ロンドンに出発するまで
日本でフランス人の彼女とあったのは、確かこの時と、彼女がロンドンに帰る前夜の数分間だけだったと思う。私自身、この時のことを今振り返って考えてみると、何か不思議な力に引っ張られてロンドンにいったような気がする。多分、多かれ少なかれ皆そういう経験をしているのではないかと思うが、彼女がロンドンに出発する前夜彼女に別れの言葉を言っている時のことである。この英語がからっきし駄目な私が、どうやって彼女が言った。「リッスン!もし、貴方がロンドンに来ることがあったら連絡して、住む部屋とかは紹介してあげるから、いい?」という言葉を聞き取れたのかは未だに分からない。(英語でなんと言ったのかも覚えていない、だが日本語で訳すと彼女がこのようなことを私に言ったのは鮮明に覚えている。)もう一つは、私がロンドンに行くことで障害は何一つなかったのも理由だろう。卒業を間近に控えていた私にとって、通常なら就職活動や親の仕事を継いだりしなくてはならない時期である。親は、税理士の人に相談したところ、外国に行くと英語ができるようになり視野も広がるなどと私にとって良いことを言ってくれたようである。それからの私は、当時、御茶ノ水にあるグレッグという英語会話学校に行ったり(この時点での英会話学習(週3回程度で、約6ヶ月間)は、ロンドンに行っても全然役に立たなかった。苦笑)何とか安い飛行機のチケットを探したりして、着々と準備を重ねていた。そういえば、この頃の私は、今までのアコースティックギターをエレキギターに持ち替えてブルーズやロックに浸り始めた頃だった。思えば、大学時代のクラブでドゥービー・ブラザーズをやっていた先輩のうちに遊びに行った時、ブルーズを目の当たりに体験したこともあり、それからはバンドも組んで大学最後の学園祭では、オールマン・ブラザースのYou don’t love me.やドゥービーのLong train runninngそしてロリー・ギャラガーのMoon Childなどを演奏していた。今思い返してみると、当時大学で一緒のバンドでリードギターをしていたやつは本当に良い趣味をしていて、あの頃私にとって彼からの影響は非常に大きかったように思える。話が横道にそれてしまったが、大学を翌年の4月に卒業してその6月頃にはイギリスに行っていた友達の紹介で飛行機のチケットを買い、後はロンドンに向けて飛ぶだけだった。ここで私は、海外に限らず旅行をする上で、自分自身最も初歩的なミスをしていたことを後になって思い知らされることになるとは思ってもいなかった。