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2024年01月13日
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​Fate/Grand Order ツインウエハース特別弾​
です。
先にこちらを紹介します。1月1日販売でした、風邪を引いて出かけられず、購入したのは10日頃ですっかり遅れてしまいました。
今回特別仕様ですがイゾーや拙僧とかの推しがいない、気になるのはメリュ子とノブッとオベロンかな、、、
中はこんな感じなのが出ました、今回特別仕様で220(税込み)でいつもより割高ですね、最終的に6枚買いましたが結構ダブていた、、、220円は地味にキツイわ。男性サーヴァントがマジでいねぇ、やっぱりレアカード出したいなら初めに入手しておくのが吉かもしれない。

16.キャスター:アルトリア・キャスター
セ○バーさん似てる…どうやら、よくあるアルトリア顔(そっくりさん)でなく別の本人らしい…


​15.ルーラー:アルトリア・ペンドラゴン​
出たな、美魔女…
正史とは異なる経過を辿ったIFの世界のアーサー王ことアルトリア・ペンドラゴンらしい、また別の本人ですか?通常のアルトリアさんより年上に見える。


並べてみました、同一人物なのに大分雰囲気が違う…

​21.ランサー:メリュジーヌ​
メリュ子ほぼほぼ裸じゃねぇか、たぶんそのパ○ツは影色だけとか…実質 桜と同じ状態なっている、龍年にドラゴンが出たし幸先良さそう。なお、今回の最推だったりします。


前に出たメリュ子と並べてみました、特別仕様でいいがサイズがだいぶ小さくなってる。

17.バーサーカー:ブリュンヒルデ​
花嫁を思わせるブリュンヒルデ、『眠り姫』の元ネタで童話ではハッピーエンドですが、最後はあんな酷い事になっていたとは…
『崖の上のポニョ』の本名がブリュンヒルデと知ってゾッとした、宗介 簡単に約束を交わすものではない、5歳の子供には無理か……


恋人はシグルドさん、なお、シグルドさん探したけど無かった為に過去の写真から引っ張っり出してきました、北欧神話も大概酷いよな。

出来ればノブッも欲しかった、ただ、買うまでかと言えばそこまで無いだよね。プライズを手に入れたのでオベロンも欲しかったですが、アイツ毎回レアカードやもんな…そう上手くはいかないものだ。ただ、220円(税込)だけあってウエハースは美味しかった、流石に『お隣の天使様〜』ウエハースには敵わないけれど(森永製菓)、だいぶ質は良かったし、個包装やし。



​​第40回 難局打開の神、倭建命(ヤマトタケル)について、
今回は第40回 難局打開の神、倭建命について紹介します、​第39回は我妻善逸 雷の呼吸の必殺技 火雷神​について紹介しました​。善逸の技の火雷神は元ネタは黄泉国(死者の国)で腐敗した伊耶那美(いざなみ)の体から生まれた八雷神の1柱。この先のネタバレになりますが、我妻善逸の我妻は、ヤマトタケルが走水から房総に渡ろうとする時に海が荒れ船が難破しそうになったり妻のオトタチバナヒメが入水、最愛の妻を失うという犠牲を払い無事に海を渡る事が出来ましたが、「吾妻はや」(わが妻よ…)と三度唱え嘆き悲しんだとか。『鬼滅の刃』は日本の神話を基にしているのはよく知られています、忘れていましたがヤマトタケルは神話にハマるきっかけになった英雄でも、厳密にはあるキャラがきっかけですが…ヤマトタケルは業績も悲劇もあいまって完璧な英雄、それが新撰組の沖田総司や源義経と同じでストーリーが出来すぎている。馬で例えるとイクイノックスやディープインパクトの様な強い勝ち方する上に性格良い馬、でも、求めているのはパンサラッサやゴールドシップ等の尖った癖強なんですよね…だから、『FGO』的にはイゾーや拙僧の方が好きですが。


TRADITIONどんなピンチでも機転を利かせて切り抜ける
「倭建命(ヤマトタケル)」
日本人なら知っておきたいニッポンの神様名鑑(2021.1.8)

【公式】Fate/Grand Order @fgoproject 【カルデア広報局より】 期間限定「ニューイヤー2024 ヤマトタケルピックアップ召喚」では、「★5(SSR)ヤマトタケル」をピックアップ! 本召喚は1月10日(水)12:59まで開催!

今回は難局打開の神、ヤマトタケルです。
倭建命(ヤマトタケル)

第12代景行天皇の皇子。この時代の戦果は著しく、ピンチが迫っても数々の機転で乗り越えてきたため、難局打開の神として英雄視されることも多い。また、敵の火計を内側からの火を起こすことで切り抜けたことで、火防の神の性格ももつ。一説には、酉の市はヤマトタケルの命日であるとも伝えられる。古事記と日本書紀で人物像も分かれることや、その系譜など、知名度抜群でありながら謎多き神様でもある。
古事記:倭建命
日本書紀:日本武尊
基本属性:難局打開の神
代表的ご利益:難局打開
代表的神社:浅草鷲神社
「おとりさま」の愛称で親しまれる、東京を代表する神社のひとつ。江戸時代から約250年以上続く酉の祭(酉の市)発祥の地として知られ、同祭の熊手御守はあまりにも有名。
浅草鷲神社 東京都台東区千束(Discover Japanより、)

せっかくなので、1月1日から実装された『FGO』ヤマトタケルを出してます。以前から記念の第40回目は年明けにヤマトタケルにすることを決めていましたが、まさか、正月に実装されるとは…今回の地震で話題が薄れてしまい(風邪も引いた事もある)大分予定より遅れていますが、今回書かせていただきます。元々は『Fate/Samurai Remnant』に登場する主人公宮本伊織のサーヴァントでゲームは知っていたもののヤマトタケルが登場するなんて思ってもみませんでした。実はこのヤマトタケルはアルトリアぽいのに俗に言うアルトリア顔ではない、アルトリア顔は元ネタが男でも女性サーヴァントだが、、ちなみに、宮本伊織のママン(宮本武蔵)はアルトリア顔、、どうやらヤマトタケルは男の子の様だ。

FGO福袋はバサトリア狙いで狙い通り来てくれて嬉しい😊 ヤマトタケルがめっちゃ宝具重ねってくれたのも嬉しい😊

ヤマトタケルは日本における女装の元祖!? オカマで読み解く日本史(山口 志穂)
オトコたちの中世日本史-プロローグ-
日本史をオカマ視点で抉りとる、知らなきゃわからない日本のこと! 日本初の女装家はヤマトタケルで、初めて男装したのはアマテラスオオミカミ?(2021.10.25)
日本で最初に女装をしたのは誰でしょう?

