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2023年09月09日
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カテゴリ:風景・旅行など




​9月9日 八大龍王神​
です。


こちらは本日のお昼でした、ちなみに、月見バーガーではありません。鯖バーガー、奥はオニオンフライですね。


今回は八大龍王神へお参りへ行ったのでお知らせします。


過去に何度も訪れております。








栄西に由来する、今津湾に囲まれた神社。
臨済宗開祖・栄西が中国から帰ってくる時に暴風雨にあい、八大龍王の加護により九死に一生を得て帰国したことへの報恩の意味で祀られた神社。

なお、栄西が住職とし務めた興徳寺は姪浜にあります。


「龍王うさぎの伝説」​とは、
興徳寺(西区姪の浜)を開いた大応国師(だいおうこくし)が学問を修めた宋(中国)から帰国の途中に起こった不思議な出来事にまつわるお話しです。
大応国師が帰国の途中、雪深い山の中で狼に追われていたうさぎに出会い、そのうさぎを助けて一緒に船に乗りました。その船が玄界灘で暴風雨に遭い、いまにも難破しそうになったとき、助けたうさぎが荒れる海に飛び込むと、荒波がピタリとおさまって、大応国師の一行は無事に姪浜の港に帰ることができました。ほっとして空を見上げるとうさぎがきらきらと金色に光り輝いて、空高く舞い上がったかと思うと、やがて龍王の姿となって天に消えていったという伝説です。(福岡市立西市民センターより、)


お寺伝説をだいたいオーバーに言いがち…まあ、それもなくないですが。
船で航行中に波しぶきの白い部分が白兎が跳ねて様に見えたとか、各地の波とうさぎの伝説が多いですが、まさかそれとは…


臨済宗大徳寺派に属する寺で、文応元年(1260年)に鎮西探題北条時定が建立しました。開山は、南浦紹明(なんぼしょうめい)(大応国師)です。元寇ひっ迫の時、三年間住職として留まりました。毎年11月29日の開山忌には、本堂に国指定重要文化財「絹本着色大応国師像」が掛けられます。(西区の宝より、)

今年の春には伝説になったお寺にもお参りに伺いました。


龍王兎伝説(りゅうおううさぎでんせつ)
【飾り山笠】十六番山笠 新天町

今から七百年ほど昔のこと。大応国師という禅僧が南宋で修行の末、悟りを開きました。帰国の際、峰でオオカミに追われた白うさぎを助けます。船に乗った国師は大嵐に見舞われました。うさぎが荒れ狂う海へ飛び込むと波はなぎ、平らな道に。うさぎは八大龍王となり天へ消えました。国師は姪浜に興徳寺を開きました。大応国師は、日本臨済宗の宗祖といえる高僧である。今に残る臨済禅の法脈は全て大応国師につながる。博多とのつながりは深く、博多祇園山笠の開祖・聖一国師の甥といわれる。(博多祇園山笠HPより、)


それに、今年の飾り山の表標題になりました。











八大龍王神
今津干潟と博多湾を仕切るように「洲の崎」と呼ばれる細長い岬が延び、ここの小さなほこらに八大龍王が祀られています。八大龍王とは、雨乞いや海難など、水に関する神様8人の総称で、全国各地に祭られていますが、ここ今津のほこらは、臨済宗の開祖・栄西が1187~1191年に中国の宋に2度目にわたったとき、暴風雨に遭いながらも無事帰国できた感謝を込めて建立したものです。
 ※八大龍王:難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、娑羯羅(しゃがら)、和修吉(わしゅきち)、徳叉迦(とくしゃか)、阿那娑達多(あなばだった)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはつら)。(西区の宝より、)


個人的なお願いがあったので今回伺いました。





こちらは普段は神社にお参りと言うよりも、釣り客が多い場所、結構車が止まっていました。


9月9日 八大龍王神でした。





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最終更新日  2023年09月12日 20時37分19秒
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