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2022年09月19日
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カテゴリ:風景・旅行など

​日吉神社 月讀宮 御朱印、月読神社 御朱印、水天宮 御朱印。​
今回はお参りした久留米の月読神社等の御朱印を紹介します。

​月讀宮 御朱印​
中秋の名月の頃 月の桂の御朱印
月読宮は、江戸時代に伊勢神宮の外宮さまが久留米に勧請された後に、外宮さまの摂社としてお祀りされてきた御宮です。数に限りがありますので、お一人様につき一枚ずつとさせていただきます。(久留米宗社 日吉神社HPより、)


月読宮の御朱印は中秋の名月時期、毎年不定期です、毎年凝った御朱印をご用意しているようです、今年は9月10日~13日でした。他にも時期により限定の御朱印をご用意をしております、事前に調べてから伺いましょう。なお御朱印は受付時間午前9時~午後4時までとなっています。

↑↑本来御朱印帳に貼るもですが、
出来が見事なのと、勿体ないので額がに入れました。しばらくこのままにして、時期が来たら御朱印帳に貼る様に致します。他の御朱印でも一時期額に入れていました。
なお、ゴルシのぬいぐるみはご愛想という事で。SNSで調べたところ、今年3月放送のめいたいワイドで産霊宮の切り絵御朱印について紹介していました。お雛様が細かく再現されおり、これだけのものを100セット、今回は200セット制作しており相当な労力で頭が下がります。次に行く月読神社では男性と認知されていますが、この切り絵 御朱印は見る方によって女性とも男性とも捉えらえる様になっています、それよりも、うさぎがコロコロと可愛い。

常若の社 月読宮
ご祭神:月読命
久留米大神宮(伊勢宮)と月読宮
御由緒

久留米大神宮は、三重県伊勢市の神宮(伊勢神宮)の正宮である外宮の御分霊が久留米の地に奉斎された神社です。月読宮は久留米大神宮の摂社とされます。
当社本源之事
一、当社本源は伊勢国 度会郡 山田原 外宮 豊受皇太神宮にて御座候。
流派之事
一、神道大中臣流 伊勢国 外宮之祠官 橋村肥前大夫 一派にて御座候。
(寛文十年久留米藩社方開基2頁)
久留米大神宮には、豊宇気比賣神社・伊勢ノ宮・大神宮・天照大神宮・久留米伊勢宮と多くの社名が見られますが、地域の人々からは「伊勢ノ宮さん」と親しまれていました。※「久留米大神宮」の名称は現在は御社がないために、下記の城下図にある「大神宮」を参考に、わかりやすく久留米の大神宮としたものです。
いつの頃より久留米大神宮の境内に月読宮がお祀りされ「三夜さん」とよばれるようにもなりました。
祭禮も賑やかに行われていたと伝えらており、久留米藩の記録には様々な神事や芸能が行われていた様子が記録されています。昭和の時代に※1紺屋町より久留米大神宮と月読宮を当社に御遷座するにあたり、久留米大神宮は当社御本殿に奉安され、月読宮は境内北面にお祀りされるようになりました。(久留米宗社 日吉神社HPより、)


久留米宗社 日吉神社とは、
久留米城御本丸の地主神として久留米の最中心にお祀りされてきた久留米の大神さまです。
平安時代の治承年間(1177~81)に久留米の豪族 松田庄衛門が笹山という場所を開き、その守護神として奉斎されました。宮地には高橋某・豊饒永源・高良座主良寛の弟麟圭・小早川秀包・田中吉信・有馬家などが居城しました。
正保4年(1647)に久留米城内より「成長・整う」を司る『風門』の方角に御遷座された後も城内安全祈願や藩主の初宮詣や諸祈願が厳修されました。 第4代久留米藩主からは久留米の宗廟・城下町随一の社として「久留米」の名を冠した『久留米宗社』の称号が奉られており、御創建より市中鎮護の神・藩民守護の社ともいわれ、久留米を代表する神社として日々祈り続けています。
境内には、結びの木として子授けの言い伝えのある夫婦銀杏、女性の守り神さまとして九州内外より崇敬される縁結び・子授け・安産の産霊宮(うみのみや)、若返り信仰の月読宮、久留米藩主勧請の大乗院稲荷神社がお祀りされています。
(ほとめきの街久留米より、)
ご祭神:大山咋命公、相殿坐神:菅原 道真
奉安神:豊宇気比賣神、瓊瓊杵尊、天兒屋根命、太玉命