では「日本史上最初の女装」は誰でしょうか。戦前の日本人は誰でも知っていました。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。 これは後に贈られた名前で、最初はオウスと名乗っていました。オウスは第12代景行(けいこう)天皇の皇子です。大変な乱暴者だったようで、『古事記』には兄をも殴り殺したとあります。恐れをなした天皇は「西の方に熊曾建(クマソタケル)兄弟という従わない奴らがいるから退治してこい!」と命じます。そこで、オウスは叔母から衣装を譲り受け、剣を懐に入れて討伐に向かいます。クマソタケルの家(現在の熊本県から鹿児島県周辺)に着いたオウスは、警護が厳重なのを見て、
「童女(おとめ)の髪の如(ごと)その結はせる御髪を梳(けず)り垂り、その姨(おば)の御衣御裳(みそみも)を服し、既に童女の姿に成りて」次田真幸『古事記(中)全訳注』講談社学術文庫/1980年
近づきます 。要するに、少女の髪型にして叔母さんの衣装を着たわけですから、女装したのです。そして、クマソタケルの家に侵入することに成功したオウスは、クマソタケル兄弟に「可愛いヤツ」と手招きされます。その瞬間、まずは兄の胸を懐に忍ばせた剣で刺して殺し、続けざまに弟も剣で刺します。弟は刺されながら「こんな強い人は西では私たち兄弟以外はいません、これからはヤマトタケルとお名乗りください!」と言ったあと、絶命しました。
オカマ目線でヤマトタケルノミコトを読むと・・・
このヤマトタケルによるクマソタケル弟の殺害場面、オカマ目線だと、これでもかと艶なまめかしく読めます。『古事記』の原文です。
その弟(おと)建(たける)見(み) 畏(かしこ)みて逃げ出でき。すなはち追ひてその室の椅はしの本に至り、その背(そびら)の皮を取りて、剣を尻しりより刺し通したまひき。……その刀(たち)をな動かしたまひそ。僕(われ)白(も)言(う)すことあり……信(まこと)に然(しか)ならむ。西の方に吾(われ)二人を除(お)きて、建(たけ)く強き人無し。然るに大(おお)倭(やまとの)国(くに)に、吾二人に益(まさ)りて建き男(お)は坐しけり。ここをもちて吾御名を献らむ。今より以後は、倭(やまと)建(たけるの)御(み)子(こ)と称(たた)ふべし
訳すと「そのぶっ刺した剣を動かさないで! 自分たちより強い男は貴方だけです!! だからこれからはヤマトタケルと名乗ってください!!!」です。しかも剣が刺さっている場所は……オシリです。「剣を尻より刺し通したまひき」とあります。同じ場面を『日本書紀』で確認しましょう。
川上梟帥、其童女の容姿に感(め)でて、手を携えくみて席(しきい)を同(ともにし)て、杯(さかずき)を挙げて酒を飲ませつつ戯(たわむ)れ弄(まさぐ)る。ときに更(よふけ)深人闌(うすら)ぎぬ黒板勝美、國史大系編修会:編『新訂増補〈普及版〉國史大系 日本書紀 前篇』吉川弘文館/1973年
いろいろと事実関係に違いがあります。『日本書紀』では、クマソタケルは川上梟帥(カワカミノタケル)に、さらに兄弟ではなく一人になっています。やはり女装してますが、そのあとが注目です。女装したヤマトタケルを見たカワカミノタケルは「可愛い!」と思って、手に手を取って寝室で一緒に寝て(「席を同て」)、お布団の中で二人は「戯れ弄まさぐ」っているのです。そして夜更けにカワカミノタケルが酔っ払ったところを、胸を刺して殺したとあります。間違いなく、ヤっちゃってます。ということは、100パーセント、カワカミノタケルはヤマトタケルが男だとわかっていたはずです。
これをオカマ目線で解釈します。『古事記』:ヤマトタケルにお尻をぶっ刺されながら「ア~ン、そのぶっ刺したモノを抜かないで~、あたしより強い男ってア・ナ・タ・だ・け。だから、これからはヤマトタケルと名乗ってちょうだい!」とヨガッたのがクマソタケル。『日本書紀』:カワカミノタケルと女装したヤマトタケルは、お手々つないでお布団の中でイチャついて、ヤることはしっかりヤった夜更けにカワカミノタケルは殺される。日本史上最初のオカマとして記録されているのも、ヤマトタケルです。※本記事は、山口志穂:著『オカマの日本史』(ビジネス社:刊)より一部を抜粋編集したものです。

聞き捨てならん事を書いとるな…
「や ら な い か 」『くそみそ…』みたいになっとる。そう言う見方もあるんやな、何でケツからぶっ刺しただろうか?疑問に思っていましたが、確かにそんな見方もあるね…まあ、『FGO』の元ネタがアレだからね。実はヤマトタケル配下の女性いて潜入したとも、それはそれとしてもっとヤバイかも、もしもその女性が単独でクマソタケルをぶっ倒していたら、どうしてもヤマトタケルの功績にしたかったのだろうからイズモタケルも倒したのか⁈なお、イズモタケルがホモと聞きましたが、出所は果たして何処からだったのでしょうか??あ…ゆうきまさみ氏か、主に『パトレイバー』が代表作漫画家さん、若い頃に『ヤマトタケルの冒険』を書いています。そう言えば…『FGO』ヤマトタケルに似てました…内容は若気の至りか随分アレな事に、これにイズモタケルが参戦してたら大変な事になってましたね。イズモタケル「や ら な い か 」。冷静に見ると滅茶苦茶梅原猛氏の影響を受けてますが。後、『るろうに剣心』の和月伸宏氏もヤマトタケルを書いてました、こちらは週刊新マンガ日本史で学習用の正当な方、オトタチバナヒメが入水した時がスプラッシュマウンテンでめちゃくちゃ和月氏のるろ剣だったが。なお、オカマとはちょっと違うんだよね。まあ、明治まではアレだったし、幕末の志士の中にも居たらしい…特に薩摩藩の志士とか、、完全に日本の裏歴史だ、江戸時代には陰間茶屋(かげまちゃや)が大いに繁盛したみたいですし。

