこうの言う事は勝手ですが、真実はワニ先生に心の中でないと分かり兼ねますが。

第25回 お諏訪さま 建御名方神(タケミナカタノカミ)についてでした。





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最終更新日  2024年01月20日 20時51分15秒
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