古事記上巻に「大山咋命亦名山末之大主神此神者坐近淡海国之日枝山亦坐葛野之松尾用鳴鏑神者也」と記され、滋賀県大津市坂本に鎮座の旧官幣大社日吉大社が御本社です。
山、水、木の清浄なるを司り給い、古くは『酒の神様、都の鬼門守護、厄除け守護神』としても崇められ、魔除招福の御神威により、万物の生成発展を神助し給う広徳の神として信仰されています。須佐之男命の孫神様に当られます。(久留米宗社 日吉神社HPより、)


​うさぎの絵馬​
うさぎの絵馬は自分で書き入れるタイプ、個人の趣向が完全に表れておりますが…最近の思考は”ちいかわ”と”馬”なので、なお、”うさぎのお名前”という項目もあって好きなうさぎの名前を入れる事が出来ます、ちなみに、うさぎの名はヒ ミ ツ …という事で。

せっかくなので、月讀宮に奉納させていただきました。

​月読神社 御朱印​

月読神社、
ご祭神:月読尊

月読神社の御祭神は「月読尊」です。
日本神話によると父尊である伊弉諾尊(イザナギノミコト)が左目を洗った時に天照大御神(アマテラスノオオミカミ)が誕生し、右目からは月読尊が誕生したといわれています。
月読尊が伊弉諾尊(イザナギノミコト)の右目から誕生したため、古来より眼病平癒にご利益があると言われ目の神様としても信仰されています。
潮の干満が月の引力により引き起こされることから、開運、厄除け、安産、海上安全、五穀豊穣、大漁にも御利益があるとされています。
戦国時代の天文3年(1534)に二田村に住む林次郎兵衛というものが自宅で月読尊を祀ったことが始まりと言われています。
江戸時代に両目を患った者が夢のお告げに従い、二田村の林次郎兵衛宅を訪ねて祈願をしたところ目の病が完治したという言い伝えや、柳川藩主・立花鑑通の娘の眼病も祈願をしたところ完治したことという言い伝えがあります。完治したことを喜んだ立花鑑通によって月読神社が建てられました。(久留米ファンより、)


前回と、参考先を少し変えておりますが…

神社は整頓されて綺麗で、天井には多くの絵が、相当地元では愛されているのでしょうね。

↑↑は9月10日の中秋の名月のその日に撮影した月、不鮮明ですがよろしくお願いします。

​水天宮 御朱印​

全国総本宮 水天宮
主祭神:天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼

寛文10年(1670年)に久留米藩が寺社の由緒を調査した際に提出された書上によれば、尼御前社と呼ばれていた時代の祭神は尼御前大明神・左荒五郎大明神・右安坊大明神の三神であったという。尼御前大明神は千年川(筑後川)の水神、荒五郎はその荒御魂となる牛馬守護の水神、安坊とは和御魂となる安徳天皇を指す。また、河伯水神の信仰もあったことから、旧来の水天宮は筑後川水系の水神を祀る民間信仰の社であったと考えられる。
社伝によれば、寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加持祈祷を行ったことから、当初は尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の次男平知時の子右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。これが現在まで続く社家・真木家の祖先である。幕末の志士である真木保臣(真木和泉守)は第22代宮司であり、境内社・真木神社に祀られている。
慶長年間に久留米市新町に遷り、慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本宮である久留米水天宮である。その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、その後明治5年に現在の東京水天宮にご遷座された。明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られる。(ウィキペディアより、)


​筑後川

​「 須佐之男命厄神退治之図 」 推定復元(原寸大)​​
↑↑は2016年に凸版印刷が復元されたものです、元の美術雑誌に掲載されていた白黒のものは墨田区の牛鳴神社に扁額が掲げられております。なお、復元されたものはすみだ北斎美術館で常設されています、詳しくはHPをご覧ください。今回、祇園神社は御朱印が無かったのでこの様に掲載させて頂きましたが、最後に不思議な事が起こったのでご報告させていただきます。