日本武尊(やまとたける)はどんな神さま?描かれる姿と伝承。ご利益・神社紹介
日本武尊(ヤマトタケル)とは?
武力に優れ、偉大な戦士として戦い抜き、人間的な愛や苦悩に彩られた生涯を歩んだ日本神話の英雄です。第十二代景行天皇の皇子で本名は小碓命。のちに倭建命(ヤマトタケル)と名付けられます。神話では古代の大和王権が地方のまつろわぬ勢力を平定していく王権の軍事的なシンボルとして描かれます。
古事記:倭建命(やまとたけるのみこと)小碓尊(おうすのみこと)小碓王(おうすのみこ)日本童男(やまとおぐな)日本武皇子(やまとたけるのみこ)
日本書紀 :日本武尊(やまとたけるのみこと)小碓命(おうすのみこと)倭男具那命(やまとおぐなのみこと)倭男具那王(やまとおぐなのみこ)倭建御子(やまとたけるのみこ)
別称:倭武命、倭武尊、倭建尊、日本武命、倭武天皇、倭建天皇、倭健天皇命、蔵王権現
神格:武神、農業神
ご利益:国土平穏、五穀豊穣、商売繁昌、出世、開運招福、除災、交通安全、試験合格
関連神:父神 景行天皇、母神 播磨稲日大郎姫、妻神 弟橘媛(オトタチバナヒメ)、宮簀媛(ミヤズヒメ)、両道入姫皇女、吉備穴戸武媛、山代之玖々麻毛理比売、布多遅比売(日本の神様と神社より、)

本来出そうと思っていた『モンスト』のヤマトタケル、去年のを分をそのまま使おうかな~と思ってましたが、干支の置物がバッチリ写っており、新たに写真を取り直しました。今年はドラゴン、、しかし、まるで鏡餅みたいだね。

古事記には様々な困難を克服していく戦士として描かれる
熊襲を征伐し小碓命から倭建(ヤマトタケル)へ

少年時代のヤマトタケル(小碓命)は父の景行天皇から兄を戒めるようにと命令されますが、解釈の違いから兄を捕まえ素手で掴み殺してしまいます。その凶暴さから父に恐れられ疎まれて、九州の熊襲建兄弟(クマソタケル)の討伐を命じられます。まだ幼いヤマトタケルはまだ少年の髪形を結う年頃でした。わずかな従者も与えられなかったヤマトタケルは、まず叔母の倭比売命に会いに行き女性の衣装を受け取ります。九州に入ると、熊襲建の家は新築祝いの準備が行われいて、多くの兵士たちによってかたく守られていました。そこでヤマトタケルは、たばねていた長い髪をたらし、叔母からもらった衣装を身にまとって少女になりすまし、宴の時を見はからって館へ忍び込みます電光石火のごとく兄建を斬り伏せ、続いて弟建に刃を突き立てます。負けを認めた弟建は「西の国に我ら二人より強い者はおりません。しかし。大倭国には我ら二人より強い男がいました」と言い、続けて「西方に敵なしのわれら兄弟をしのぐ強者が、大倭(おおやまと)の国にはいたようだ」と称賛し、自分の名を譲り倭建(ヤマトタケル)と名付けます。弟健がしゃべり終わると真っ二つに斬り殺し熊襲を平定します。その後、ヤマトタケルは多くの神を平定し出雲に入り、そこで出雲建と親交を結びますが、出雲建の大刀を偽物と交換して大刀あわせを申し込み殺します。そこでヤマトタケルは「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 つづらさは巻き さ身無しにあはれ」と歌います。(訳:出雲建の大刀には、つづらがたくさん巻いてあり派手だが、刃が無くては意味がない。可哀想に)熊曽健兄弟は女装して油断させて伐ち、出雲健は偽の刀を渡して伐ったりと腕力と智力を備えた姿が描かれます。こうして各地の神や国を平定して、朝廷に参上し復命します。
戻って間もなく東方蛮族を征伐命令
西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、父の景行天皇に東方の蛮族の討伐を命じます。ヤマトタケルは再び倭比売命を訪ねて「父は私に死ねと言っておられるのか!」と嘆きます。倭比売命はヤマトタケルを慰め、草那藝剣(くさなぎのつるぎ)と袋とを与え、「危急の時にはこれを開けなさい」と伝えます。遠征中、相模の国にて相武国造に荒ぶる神がいると騙されたヤマトタケルは、野中で火攻めに遭います。そこで叔母から貰った袋を開けると火打石が入っていたので、剣で草を刈り、迎え火を点けて炎を退けます。生還したヤマトタケルは国造らを全て斬り殺して死体に火をつけ焼きます。そこからこの地が焼遣(焼津)と呼ばれるようになったそうです。
オトタチバナヒメとの死別
ヤマトタケル尊の物語には、ヤマトヒメ命やミヤズヒメ命など美しい女性が登場して物語を彩ります。なかでも特にロマンチックな純愛と悲劇として知られるのがオトタチバナヒメ命の入水の話です。東国遠征の途中、ヤマトタケル尊が走水(神奈川県横須賀市)から房総に渡ろうとする時、海が荒れ、激しい暴風雨にみまわれ船が難破しそうになりました。そのとき妻のオトタチバナヒメ命が「夫の身代わりとして海に入り、海の神の心を鎮めましょう」と言って入水。最愛の妻を失うという犠牲を払い、無事に海を渡ることができました。
オトタチバナヒメ命は入水の際に、火攻めにあった時の夫ヤマトタケル尊を思い出し詩を読みます。
原文:佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母
訳:相模野の燃える火の中で、私を気遣って声をかけて下さったあなたよ…

入水から七日後、オトタチバナヒメ命の櫛が対岸に流れ着き、この場所に御陵を造り櫛を収めたそうです。その後、荒ぶる蝦夷たちをことごとく服従させ、目的であった東国を平定します。四阿嶺に立ち、そこから東国を望んで弟橘比売を思い出し「吾妻はや」(わが妻よ…)と三度嘆きます。科野(長野県)で坂の神を服従させた後、かねてより婚約していた美夜受比売倭建命に遭うために尾張へ向かいます。二人はそのまま結婚。ヤマトタケルは草那藝剣を美夜受比売に預け、「素手で倒してやる」と慢心し、伊吹山(岐阜・滋賀県境)の神を征伐するため出兵します。素手で伊吹山の神の征伐に向かったヤマトタケルの前に、牛ほどの大きさの白い大猪が現れます。ヤマトタケルは「ただの神の使いだ。帰りに殺してやろう」と暴言をはいて無視しますが、猪は神そのものでした。神は大氷雨を降らし、ヤマトタケルたちは失神します。かろうじて山を降りて正気を取り戻しますが、病の身となり大和への帰還を果たせず、国を偲びながら亡くなります。
ヤマトタケルの国偲び歌
倭は 国のまほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭しうるわし
命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 熊白檮が葉を うずに挿せ その子
愛しけやし 吾家の方よ 雲居起ち来も
乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや

大和は素晴らしい国だ。青く重なり合うように連なった山々に囲まれている大和はとても美しい。
まだ命あるものは平群山にある大きな樫の葉を(魔よけの)かんざしとして挿せ。皆よ。
ああ、なつかしい。我が家の方角から雲が立ちのぼっているではないか。
妻の寝床に置いてきた草薙剣よ。その太刀よ…

ヤマトタケルは亡くなった後、とても大きな白鳥となって飛び立ったとされます。この悲劇の英雄の墓所と伝わる場所は各地に存在しており、その伝説も多く、描かれる性格にも一貫性がみられないことから、大和統一に尽力した各地の英雄がヤマトタケル尊に集約され語られたという説もあります。しかし、父親から疎まれながらも数々の武功を上げ、多くの名を持ち、多くの妻と子を持つヤマトタケルは間違いなく英雄と呼べる神さまでしょう。
日本武尊と草薙剣
とりわけ武神としてのヤマトタケル尊を象徴するのが、東国遠征に際して叔母のヤマトヒメ命から授かった草那藝剣です。これはスサノオ尊がヤマタノオロチの尾から取り出し、アマテラス大神に献上した天叢雲剣であり、のちに神武天皇に継承された三種の神器の1つ草薙剣です。草薙剣をヤマトタケルが武器として使った記述はなく、描かれたのは草を薙ぎ払う事のみです。草薙剣をミヤズヒメの元に残して出兵したヤマトタケルは、荒ぶる神の影響で病気となり亡くなります。このことからヤマトヒメ命は、草薙剣を武器としてではなく、霊的な守護の力を持った神器として渡したとも解釈できます。ちなみに平家物語では、ヤマトタケルが草を薙いだところ剣は草を三十余町(3km四方)も薙ぎ伏せたとされてます。この草薙剣は熱田神宮の御神体として祀られています。
日本武尊を祀る神社
焼津神社 静岡県焼津市焼津、熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区神宮、建部大社 滋賀県大津市神領、気比神宮 福井県敦賀市曙町、大鳥大社 大阪府堺市西区鳳北町、その他、大鳥・鷲・白鳥などの社名の神社(日本の神様と神社より、)

『モンスト』のヤマトタケルクリアファイルですが大分前にゲームセンター貰ったものでした、マークが現在オラゴンじゃないしね、ヤマトタケルで上がイザナミ様で当時は『モンスト』の代表するキャラクターです、最近登場の『FGO』も『モンスト』も見た目が女性的な感じすします、彼が女装をしたからだろうから、女装は戦略的だと考える方が無難かもしれません、実際はそうでもなく、大王と呼べるような見た目だったとか。なお、高嶋政宏さんも昔ヤマトタケルをやって女装もしている…やたら背が高い奴がいると思った。
なお、※余談ですが、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』が大阪の松竹座で2024年2月4日(日)から開幕されます。”日本神話にある日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説をもとに、哲学者の梅原猛が書き下ろし、二世市川猿翁(当時三代目市川猿之助)が主演・脚本・演出を手がけたスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』は、今から37年前の昭和61(1986)年2月4日に新橋演舞場で初演されました。現代の人々に感動を呼ぶ作品を創造したいという、三代目猿之助の理想と熱意が生み出したスーパー歌舞伎。そのなかでも『ヤマトタケル』は、“歌舞伎でありながら歌舞伎を超えるもの”という舞台への思いが詰まった傑作であり、その後数々の名作を生み出していったスーパー歌舞伎シリーズの原点でもあります。”梅原猛は哲学者で古代史にも大胆な説をとなえおり、現代の記紀のイメージはこの人と言って過言ではありません、同人誌を書くことは世界各地で古代から著名人がやってますが。近年は『ワンピース』をはじめ『ルパン三世』やらの演目が公演されてますが、スーパー歌舞伎の原点がヤマトタケルだったとは、歌舞伎というのは元々大衆演劇で、江戸の頃よりその時の世相を反映させるもの、伝統にとらわれる方がナンセンスでどんどん今に合わせてブラッシュアップする方が本来の歌舞伎の姿。しかし、スーパー歌舞伎の公演、『FGO』実装、去年末に『ビックリマン』の17年振り新作アニメで主人公がヤマトタケルがモチーフのキャラが続くねぇ。

↑↑ヤマトタケルのモデルとされる『ビックリマン』ヤマト王子、神話にハマるきっかけはでした、ヤマトタケルとスサノオを併せたとされています、が、後にスサノオが別に登場しました。まあ、どちら共に天叢雲剣(草薙剣)を保有してます、しかし、ヤマトヒメが彼に渡したのは本物⁇だろうかと言う疑いもありますが、その理由はそんな大切なものを天皇の妹とは言えおいそれと渡すはずが無いのでは。ちなみに、ヤマトヒメは伊勢神宮の初代斎王、三種の神器を保有しててもおかしくない立場かも。だからヤマト王子はヤマトタケルイメージがより強くなりましたね、なお、若神子の中で女体化はしてない。正確には因子継承ですが。ヤマトタケルは女装イベントがある神様?なのに。ちなみに、アリババもない…そう言えば『ビックリマン』と歌舞伎がコラボしていた事も、ヤマトタケル繋がりでしょうか。

ヤマト王子は『モンスト』ヤクモに凄く似ておる、そういうサタンマリアはルシファーに似てたりします。ソシャゲの元ネタがだいたい『ビックリマン』だからそういう事は多々ありそうだ、同キャラのヤマトタケルより似てるし、実質女体化だ、大和朝廷とは関係無いですが、ヤクモの元ネタは男神で、ヤマト王子もう一つイメージのスサノオと妻のクシナダだったりします。

