無関心
人はみな現実に自分のことにならないと、“無関心” ということがあります。なにか大変なことが起きて同情している時でも、「我が家のことでなくて良かった」という安心感がひそんでいたりするものです。私もそうでした。病気になる前までは・・・ ・・・老いることも死ぬことも、「人のこととしか考えられない感覚」 が、ひとたび我がことになった時に慌てふためく人間の姿 が垣間見られます。しかし、なおも周囲の人たちは人ごとしか見ません。その冷たさをその時になって恨んでみても、それは身勝手というものでしょう。経済大国になって、なんでも豊かになったという日本に、このごろ乏しくなったものがあります。それは苦しんでいる人を見て、『人ごとと思えない心』 があると思うのです。苦しみ、悩み、悲しみ、困っている人を見て 『わがこと』 と思っていないというだけでなく、醜い行為をしたり、罪を犯したりする人を見ても、わがこととは感じない人の卑劣な心が浮き彫りにされているこの現実を、私たちはどのように考えたら良いのでしょうか・・・ ・・・聖書に次の節があります。「あるとき、人々が不品行をした一人の女性を、イエスさまのところへひきずってきて、『この女は石で撃ち殺されても仕方のないことをしたのです』と喚きました。そのとき、イエスさまは『罪のない者がいたら、石を投げてごらん』と言われました。だれひとり石を投げる者はいませんでした。」人々は、『罪は人ごとではない』 と分かったのです。現代に生きる私たちも、この愛にふれ、この愛に溶かされる時に、私たちは人ごとという無関心の罪、鈍感さから救われるのではないでしょうか。そして、愛に生きる生活を生きていく者にとっては、老いや死が我がこととなった時にも、慌てふためくこともなくなるのではないでしょうかジャカランダの花日南海岸を南下しますと「道の駅なんごう」という景観の素晴らしい場所があります。そこに咲いていたジャカランダの花です。「道の駅なんごう」をさらに南下しますと野生馬で有名な「都井岬」です。