祇園神社
ご祭神:素戔嗚命

慶長16年(1611年)に竹野郡麦生村に祇園社として創建されたことがわかります。元和2年(1616年)に、現在の田主丸の地に移転したとのこと。
田主丸中心部の町筋を立てる作業、今でいえば都市計画をして新しい町をつくる作業が始まったのが慶長19年(1614年)とありますから、新しい町のシンボルとして祇園社が建てられたというわけです。
元が祇園社(つまり「寺」)であることがはっきりしているせいか、村社昇格は明治43年(1919年)と比較的遅めです。同じ大字内に村社は1社が原則で、すでに天満宮(久留米市田主丸町田主丸650)が明治6年(1873年)に村社と定められていたため、なかなか認められなかったのでしょう。(美風庵だよりより、)


昨日夜、台風が上陸するのを考え早めに就寝しました、しかし、午後10過ぎ頃は暴風、ガラスが割れるのではないか、家が壊れるのではないかとおもい怖かったです、ところが、午前1時になり急激に風が弱まり、午前3時、台風中心が来ていると思われる頃は風がピタリと止みました。これだけ大きな台風、中心はぽっかり空いているからですね…それが朝7過ぎ迄、結局3時ぐらいまでほぼ寝れませんでしたが、なんか本当に台風が来たか不思議…今は吹き返しの風が起こっていますが思いのほか弱まっています。
2、3日前 台風14号が中心気圧910hPaと出た時は死ぬかと思った。伊勢湾台風より強いと煽っていたし。しかし、鹿児島後は上陸935hPaと少し勢力が弱まり、最終的には960hPaまで落ちました、福岡に来ると勢力が弱まるものか、たまたまか、もしかすると暴風雨神様のお陰?、そんなことはまずありえないと思いますが、何か不思議な力のを感じずにはいられません。

角の生えた、狛犬様が鎮座されておりました。
素戔嗚命は暴風だけでなく疫病払い神、疫病とは、ウイルスや菌がエアロゾル等で口か鼻等の粘膜に入り病に至る。鼻から生まれたとされる神様の真骨頂だと思います。

【セントライト記念】ガイアフォースが重賞初制覇!! ダービー3着アスクビクターモアとの叩き合い制した
”19日に行われたG2・セントライト記念(中山芝2200メートル)はガイアフォース(牡=杉山晴)が重賞初制覇を飾った。勝ちタイムは2分11秒8。2着のアスクビクターモア(牡=田村)、3着のローシャムパーク(牡=田中博)までの3頭が、G1・菊花賞(10月23日)の優先出走権を獲得した。前走の国東特別で7馬身差のレコード勝ちしていたガイアフォースは、直線でダービー3着のアスクビクターモアとの激しい叩き合いを制した。ガイアフォースは父キタサンブラック、母ナターレ(母の父クロフネ)の血統。(スポニチより、)”


ガイアフォース、『デジモン』かよ、白ぽい葦毛馬体、父キタサン、母父クロフネ、『ウマ娘』でもおなじみ。新馬戦であのドウデュース君に迫っていた、怪我で泣かされ戦線離脱していた…ちなみに、オニャンコポンは失速、あれだけ前に固まっていたら抜けるに抜けられんだろう。『進撃の巨人』vs『デジモン』キタサン産駒 vsエイシンフラッシ産駒 なっていた…中二病発動しそう。

​田主丸風 トルコライス1,050円(税込)※2022年9月現在
トルコライスと言えば長崎ですが、田主丸のトルコライスが、モンペットクワのトルコライス、モンペットクワは↓↓の田主丸駅側の洋食屋さん、創業当初からあるメニューで、こドライカレーにとんかつ、カレーソースが掛っています。

日吉神社 月讀宮 御朱印、月読神社 御朱印、水天宮 御朱印でした。





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最終更新日  2024年01月26日 20時15分52秒
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