日本武尊(やまとたけるのみこと)
古代に存在した皇族の一人。第12代・景行天皇の第二皇子(または第三皇子)で第14代・仲哀天皇の御父。 父帝の命によって征西事業を任され、九州・中国・地方を平定するも、続く東征事業にて殉ぜられた。 須佐之男尊(すさのおのみこと)と並ぶ古代の大英雄の一人。
概要
第12代・景行天皇の第二皇子で、第14代・仲哀天皇の御父に当たる。この表記は『日本書紀』のもので、『古事記』での表記は倭建命。諱を小碓命(おうすのみこと)という。妃に両道入姫皇女(ふたじなのいりひめのひめみこ)、吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)、弟橘媛(おとたちばなひめ)、山代之玖玖麻毛理比売(やましろのくくまもりひめ)、布多遅比売(ふたじひめ)などがおられる。兄弟に双子の兄である大碓命(おおうすのみこと)がおられる。16歳にして父帝から征西事業を任され、九州・中国地方の平定に尽力し、さらにすぐさま東国の平定へ向かい、見事これを達成される。幼少から武芸に秀で、怪力無双で知られていた。また直感や知恵も冴えており、征西事業ではこれらを生かした知略で地方の強豪豪族たちを討伐していく。成人前は美少女に変装できるほどの美男子でもあったらしい。一説には、大和朝廷において日本平定に尽力した数人の勇者たちの偉業を統合し、それらを一人の人物とした「架空の英雄」という説も存在する。現在では、大鳥神社をはじめとする鷲社系の祭神として祀られている。

九頭龍伝承
九頭龍とは日本の神様あるいは妖怪、怪物
九頭龍大神あるいは九頭龍権現とも呼ばれ色々な伝承がある。
九つの頭を持つ龍でありヤマトタケルが草薙剣で退治しようと挑戦する。しかし、探しても一向に見つからずヤマトタケルは疲れて居眠りを始めてしまう。そこへ九頭龍は表れヤマトタケルを一呑みにしてしまった。ヤマトタケルが一向に帰って来ないので退治を申し出た村人も、九頭龍にやられてしまったのかと思っていたが、川の水が真赤に染まり出したため驚き、色々憶測が飛び交う中、ヤマトタケルが帰って来た。聞けば、腹の中から滅多切りにし九頭龍の首を切り落としてきたのだという。その後、九頭龍は供養され九頭龍権現あるいは九頭龍大神と呼ばれるようになる。(ピクシブ百科より、)


素戔男尊のヤマタノオロチ退治(月岡芳年 画)

なお、ヤマト王子は初期にヤマタノオロチぽい悪魔を退治するイベントが発生しますが、それはもう一つのモデルのスサノオの神話から、載せるのはスサノオのヤマタノオロチ退治ですが。ヤマトタケル自身にも九頭龍退治という同じような伝承が伝わっており、どうもヤマトタケルをスサノオを同一視したい様です。昔の三船敏郎が映画『日本誕生』でヤマトタケルとスサノオと両方演じいる、だからだろうか、ヤマト王子のモデルは三船敏郎…か。
去年末放送された最新アニメの『ビックリメン』全く興味が無かったし、話題にも上がらなかったですが、最近になって1話だけを見ました…まあ思ったより良く出来ています。ヤマト王子が意外にカワイイ、記紀を少しだけ齧っている自分には お だ ん ご (角髪 みずら)に違和感が…かと言って男子のツインテールは可愛いが「ぼくツインテールになります」は流石におかしい。なお、照光子がオッサンでした、そもそも、現代に掘り起こした場合 赤ちゃんかオッサンの2択しかない。キャラの女体化のイベントも…一体どこに向けた⁇なお、ヤマト王子とアリババは女体化は無い事をフェニックス店長に指摘していて、その前にヤマト王子が自身女体化したシーンを想像するのだけど、それがガチの好みだった。どうにかならんかな、ま、フェニックス店長も女体化したらそれもそれで良いが、なお、『ビックリメン』女体化する番組ではない、なお、マリスは女体化してる…フェニックスも別で女体化してるけれども、逆に”漢”化するマリア様だったりします。しかし、まだ元ネタが分るレベルだからマシですが、近年の史実や物語の人物の女体化、美少女化が頻繁に、中には全く原型すら留めないものも、特に坂本龍馬なんか全く誰か分らないレベルで原型を留めてなくて絶望したぜよ、フビライハンに至っては時代背景も完全無視してもう誰だ⁇

その生涯(『古事記』ベース)
兄殺し

生まれた頃から怪力無双だった小碓命は、ある時に父親の寵妃に手を出した件で大碓命を呼びに行かされる。しかし、このときに父の命を勘違いして(または揉み合いの末に誤って)兄をつまみ殺してしまう。このことを聞いて、いずれわが身にその災難が降りかかることを恐れた父帝・景行天皇は、オウス命を恐れ疎むようになり、自分から遠ざけようと画策しはじめる。
征西事業へ
熊襲(クマソ)兄弟討伐

16歳となって、ようやく髪結いの年頃になったオウス命は、父帝から征西事業を任され、僅かばかりの兵とともに九州にいる強豪豪族熊襲兄弟の討伐を命じられる。必勝祈願のために叔母である倭姫命のおられる伊勢へと向かった。叔母はオウス命のために祭祀をおこない、その予言から巫女の衣装を渡す。九州に着いたオウス命は、叔母から授けられた衣装で美少女に化け、熊襲兄弟の宴会の席に忍び込む。そして宴もたけなわとなった頃を見計らって兄の兄建を斬り、さらに弟である弟建を仕留める。ろ自らを「ヤマトヲグナ」と名乗ったオウス命に対し、弟建は今わの際に「ヤマトタケル」の名を与え、その知勇を賛辞したという。以後、オウス命はヤマトタケルと改名するのであった。
出雲建の討伐
続けてヤマトタケルは出雲に入り、強豪・出雲建(イズモタケル)の攻略に乗り出す。鉄産業による強大な国力を見せつけられたヤマトタケルは、無理に戦うことはせずに出雲建に取り入ることから始める。出雲建はヤマトタケルを気に入り、親睦を深めていく。ある時、出雲建に太刀合わせを持ちかけ、中身を木剣とすり替えて降りた剣を渡して出雲建を謀殺する。ヤマトタケルも、敵ながら出雲建を討ったことを惜しんだ。
東征へ
さらなる遠征

