れんれん共育の集まりに行く!!
今日は初めて「共育」の集まりに行ってきた。そこは、「障がい児と健常児が共に活動できるためのプログラム」を行っている。それなら、れんれんだけじゃなくまーちゃんも行って楽しめるなあと思い、いつもよく遊ぶお友達と一緒に参加してみた。行くと、広いスペースに3歳くらいから小学3~4年生くらいの子どもたちが集まっていた。活動の主宰者らしき女性、それから何人かのスタッフ。若いお兄さんお姉さんもいれば、ちょっと年配の方々もいる。れんれんは一緒に行った小学校のお姉ちゃんとすんなり輪に入って、お名前を言ったりしていた。始めに、輪になって唄を歌い、そしてつないだ手をほどき、今度はみんなで歩く。それから、お部屋の2つの場所でタンバリンを叩いて、音のするほうへ走っていく。「タンタン」と叩けば座る。「シャラララ~」と振り叩けば立ったまま。何気ない動作の中で私が気に掛けてみていたのは、「みんなに語りかけた動作の指示をちゃんと聞くことができるのか」ということ。私の中で、小学校に入る前に「ここまでは…」という幼稚園での目標があった。年少さん … 先生からの全体への問いかけのときに、 れんれんは補助の先生に「今、何をするのか」教えてもらってから行動できる。年中さん … だんだんその回数を減らしていくこと。 「今、何をするのか」よくわからなくても、先生からの全体の問いかけには 耳を傾けることができる。 「あ~いま、せんせいがおはなししているなあ」と注目できる。 その後、お友達の行動を見て真似ることができる。年長さん … 先生からの全体の問いかけに耳を傾けて、お話の内容半々、 お友達の行動を見て半々、簡単な内容なら「今、何をするのか」 行動を察して動くことが出来る。 いちばん後ろでもいいから、自ら把握してちゃんと集団行動をする。今日の様子を見ていると、最初の頃はまあ「年長さんライン」の感じがした。でも、やっぱり集中力が欠けてくると「ぼんやりさん」になっていた。途中で何度か、「先生がお話するよ、聞いていて」とか、「お友達はどうしてる?」と言わないとねえ…といった感じ。どのくらい先生からの指示を把握していたかは「?」である。みんながやるように真似ていたのかもしれないけれど、短時間の中でこういった場面が繰り返し、繰り返しあるのはいいなあと思った。しかも、長縄をやったり、ボール投げをしたり、走ったり、ストレッチをやったり…と、体を動かすのがいい。よく言われる「感覚統合的」な動作がさりげなく入っていたように思えた。グー・チョキ・パーを手と足で同時にじゃんじゃん出していったり、ケンケンしながら競争したり、後ろ向きの動作を取り入れたり…れんれんは、一緒に行ったお姉ちゃんが行くなら、「また行く。楽しかった」と言っていたし、ちょっと通ってみようかなと思う。小さな子から小学生の子どものなかに、いろんな個性の子どもたちがいた。ずっと通っている子どもたちのなかでは、そこの垣根はとても低かったように思う。障がいを持った子も持たない子も、ひょいひょいとその世界を行ったり来たりしている。ほんとうはバリアフリーなのが理想なのかもしれない。でも、「違い」はあるのだ。子どもたちだからこそ、その「違い」は肌で感じ取ってしまう。時にはとても残酷だと思う。でも、垣根を行ったり来たりできるのならば、そのうちに垣根を億劫に思わなくなるかもしれない。混合教育や共同教育、現場ではとても大変なんだろうな…と今日、改めて思った。でも、絶対にそこで生まれるものは人として尊いものだとも改めて思った。