征西事業を成功させ、大和へと帰ったヤマトタケルだったが、景行天皇はすぐさま東征事業を命じてヤマトタケルを大和から離してしまう。自分が父帝に疎まれていることに悩むヤマトタケルは、叔母のもとへ行き、そこで今度は天叢雲剣と小物が入った小さな袋を渡される。叔母は「困ったことがあればその袋を開けなさい」と助言し、ヤマトタケルは東へと出発した。その足掛かりとなる尾張に付いた際、宮簀媛(ミヤズヒメ)と出会い、東征を終えたその時に結婚する約束を交わす。
草薙の剣
東征事業で相模に到着したヤマトタケルは、国造から「荒ぶる神が暴れている」と野原に向かうように言われる。しかしそれは国造の罠で、彼らは野原に火を付けてヤマトタケルを抹殺しようとする。窮地に立たされたヤマトタケルは叔母の助言を思い出し、小袋から出てきた火打石を使って火を起こし、天叢雲剣で草を薙ぎ払って迎え火を起こす。迎え火によって火の勢いは逆転し、国造たちは逆に火攻めとなって斃されてしまう。
走水の海難
上総を目指すヤマトタケル一行は、船で海を渡ることとなった。しかし、その際にヤマトタケルが海を侮った言動をしてしまったがために海神の怒りを買い、航海中に大時化に出くわしてしまう。この危機を脱するべく、相模で火攻めの苦難を共に乗り切ってヤマトタケルの恋人となって同行していた弟橘媛(オトタチバナヒメ)が自ら海に飛び込んで海神の供物となり、嵐を鎮めてくれる。最愛の人を失ったヤマトタケルは、彼女への歌を読みあげ、七日後に彼女の使っていた櫛が浜に漂着し、それを塚に収めて弔った。
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも
オトタチバナヒメを偲ぶ
上総を皮切りに次々と東国の豪族を平伏し、足柄坂(現:静岡県・神奈川県県境)の神を蒜(野生の韮)で打ち斃し、東国を平定する。そのときに山頂から東国を望んで「吾妻はや」(わがつまよ)と三度嘆き、以後、東国を東(あづま)と呼ぶようになった。
伊吹山の神との戦い
東征事業も終盤となった頃、かねてより婚約を交わしたミヤズヒメと再会し、旅の疲れと最愛の人との別れを癒すひと時を得る。その後、二人は結婚。しばらくして、伊吹山の神が暴れていると聞いたヤマトタケルは、草薙の剣をミヤズヒメに預けて素手で退治に向かう。しかし、荒れ狂う吹雪に体力と精神力を奪われたヤマトタケルはそのまま山中で失神してしまい、山の神を斃せぬまま下山を余儀なくされる。実は道中で白い猪に似た獣と出会い、山の神の使いと思って見過ごしていたが、これが山の神本人であり、このときにそれに気づかなかったせいで彼は危難に遭ってしまったのだった。
白鳥となり…
下山後、居醒めの清水(現:関ヶ原)で正気を取り戻すも、ヤマトタケルは病を患い、ぼろぼろの体を引きずって故郷・大和を目指す。しかし能煩野(三重県亀山市)でとうとう力付き、国偲びの歌を四首を残してこの世を去った。享年30歳だったとされる。彼の薨去後、彼の妃や子供たちは伊勢に御陵を作って彼を弔い、その周りで彼を偲んで歌を詠みあげた。すると、ヤマトタケルは白鳥(しらとり)となって空を舞い、伊勢を出て河内に降り立ち、その後しばらくして何処かへと去っていったという。(ピクシブ百科より、)

『ビックリマン』のヤマト王子と『モンスト』のヤマトタケル、元ネタが同じでもモノによって大分雰囲気が違いますね、並べてみたら同一人物と思えない、かと言って原型留めて無い訳ではなく、どちらもヤマトタケル、ヤマトタケルは小説やアニメやゲーム等多くの作品に登場しますし、そう思われるモデルを併せると数が多い。なお、今回紹介してるのはほんの一部だけですね。

なお、『ウマ娘』にもなった競争馬の桜型水雷艇一番艇「桜驀進(神)王」??はヤマト王子因子が、、、いや、正確には進化したヤマト爆神から付けたもの思いますが…決してヤマト驀進(神)王と誤植してはいけない。バクシンは水上バクシン理論​と訳わからない事をほざいてましたが、バクシン教とも言われスピードに全振りした理論らしい。なお、ヤマト王子もスピードが速い、考えてみたらヤマトタケルも九州から当時の東北まで瞬く間に遠征したイメージですが。それはアレキサンダー大王が反映されたからでしょう、スサノオにも足の速い設定がある。しかし、”びっくした!”じゃない…その割りにのんびりしてる二名、桜島の周りをホバリングしているサクラバクシンオーは足を沈む前に足を上げるとか刃牙かよ、仕組みは高速船ビートル🚢桜島を大バクシン!勿論設定に無理がある。実馬のサクラバクシンオーの適性が1400mまで、1200mまでなら最強で当時としては珍しい今では当たり前のスプリントに全振りの奴だった。『ウマ娘』三期ではサクラバクシンオーとやたらと絡みがあったキタサンブラック、実馬はサクラバクシンオー血統だった為、当初は短距離やマイル適正までとされていました。なお、ヤマト王子は他の若神子と共に虹になりましたが、当初は因子が継承出来てなかった。サクラバクシンオー血統(因子)の競争馬は意外と多い。

『日本書紀』との差異
古事記と日本書紀ではところどころ大きく内容が違っており、最大の相違として「景行天皇に愛されている」という部分がある。また東征のルートも後半部分でかなり違っており、『古事記』が北上しながら制圧していったのに対し、『日本書紀』では船を使って東北へ大回りし、南下しながら制圧するルートに変更されている。そのほかにも草薙の剣の話など、地名に関連する話は要所要所で違っており、場合によっては『古事記』で語られた話が『日本書紀』ではなかったことにされたり、別の天皇の話として挿げ替えられたりしている。いずれにせよ、『古事記』と『日本書紀』のそれぞれの記述においてどちらが事実を伝えているかは今なお不明である。
血統
妃:両道入姫皇女(ふたじいりびめのひめみこ) ー 垂仁天皇の皇女
・稲依別王(いなよりわけのみこ)
・足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと、第14代・仲哀天皇)
・布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこと)
・稚武王(わかたけるのみこ)
妃:吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ) ー 吉備武彦の娘
・武卵王(たけかいごのみこ)
・十城別王(とおきわけのみこ)
妃:弟橘媛(おとたちばなひめ) ー 忍山宿禰の娘
・稚武彦王(わかたけひこのみこ)
妃:山代之玖々麻毛理比売(やましろのくくまもりひめ)
・足鏡別王(あしかがみわけのみこ)
妃:布多遅比売(ふたじひめ) ー 意富多牟和気の娘
・稲依別王(いなよりわけのみこ)
妃:
・息長田別王(おきながたわけのみこ)
余談
日本武尊が討伐に行き、死の原因ともなった“伊吹山の神”とは、ヤマタノオロチだという説があり、草薙剣を使用していた日本武尊がその源に殺されたことになる。(実際にヤマタノオロチは伊吹山で祀られているため、この説は有力とされる)(ピクシブ百科より、)

記紀のヤマトタケルは複数の妻がいる模様ですね、なんだよそれ💢オトタチバナヒメだけじゃないのか?伊吹山に行く前も結婚してるし。「や ら な い か 」は一部の想像の範疇を越えていない。そもそも、ヤマトタケルの遠征は範囲が広すぎて一人でとてもやったとは思えないし、複数いたという説も。これだけ妻がいると大王以外に考えられないですが…ヤマトタケルが天皇と言う説も実際にあります、それでも1人で東征まで出来だろうか?多分、最低2名以上いた可能性も、記紀によって性格もそのルートも変わっている。まあ、アレキサンダー大王というインドまで東方遠征したチートスキルの奴も実在しますが。『アレキサンダー』は映画も見ましたが、彼も「や ら な い か 」だったらしい、それでいて普通に結婚して男子を設けている、当時の世相を鑑みると今では考えられない事も多々あったでしょう。

角髪とは、
上代の成人男子の髪の結い方。 髪を頭の中央から左右に分け、両耳の辺りで先を輪にして緒で結んだもの。 平安時代以後、主として少年の髪形となった。 びんずら。

なお、『ビックリマン』のヤマト王子とか特徴的な髪型をしてますが、これは角髪(みずら)と言って古代の男子の髪型で記紀ではよく神様がこの姿で登場します。ちなみにサクナヒメ様は女子ですが角髪してますが、少女でも結う事がある様です。ここからは信じるか信じないかになりますが、昔浮かんだイメージで角髪した10代前半位の少年を見た気がします、須恵器に花を生けてました。服装も座古代人で真っ白ではなくやや黄色がかった色をしていました、当時の技術を考えると一般人の服はこの様色をしていた推測します。大王クラスやその配下になると純白の衣装でした、更にさまざまな色の衣装を取り入れて着ていました、その事は魏志倭人伝で身分で服装が違っているともされてますし、吉野ヶ里遺跡でも赤色の衣装が発掘されています、古代でも意外にカラフルだった様。なお、これもイメージですが大王に近けれ近いほど角髪はしないし王冠を付けて髪を長く垂らしているか、少し下の配下なら一つにまとめて髷を結っている様です。角髪は一部元服前の少年がする様で、この時代より下ると男性は大概角髪をするようになりますが、多分、兜に紐が無かったのでそれを固定する為にしていたのかもしれません。服が白い多いのは周辺との戦で染める暇が無かったと推測しますし、敵に個人を特定されない為とも思われます。奈良から平安時代は本来の少年髪型に戻った様ですね、なお、然る方は角髪などした事がないとか、それは部族や時代や場所にもよるものと思う、然る方は本来のイメージから原型を留めていない??彼をイメージしていた人は脳が追い付かなくなって固まるかも、信じるが信じないかはあなた次第、まあ、自己満足世界ですが。

(​鬼滅の刃公式@kimetsu_off​)【本日は無一郎の誕生日】 8月8日は時透無一郎の誕生日です! 誕生日を記念して、ufotable描き下ろしミニキャライラストを公開しました。 ぜひご覧ください!(鬼滅の刃公式より、)

日本神話 悲運の皇子 倭建命(ヤマトタケルノミコト)日本武尊
日本武尊のお話です。(日本書記は天皇を海外に紹介する面があるので書かれ方が古事記と違います)
日本武尊は12代 景行天皇の数多く(80人といわれる)の子の第2子。大碓(オオウス)命の弟である小碓(ヲウス)命(後の日本武尊)に命に従わない兄を諭すように言われるのですが小碓命は兄を殺害してしまいます。景行天皇は小碓命に危険を感じて自分から遠ざけようと九州南部の討伐を命じます(この過程で熊曾健から倭建命(日本武尊)の名を受ける)難なく出雲まで平定して大和(やまと奈良県)に帰ります。これが日本武尊の征西です。しかし今度は直ちに東十二国の征伐(東征)を命ぜられます。きっと父(景行天皇)は自分に死んでほしいのだなと感じた日本武尊は悲しみますが叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に励まされ天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ(須佐之男命がヤマタノオロチの尾から取り出した剣)と小さな袋を授かって旅立ちます。駿河の国(静岡)で国造に焼き殺されそうになった時。天叢雲剣で草を焼き払い逆に袋に入っていた火打石で相手に火を放ち返討ちにします。これよりこの地を焼津とよび剣も草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになります。この東征に同行していたのが后の弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)です。走水海(浦賀水道)を渡るとき海が荒れ船が転覆しそうになります。弟橘比売命は皇子が天皇の務めを果たすため自らが入水して海の神を鎮めます。無事に船が渡った7日後に弟橘比売命の櫛が浜で見つかります。『さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の火中に立ちて 問ひし君はも』 弟橘比売命が入水時に詠んだ辞世の歌(相模野で火に囲まれたとき火中に立って私を気遣ってくださったあなたがどうかご無事でありますように)この危機を乗り切った日本武尊は東夷十二国を平定した帰路の碓氷峠で霧で道に迷った際に八咫烏が現れ紀州熊野の梛木(ナギ)の葉をくわ先案内し山頂に着きました。日本武尊は碓氷峠の山頂から相模灘で荒波を静める為に海中に身を投じた弟橘比売命を偲び「吾嬬者耶(アヅマハヤ)」(ああ、いとしき我が妻よ)と三度繰り返し叫びます。この由来により碓氷峠には群馬長野にまたがる珍しい県境鎮座の熊野神社があります。また群馬の嬬恋・吾妻(あずま)・霧積 ・武尊(ほたか)山等の地名も古事に縁のあるものなのです。(株式会社 サンエイより、)

『鬼滅の刃』無一郎のモデルは恐らくヤマトタケル、双子やし、兄の有一郎は居たが先に逝っている、後候補として縁壱も、こちらも双子の兄巌勝がいる、二人も双子で緑壱は忌み嫌われた為にほぼ死んだような扱いをされていた。伊之助も、これは伊吹山の神とヤマトタケルを合わせた様にも。それから、我妻善逸の我妻と言う意味が入水したオトタチバナヒメを想い悲し嘆いた時に詠んだ歌から、だから、モデルは何人もいる…作者の吾峠呼世さんはあえて特定してないかったとも思われますが…

更に地元埼玉秩父の三峰神社の由来は碓氷峠に向かう途中三峯山に登り山川の美しい様子から国生み二神(伊邪那岐命/伊邪那美命)を偲んでお祀りしたのです。この時道案内したのが狼(山犬)であったとされ神様の使いとして一緒にお祀りされています。(絶滅したニホンオオカミは秩父で生きているという伝説もあります)長瀞の宝登山でも山火事にあった際、巨犬に助けられたという伝説から巨犬(山犬=おおかみ)を大口真神として祀っています。山名もこの逸話から「火止山」=「宝登山」となったといわれ三峰神社とともに狛犬は犬の形をしています(獅子形ではない)。後に景行天皇も日本武尊が平定した東国を巡幸されたということです。
日本武尊は東征から大和を目指す途中、美夜受比売と結ばれますが古(いにしえ)の習慣ですから弟橘比売命への愛には変わりはないのです。近江の伊服岐山の神に受けた傷がもとで日本武尊は命を落とします。あともう少しで大和に帰れるのに。故郷に愛されなかった日本武尊の気持ちはどんなものだったでしょうか。『倭(やまと)は国のまほろば たたづなく青垣山隠(ごも)れる 倭しうるはし』(やまとのくには最もよい国である重なり合った青い山々が前後するやまとは美しい)日本武尊 辞世の歌です。(辞世の歌とは最期の歌であり出征死したたくさんの人も残しています日本人の習慣みたいなものですね)日本武尊の魂は大きな白鳥となって能褒野(のぼの)を飛び立ち河内の国の志幾に地に降りたので御陵(みはか)を造り魂を鎮めました。その御陵は「白鳥(しらとり)の御陵(みささぎ)」といいます。
日本武尊の物語は大和朝廷の真実の記録です。これからは事実現実の世界のお話に入ってまいります。10代から21代の天皇の系譜を貼りました。大事なのは直系の嫡子で継承しているわけではないということです。男系男子の継承が例外なく行われておりこれは初代神武天皇から126代 今上天皇まで2682年間一度も原則を外れたことはありません。
さて景行天皇の悲劇の皇子である日本武尊。13代 成務天皇は景行天皇の第4子ですが日本武尊とはお母様が違います。14代 仲哀天皇は日本武尊の皇子、更にその御子は私がそこまでは書こうと思っている15代 応神天皇、諱(いみな)は譽田天皇(ほむたのすめらみこと)八幡神社の御祭神です。お母様は最も有名な皇后、神功皇后です。16代 仁徳天皇以降は風土記などの史実との一致が多くなっていきます。21代の雄略天皇のころ大和の勢力範囲は日本武尊の治めた東北から九州までに拡大していることが証明されるようになってきました。
私たちに縁の深い埼玉県行田市に埼玉(崎玉サキタマ)という地名があり埼玉の地名の基と言われています。埼玉古墳群という関東最大の古墳群9基の古墳が残っています。おそらく古代はもっと多くの古墳が同時期に存在していたでしょう。丸墓山古墳は円墳、それ以外の8基は前方後円墳であることから大和朝廷との関係は昔からあるといわれてきました。その中の稲荷山古墳から1968年に出土した副葬品 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)は出土10年後X線検査をしたところ剣身に表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が金象嵌で刻まれていることがわかりました。年号は西暦で書いてありませんから辛亥年の解釈は西暦471か531年かですが、書かれている獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ)が日本書記から雄略天皇のことだと推察されています。いろいろなことがつながってきたので仕上げに入りますが私の若いころからの郷土の由来が少しずつ繋がってきました。12代 景行天皇の御代で東北から九州までを平定した大和朝廷は21代 雄略天皇の時代に古墳時代のピークを迎えたのだと思います。
銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)という剣も明治期に発掘されて国宝指定されています。こちらには銀75文字の銘文が刻まれています。一部判読不明な部分がありますが後に発見された金錯銘鉄剣の読み方からやはりワカタケルと書いてあることがわかりました。雄略天皇のことですね。双方の剣に雄略天皇の朝廷に仕えたことが書いてあるということはそういうことです。銀象嵌銘大刀が出土したのは熊本県玉名郡和水町江田船山古墳です。
埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)
熊本県玉名郡和水町江田船山古墳から出土した 銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)

埼玉県と熊本県が繋がったでしょう。私は古のご縁を感じざるを得ません。もう1800年以上前には同じ文化文明で結ばれていたわけです。私たちと同じ暮らしをあなたたちもしていたんですね。こんなに離れていても。そして郷土地域にはそれぞれに神話とつながった地があります。神話と歴史が一つにつながっていているということが他国に類を見ないことであるという事実。日本人として大事にしなければなりませんね。(株式会社 サンエイより、)

神功皇后に関して以前紹介してます、仲哀天皇はヤマトタケルの子供、これに関しては色々あるのでこれ以上書くのは控えさせていただきます。
九州と当時の東北とで同じ鉄器が…これはヤマトタケルが実在したか?大和の勢力がそこまで及んでいたか。
『ワンピース』のヤマトは男装女子で要は逆になってますが、マジでヤマトタケルにはモデルが沢山います。イヌイヌの実で狼神に、能力の大口真神(オオクチノマカミ)は、狼神とはヤマトタケルが東征の際に道に迷ったって道案内して導いたのが白い狼がモデル、「大口真神としてそこに留まるように」と白狼に語ったという逸話が残っています。なお、余談になりますが『もののけ姫』のモロも大口真神がモデルとも。なお、ヤマトが慕うおでんのモデルは大幡主大神と書きましたが、ヤマトヒメ仕えた武将でも、ヤマトタケルと何だか関係ありそうですね、その後越国を平定、ヤマトタケルのモデルの一人だろうか?ワノ国編では尾田栄一郎氏は日本神話に発想得ているのは有名な話ですが。

第40回 難局打開の神、倭建命(ヤマトタケル)についてでした。





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最終更新日  2024年03月30日 21時01分26秒
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